第22レース 噂の四人
寮を出てから十分ほど経っても、清華はまだ納得していない顔をしていた。
「それで、どこへ行くんですか?」
「イオン。飯食べて、ちょっと遊んで帰ろか」
先頭を歩く小町が振り返りもせず答える。
「私はダービーの話を聞きに来たんですが」
「せやから、行きながら話しとるやろ」
「まだ一つしか質問していません」
「清っち、今日ずっとその調子で小町に質問する気?」
星羅が横から笑うと、清華は当然のように頷いた。
「そのつもりです」
「小町先生、休日返上じゃん」
「連れてくん失敗やったかな……」
小町がぼそっと呟く。
瞳子はその後ろを歩きながら、なんだかおかしくなって笑った。
前に三人で外出したとき、清華は誘っても来なかった。それが今日は、本人の目的が競馬の話だったとはいえ、こうして四人で並んで歩いている。
清華自身は、そんなことを気にしている様子もない。
「成瀬さん。さっきの続きなんですが、前半のペースがもっと速くなっていたら――」
「着いてからや……ほんまに着いてから話したるから!」
着いたのは、イオンモール千葉ニュータウンだった。
休日だけあって家族連れや同年代くらいの学生も多く、広い館内には服屋や雑貨店、飲食店がずらりと並んでいる。
「とりあえず、ご飯!」
星羅の一声で向かったのはフードコートだった。
瞳子はハンバーガー、小町はラーメン、星羅は大きめのハンバーガーセットを選び、清華はしばらくメニューを見比べた末、サンドイッチとスープを注文した。
四人で席につくと、星羅は包装紙を開きながら小町へ顔を向ける。
「小町。結局ダービー勝ったらいくらくらいもらえるの?」
「また金の話かいな」
小町が呆れたように箸を止めた。
「ダービーの一着賞金が三億円。騎手はそこから五パーセントやから、千五百万くらいや。他にも手当とかあるけどな」
「二分半走って千五百万?」
星羅の目が見開かれる。
「ジャパニーズドリーム!!」
「金よりダービージョッキーになったって名誉のほうがデカいわ!」
「名誉で飯が食べられるわけじゃないし」
言いながら、星羅はハンバーガーへ豪快にかぶりついた。
「説得力だけはあるな……」
小町が呆れる横で、瞳子は吹き出す。
「でも星羅ちゃん、ダービー見てるときはお金のこと全然言ってなかったよね」
「そりゃあのときはレース見てたし。終わったら別じゃん」
「切り替え早すぎやろ」
「畑騎手だって、勝った瞬間から賞金は何に使おう、って考えてたでしょ」
「レジェンドをなんやと思っとるんや」
そんなやり取りをしている間も、清華は小町へ何度か質問を投げていた。
本庄がもう一列後ろだったら。テネブラエがもっと前につけていたら。前半が速くなっていたら。枠順が変わっていたら。
小町は食べながら一つずつ答えていたものの、やがてラーメンの丼を置いて眉を寄せる。
「清華ちゃん、うちはAIとちゃうで。飯くらい普通に食べへん?」
「今聞かないと忘れるかもしれないので」
「忘れたらあとで聞けばええやん。実際、一年は、まだレースせえへんのやから」
「覚えているうちに整理したいんです」
「清っち、真面目すぎて草」
星羅はポテトを一本つまみながら笑った。
そのとき、少し離れた席にいた女子二人組が、こちらを見ながら何か話しているのが瞳子の目に入った。
目が合うとすぐに逸らされた。知り合いだろうかと思ったものの、瞳子には見覚えがない。
「そういやさ」
星羅が今度は周囲を見回した。
「さすがに今日は先輩と会わないよね?」
「知らんけど、九月以降は会わんようになるで」
「なんで?」
「二年は厩舎実務あるからや。学校離れて、実際の厩舎で勉強する期間が増えるし」
「へえ。じゃあ一条先輩たちもいなくなるんだ」
「ずっとやないけどな」
「そっか。ちょっと寂しくなるじゃん。一条先輩のダウナー感が病みつきになるんだよなぁ」
星羅が何気なく言うと、小町が意外そうに見た。
「話したん一回だけやん」
「一回でも知ってる人がいなくなるのは寂しいっしょ」
「せやな。うちは、火山先輩のザ・ファイターって、感じが好きやし」
そう言って、最後のポテトを口へ放り込んだ。
食事を終え、今度は飲み物を買おうという話になったところで、小さな問題が起きた。
「……財布がありません」
清華が鞄の中を確認しながら言った。
「え?」
瞳子たち三人が揃って見る。
「部屋で話すと思っていたので、持ってきていません」
視線が小町へ集まった。
