星羅Side② 両方で良くね?
十二月三十一日。
仙台から競馬学校へ戻った星羅が寮の部屋へ入ると、小町は翌日の帰省に備えて荷物をまとめているところだった。
「おかえり」
「ただいまー。って、小町もう準備してんの?」
「明日から帰省やからな。忘れ物したないし」
「いいなー。アタシの休み、もう終わったんだけど」
「ちゃんと、馬の管理頼むで」
小町はそう言いながら、畳んだ服をバッグへ詰めていく。
星羅は自分の荷物を床へ置くと、そのままベッドへ倒れ込んだ。
「あー……終わった。アタシの冬休み」
「六日間あったんやろ」
「あったけど、終わったら一瞬じゃん。初詣も行けないし」
「知らんがな」
清華も明日から帰省する。
今夜まではいつもの四人が揃っているものの、年が明ければ清華と小町が学校を離れ、今度は瞳子と星羅の二人だけになる。
星羅は天井を見ながら、そんなことをぼんやり考えた。
それより今は、もっと気になることがある。
――明日の朝、ヤバいかも。
帰省中も体重のことを忘れていたわけではない。
ただ、祖母が出してくる料理を断れなかっただけだ。
あと、お菓子も少し……少しよりは食べたかもしれない。
「星羅?」
「んー?」
「何か死にそうな顔しとるで」
「明日の朝が怖い」
小町は一瞬だけ考え、すぐに察した。
「ああ、体重増えたん?」
「年頃の乙女に聞かないで」
「うちらは、しゃーないやろ」
「ですよねぇ。余裕余裕って、とこに送ったんだけどなー」
「何が余裕やねん」
「そのときは本当に余裕だと思ってたんだって」
小町に呆れられながら、星羅は枕へ顔を埋めた。
一月一日、朝五時。
年始の挨拶こそしたものの、正月だろうと、競馬学校の一日はいつも通り始まる。
星羅は眠気よりも別の緊張を抱えたまま、検量室で順番を待っていた。
前にいる清華が体重計から降り、次に小町が乗る。
二人とも問題なく終わった。
少し離れたところでは、瞳子もすでに検量を済ませている。
そして星羅の番になった。
「藍沢」
「はい」
星羅が体重計へ乗ると、ほどなく数字が表示された。
「…………」
指定されている体重を超えている。それも大幅ではなく、本当にわずかな差だったからこそ、余計に悔しい。
立ち会っていた教官も表示された数字を確認し、それから星羅へ視線を向けた。
「藍沢」
「はい……」
「増えたな」
「騎手になる想いが増えた分ですかねぇ……」
「帰省中、何食った?」
「……普通に、ご飯とか」
祖母が大皿で出してきた料理が頭をよぎる。
「……あと、お菓子とか」
「毎日、体重は確認していたか? 食事量は管理していたか?」
「してた日もあります」
教官の眉がわずかに動いた。
「……してない日もあります」
それでも視線が外れないので、星羅は観念したように肩を落とす。
「すみません」
「指定体重に戻すよう、今日からまた管理しろ。明日の検量でも確認する」
「はい」
「焦って無茶なことはするなよ。体調を崩したら訓練にならん」
「……はい」
星羅は力なく返事をして体重計から降りた。
――全然、余裕じゃなかった。
二日前の自分へメッセージを送れるなら、『そのお菓子置け』くらいは言ってやりたい。
検量室を出ると、瞳子が待っていた。
「どうだった? 増えてなかった?」
「年頃の乙女に聞かないで。Season2」
「シーズンツー?」
「小町にも言われたんよね」
「ごめん」
「別に。ここじゃ普通のことだし、とこは?」
「大丈夫だったよ」
「裏切り者」
「なんで!?」
八つ当たりなのは自分でも分かっている。そこへ後ろから小町が出てきた。
「やっぱ引っかかったん?」
「体重計壊れてたんじゃないかな?」
「そんな訳ないやろ」
