↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/56

第31レース 力の使いどころ

 梨狩りから学校へ戻った翌日、小町はさっそく昨日聞いた話を試していた。


 午後の授業を終え、夕食までにはまだ少し時間がある。


 木馬の置かれた訓練スペースへ顔を出した瞳子が見つけたのは、鐙に足をかけたまま背筋を伸ばし、妙に険しい顔をしている小町だった。


「……何してるの?」

「見たら分かるやろ。昨日のやつ」

「お腹?」

「そう」


 返事をしながら、小町は自分の腹へ力を込めたらしい。


 姿勢がさらに真っ直ぐになる。

 真っ直ぐというより、固まった。


「小町ちゃん」

「なに?」

「なんか、すっごい力入ってない?」

「入れとるんやから当たり前やろ」

「でも馬に乗ってるっていうより、動かないように耐えてる人みたい」

「耐えてるちゅーねん!!」


 小町が一度力を抜き、大きく息を吐いた。


 昨日、火山から教わったのは、背中だけで姿勢を保つのではなく、腹部を含めた体幹全体を使うということだった。

 だからといって、腹に思い切り力を入れればいいわけではないらしい。


 そこまでは小町自身も分かっているようだが、では実際にどうすればいいのかとなると、話は別だった。


「もう一回」


 小町が姿勢を整える。

 瞳子は隣へ回り込み、その様子を眺めた。


 昨日までより背中は反っていないように見える。ただ、その代わり肩にまで力が入っていて、両腕もどこか窮屈そうだった。


「瞳子ちゃんも乗ってみ。自分も試す言うてたやろ」

「あ、そうだった」


 隣の木馬へ跨り、瞳子も腹へ力を入れてみる。


 普段、騎乗中に腹筋をまったく使っていないわけではないはずだ。それでも、改めてそこだけ意識すると途端に分からなくなる。


 お腹に力を入れて、それから背筋を伸ばす。

 肩の力を抜こうとすると、今度は腹の力まで一緒に抜けてしまう。


「……むずかしい」

「やろ?」

「小町ちゃん、昨日までこれ知らずに乗ってたの?」

「知らんいうか、教官から体幹使えとは前から言われとったで。でも、うちの中では『もっと筋力つけな』で終わってたんや」


 小町は自分の腹へ手を当てる。


「昨日、火山先輩に背中ばっかり使っとるって言われて、初めてそこまで考えた」

「筋力って、つけるだけじゃなくて使い方もあるんだね」

「そらそうやろ。腕立てできたら、上手く乗れるんやったら、話早いわ」

「確かに」


 納得したところで、入口から足音が聞こえた。


「何やってんだ、お前ら」


 振り向くと、風磨がタオルを肩へ掛けて立っていた。


 どうやら男子側も自主練を終えたところらしく、額に汗が残っている。


「見たら分かるやろ」


 小町がさっき瞳子へ返したのとまったく同じ言葉を使った。


「分からんから聞いてんねん」

「体幹」

「また?」

「またってなんや」

「お前、昨日からずっと腹とか背中とか言うてるやん」

「必要なんやからしゃあないやろ」


 小町は言い返しながら、もう一度姿勢を作る。


 腹へ力を入れ、背中が反らないように意識しながら、そのまま十秒ほど保ったところで、風磨が眉を寄せた。


「小町」

「なに?」

「息」

「……息?」

「止まってる」


 一拍遅れて、小町が勢いよく息を吐いた。


「止まってへんし!」

「止まってたやん」

「ちょっとだけや!」

「それを止まってる言うねん」


 風磨は呆れたように鼻から息を抜いた。


「しんどなると息止めるん、昔からやろ」

「……そうやったっけ?」

「そうやった。鉄棒でも走るときでも、きつなったらすぐ顔真っ赤にして息止めとったやん」

「いつの話してんねん」

「小学校」

「古すぎるわ!」

「癖は変わってへんけどな」


 言い返そうとした小町の口が、一瞬だけ止まった。


 それから何もなかったように前を向き、もう一度姿勢を整える。


「ほな今度は呼吸する」

「最初からしろよ」

「風磨は黙っとけ」

「教えたったのに」

「頼んでへん」


 二人のやり取りを聞きながら、瞳子は首を傾げた。


 小町自身が忘れているような昔の癖を、風磨はよく覚えているらしい。

 幼馴染なら、そんなものなのだろうか。


「とこ、何してんの?」


 今度は星羅までやって来た。

 その後ろには清華もいる。


「みんな来た」

「集合場所じゃないんだけどな」


 小町がぼやく。


 事情を説明すると、星羅は面白そうに空いている木馬へ跨った。


「要は腹に力入れながら普通にしてりゃいいんでしょ?」

「そう簡単に――」

「こんな感じ?」


 星羅が背筋を伸ばしたまま、腹へ軽く力を入れる。


 肩にはほとんど余計な力が入っておらず、そのまま普通に喋っている。


 小町が黙った。


「……なに?」

「腹立つわ!」

「なんで!?」

「星羅はそういうの感覚でできるから嫌やねん」

「褒められてんの? けなされてんの?」

「両方」


 清華は三人の木馬を順番に見てから、小町へ視線を戻した。


「成瀬さん」

「今度はなに?」

「前より肩は上がっていません」

「ほんま?」

「ただ、腰を動かさなさすぎです」

「……はい?」

「木馬なので分かりづらいですが、それだけ身体を固めたままだと、実際の馬の動きについていけないと思います」


 小町の顔から、ほんの少しだけ達成感が消える。


「一個直したら一個増えるやん……」

「普通では?」

「清華ちゃん、たまに平気で残酷なこと言うよな」

「事実を言っただけです」