「うちを見るなや。まさかほんまに財布も持たんと来るとは思わへんやろ」
「清華さん、私が出すよ!」
瞳子はすぐにスマートフォンを取り出した。
以前の外出で星羅に教えてもらった決済画面を開き、慣れた手つき――のつもりで操作する。
会計を済ませると、清華へ画面を見せながら、少し胸を張った。
「清華さん。スマホで払えちゃうんだよ」
「……そうなんですか?」
予想外の反応だった。
「え?」
「知りませんでした。斎藤さん、ありがとう御座います。寮に戻りましたらお返しします」
今度は小町と星羅まで清華を見る。
「いやいや、知らんかったん瞳子ちゃんくらいやと思ってたわ」
「とこに教えたとき、こっちがびっくりしたもん」
「清華さんも知らなかったの?」
「普段、支払いはカードなので」
一瞬、三人とも黙った。
「……やっぱお嬢様じゃん」
星羅が言う。
「違います」
清華の返事だけが妙に速かった。
そのあと星羅は無脂肪乳に変更したドリンクを受け取り、一口飲んで満足そうに頷く。
「はい。これでさっきのハンバーガー分チャラ」
「なってへん」
「なんでよ」
「牛乳変えただけでハンバーガー消滅するわけないやろ」
「気持ちの問題だって」
「それなら最初から好きなん飲めや」
瞳子が笑いながら自分の飲み物へ口をつけた、そのときだった。
「あの……」
近くから声を掛けられる。
振り向くと、さっきこちらを見ていた同年代くらいの女子二人が立っていた。
「あの、競馬学校の人ですよね?」
「え?」
星羅が眉を上げる。
一人がスマートフォンの画面をこちらへ向けた。
そこに映っていたのは、見覚えのありすぎる四人だった。
「これ……」
東京競馬場。
左から小町、瞳子、清華、星羅。
ダービーの日に撮られた、競馬学校公式アカウントの写真だ。
「私たちじゃん!」
瞳子が声を上げる。
「いや、本人やからな」
小町が突っ込む。
「てか、何これ……めっちゃ見られてない?」
星羅が画面を覗き込み、目を見開いた。
反応の数が、瞳子には多いのか少ないのかよく分からない。ただ、下へ続いているコメントの量を見る限り、学校が普段載せている写真とは少し様子が違うらしい。
「ダービーの日から話題になってて。四人ともすごく可愛いって」
「マジ?」
星羅が嬉しそうにする隣で、小町は露骨に困った顔をした。
清華だけは画面をじっと見たあと、真顔で言う。
「……私、やっぱり笑っていませんね」
「そこ!?」
星羅が即座に突っ込んだ。
最初に声を掛けてきた二人と話しているうちに、周囲にいた人まで気づき始める。
質問は、なぜか清華へ集中した。
「馬術で全国優勝したって本当ですか?」
「はい」
「騎手になるんですよね?」
「そのために学校にいますので」
最初こそ清華は丁寧に答えていた。
ところが、一人増え、二人増えるにつれて、口元の笑みが少しずつ硬くなっていく。
「髪の毛綺麗。やっぱ、あれですか?」
「あれ?」
「温泉とかにある、馬シャンってやつですよ」
「いえ、違いますけど」
「彼氏さんとかいるんですか?」
「その質問は関係ありません」
今の、ちょっと怒ってる。
瞳子にも分かった。
星羅と小町も同じだったらしい。
三人はほとんど同時に顔を見合わせると、清華を囲むように前へ出た。
「はいはい、そこまで!」
星羅が両腕を広げる。
「お嬢様を守らなくては」
小町まで悪ノリする。
清華の眉間に、今度こそはっきり皺が寄った。
「お嬢様って言うの、やめてください」
「ほら、怒った! 撤退や!」
「誰のせいですか、成瀬さん」
笑いを堪えながら、瞳子も清華の前へ身体を入れる。
「ごめんなさい、学校の決まりもあるから、写真とか動画は勝手に撮れないんです」
星羅も「また学校のSNS見てください」と手を振り、四人は人が増える前にその場を離れた。
帰り道。
「……疲れました」
清華が心底うんざりした声で言った。
「一番声かけられてたもんね」
星羅が苦笑する。
「なんで清華ちゃんばっかりやったんやろな」
「知らん。美人だからじゃん?」
「藍沢さん」
「褒めてるんだから、素直に受け取りゃ良いのに」
星羅がため息をつくと、瞳子は思わず笑った。
「でも、すごかったね。私たちの写真、あんなに見られてたんだ」
「学校に戻ったら、教官にも一度確認したほうがいいですね」
清華はそう言って、少しだけ歩く速度を上げた。
「あ、清華さん待って」
瞳子が追いかけると、小町と星羅もそのあとに続く。
四人はそのまま一緒に寮へ戻った。