「オーバーする予定はなかったんだけど」
「予定してオーバーする奴おらんやろ」
清華もその後ろから出てくる。
「藍沢さん」
「清っちまで何?」
「帰省中の食事は、ほどほどにしておけ。という忠告を身をもって示して下さったんですよね」
「示して御座いません」
「経験者からの助言は貴重かと思いまして」
「絶対ちょっと楽しんでるでしょ」
「気のせいでは?」
「最近、普通に煽ってくるよね?」
清華は答えず、先に歩いていくと小町が吹き出し、瞳子まで笑っていた。
「みんな冷たくない?」
「星羅ちゃんが反応するからじゃない?」
「とこまでそっち側!?」
正月の朝から、女子四人の声が廊下へ響いた。
朝の作業を終えると、今度は清華と小町が帰省する番だった。
二人はすでに荷物をまとめていて、星羅と瞳子は玄関まで見送りについていく。
「ほな、行ってくるわ」
「小町、実家で食いすぎないようにね」
「うちは元が軽いから大丈夫や」
「私も気を付けますね」
「清っちは、ミスパーフェクトだから、プラスマイナスゼロで帰ってくるに賭ける」
清華は荷物を持ち直しながら、ほんの少しだけ目元を和らげた。
「どうでしょ。藍沢さんも、寮でも気を付けてくださいね」
「はいはい。もう耳痛くて瀕死だよ」
「星羅ちゃん、完全に怒られてるね」
「とこは黙ってて」
「ひどいっ!」
小町が笑いながら手を振る。
「ほな、大晦日組二人で仲良うしとき」
「小町も楽しんできなよー」
「言われんでも楽しんでくるわ」
「清っちもね」
「ええ。ありがとうございます」
二人が玄関を出ていく。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていったあと、星羅はしばらくその場に立っていた。
「……静か」
「まだ二人が出て一分くらいだよ」
「でも静かじゃん」
一年生女子が四人から二人になっただけなのに、寮の空気まで急に広くなったような気がする。
その日の夜。
風呂を済ませた星羅は、瞳子と一緒にサウナへ入った。
「はー……生き返るね。とこ」
壁へ背中を預けると、身体から力が抜けていく。
「朝は死にそうな顔してたから」
「体重計は敵」
「毎朝乗ってるのに」
「毎朝会う敵」
瞳子が笑う。
朝の数字が気になっていないわけではない。教官に言われた通り、また学校での生活へ戻していけばいいとは分かっている。
それでも帰省明けの最初の日くらい、汗をかいて気分をさっぱりさせたかった。
二人しかいないサウナ室は、普段よりやけに静かだった。
「……小町いなくなると、やたら静かだよね」
星羅がぼんやり前を見ながら言う。
「小町ちゃんが、っていうより……」
「ん?」
瞳子が少し考える。
「小町ちゃんと星羅ちゃんが一緒じゃないと、かな」
「え、アタシもセット?」
「だって二人でずっと喋ってるじゃん」
「小町がツッコんでくるからでしょ」
「星羅ちゃんがずっと何か言うからじゃない?」
「……それは否定できない」
学校へ入ったばかりの頃は、小町とここまで毎日喋るようになるとは思っていなかった。
清華はもっとそうだ。
「清っちも少しだけ変わったよね」
「うん?」
「今朝のやつ。前だったら絶対あんな言い方しなかったじゃん」
「ああ……確かに」
「最近、普通にアタシで遊んでない?」
「星羅ちゃんが反応するから」
「またそれ?」
「だって本当だし」
「とこまで変わったよね」
「そうかな?」
「絶対変わった」
星羅は笑いながら、壁へ頭を預けた。
「入った頃なんてさ、ボロ拾いに受け身ばっかしてたよね」
「やってたね」
「馬乗りに来たのに、なんで柔道場で床に転がされてんだろって思ってた」