「それが残酷や言うてんねん」



 昨日、火山が「だから難しい」と言っていた意味が、少しだけ分かった気がした。


 翌日の騎乗訓練。


 馬場へ出た小町は、いつも以上に自分の身体へ意識を向けているように見えた。

 瞳子も別の訓練馬へ跨りながら、ときどきその姿を視界の端へ入れていた。


「成瀬、肩に力入ってるぞ」

「はい!」


 教官の声が飛ぶと、小町はすぐに肩を落とした。


「背中だけで姿勢作るな。腹も使え」

「はい!」


 昨日から何度も聞いた言葉だった。

 小町が腹部へ力を入れる。


「固めすぎだ。腰まで止めるな」


 小町が慌てて力を緩めると、今度は数歩もしないうちに上半身がわずかに前へ流れた。


「違う。全部一遍に直そうとするな」


 教官が馬場の中央から小町を見る。


「まず呼吸しろ」

「……はい」


 返事のあと、小町の胸が大きく上下した。

 瞳子は思わず風磨のほうを見る。

 少し離れた位置で騎乗していた風磨も、ちょうど小町を見ていた。


 視線に気づいたのか、すぐ前へ向き直る。


「斉藤! 人の騎乗見てる場合か!」

「はいっ!」


 慌てて自分の馬へ意識を戻す。人のことを気にしている場合ではなかった。


 今日の馬は、脚で送る合図には素直に応じるものの、少しでも瞳子の上半身が前へ流れると、それにつられるように一歩ごとの進み幅――歩度まで変わってしまう。


 自分がどう乗るかで、馬の動きも変わる。

 それは以前から何度も感じてきたことだった。

 それでも、小町のことが少し気になった。


 馬場を一周して再び近くを通ったとき、小町の姿勢はさっきより落ち着いて見える。


 まだ完璧ではない。


 身体の小ささも、筋力が足りないという課題も、昨日今日で消えるはずがない。

 それでも、さっきまで上がりかけていた右肩が、途中でほんの少し動いた。


 あっ、 上がる。


 その直前で、小町自身が気づいたように肩を落とした。


「成瀬」


 教官が呼ぶ。

 小町の身体が一瞬だけ強張る。


「今、自分で戻したな」

「……はい!」

「それでいい。崩れないことより、崩れたときに気づけ」


 小町が小さく頷く。


「筋力は一日じゃつかん。だが、自分がどこで崩れるかは今日から覚えられる」

「はい!」


 その返事は、さっきまでより少しだけ大きかった。



 その後も騎乗訓練は続き、小町は馬場を回るたびに、自分の姿勢を確かめていた。


 疲れが溜まってくると、やはり右肩が上がり、腰も少しずつ反り始める。

 そのたびに呼吸を整え、腹部を意識して姿勢を戻すものの、しばらくすればまた別のところが崩れてしまう。


 それでも訓練の後半になる頃には、教官から指摘される前に自分で気づき、修正できる場面が少しずつ増えていた。


 やがてその日の訓練が終わり、騎乗した馬の汗を拭い、手入れを済ませて馬房へ戻す。

 厩舎を出ると、少し先を歩いていた小町が壁へ背中を預け、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。



「むり……」

「昨日より疲れてない?」


 声をかけると、小町は力なく顔を上げた。


「今まで使えてへんかったとこまで意識したからやろ。腹も腰も背中も、全部だるい」

「でも教官に褒められてたじゃん」

「褒められたいうか、スタート地点見つけただけや」


 小町が壁に頭を預ける。


 そこへ、少し遅れて風磨が厩舎から出てきた。

 しゃがみ込んでいる小町を見るなり、足を止める。


「また死んどる」

「死んでへん」

「顔は死んどるで」

「うるさい」


 風磨は自分の首へ掛けていたタオルを外すと、小町の頭へ放り投げた。


「汗すごいぞ」

「自分の使ったやつ投げんなや!」

「まだそんな使ってへん」

「そういう問題ちゃう!」


 文句を言いながらも、小町はそのタオルを頭からどけると、結局そのまま手に持った。


「で?」


 風磨が聞く。


「なにが?」

「息、止めへんかった?」


 一瞬、小町が黙る。


「……一回だけ」

「止めとるやん」

「途中からはちゃんとした!」

「ならええけど」


 風磨はそれだけ言うと、先に建物のほうへ歩いていった。


 小町は手元のタオルを見たあと、その背中へ向かって声を飛ばす。


「これ返すで!」

「あとでええ!」


 遠ざかる風磨へまだ何か言いたそうにしてから、小町は諦めたように息を吐いた。


「ほんま、昔から余計なことばっか覚えとるわ」

「でも、小町ちゃんが忘れてたこと覚えてたね」

「幼馴染だからやろ」


 小町は何でもないことのように答え、立ち上がった。

 その手には、風磨のタオルが残っている。


「瞳子ちゃん、行くで」

「あ、うん!」


 先に歩き始めた小町を追いながら、瞳子はもう一度その背中を見る。


 右肩は今は上がっていない。

 けれど、疲れればまた上がるかもしれない。

 だから気づいて、そのたびに戻せばいい。


 一度で全部できなくても、自分の癖をひとつずつ知っていけばいい。

 そういう意味なら、小町は今日、昨日まで知らなかった自分を一つ見つけたのだろう。


 八月も、もうすぐ終わる。


 そして九月になれば、二年生たちは校外の厩舎実務へ入り、学校で顔を合わせる機会も減っていく。


 その先には、秋の大きな学校行事が待っていた。


 オータムフェス。


 一年生にとって初めて迎えるその日が、少しずつ近づいていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。