「落馬したときのためなんだから、大事なんだけどね」
「今なら分かるけどさ」
あの頃は、これからの三年間は果てしなく長いと思っていた。
馬に乗る時間より、掃除や体力づくりの方が多いんじゃないかと思った時期もあったし、入学したばかりの頃なんて、馬のどこに立てばいいのか、どう触れば嫌がられないのかさえ毎回考えていた。
それが今では、馬が動けば考えるより先に身体の方が反応する。近づく前に立ち位置を変え、重心がずれれば自然とそれに合わせ、騎乗中も「こうしよう」と頭で決める前に手や脚が動くことが増えていた。
自分でも、いつからそうなったのかはよく分からない。ただ、最初は何も知らなかった馬の扱い方が、少しずつ身体の中に染み込んできていることだけは分かる。
星羅は自分の腕へ目を落とす。
「……体重もさ」
「うん?」
「今回みたいに、ばあちゃん家で食いすぎたから増えたなら分かるじゃん」
「うん」
「でも、そのうち普通に生活してても、この辺まで来るようになったらどうすんだろって、ちょっと思う」
口にしてみると、自分で思っていたより真面目な響きになった。
元から運動が得意で、身体には筋肉もつきやすい。
学校へ入ってから、軽ければ軽いほどいいわけではないとも教わってきた。馬を制御するにも、最後まで乗り切るにも身体は必要になる。
その一方で、騎手を目指す以上は体重と付き合っていかなければならない。
この先、自分の身体がどう変わっていくのかは分からない。
「私にも分からないけど」
瞳子が少し考えてから言う。
「もし本当にそうなったら、一人で何とかしようとしない方がいいと思う」
「教官とか?」
「うん。学校にいる間なら、相談できる人いるし」
「まあ、そうだよね」
「星羅ちゃん、朝もちゃんと見てもらってたし」
「あれは怒られてたんだけど」
「でも、無理するなって言われてたじゃん」
「それはそう」
星羅は息を吐き、天井へ視線を向けた。
どうなるかなんて、まだ分からない。
来年も、その次の年も身体は変わるかもしれないし、自分が思った通りにいく保証もない。
もし騎手になれなかったら――そんな考えが、ふと頭に浮かんだ。
学校へ入る前なら、そのとき真っ先に考えたのはお金のことだった。騎手になって稼いで、ばあちゃんを楽にし、陽翔にもやりたいことをやらせてやる。帰省中に久しぶりに二人の顔を見ても、その気持ちは変わっていなかった。
家族のために稼ぎたい。それは今も同じ。
なのに最近は、もし騎手になれなかったらと考えたとき、お金とは別の嫌なことまで浮かぶ。
レースに乗れない。
今よりもっと速い馬に乗って、自分で判断して、勝つために走る。
まだ経験したことのないことばかりなのに、その先を見られなくなるのは嫌だった。
「星羅ちゃん?」
「ん?」
「急に黙ったから」
「考え事」
「珍しいね」
「……かもね」
星羅はそう返して笑い、もう一度天井へ目を向けた。
お金に家族……いつの間にか自分自身の気持ちまで混ざるようになっていた。
家族のために稼ぎたい。それと同じくらい、もっと馬に乗って、レースにも出てみたい。
どちらか一つに決める必要なんてないのかもしれない。
お金も欲しいし、レースにも乗りたい。
両方でよくね? なんとかなるし、なんとかさせる!
そう思うと、さっきまで頭の中で絡まっていたものが、妙にすっきりした。
「そろそろ出よっか」
瞳子が立ち上がるのを見て、星羅も壁から身体を起こした。
「うん。アタシも出る」
二人でサウナを出れば、明日の朝にはまた体重計に乗り、そのあとはいつものように馬房掃除や訓練が待っている。
面倒なことも、大変なこともある。それでも今は、その続きをやりたいと思っていた。




