↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/56

小町Side① 足りないものから

 自主トレーニングの内容を増やしてから、二週間ほどが経った。


 授業を終え、夕方の馬房作業まで済ませたあと、今日もトレーニング室で身体を支える。二週間前なら、とっくに姿勢が崩れていたところでも、今はまだ耐えられた。

 教官と相談して組み直したメニューを毎日続けてきた成果が、ほんの少しずつではあるけれど出ている。


 せやけど、満足なんかできるわけがない。


 腕に力を込めながら、今日の騎乗訓練を思い返す。最初のころに比べれば、馬の動きに合わせて姿勢を保てる時間は確実に延びた。それでも少し負荷が増えれば腰が落ち、脚で支えきれなくなってくる。


 正解は分かっとるのに身体が動かへん。これが一番イラつくねん。



 一度身体を休め、乱れた呼吸を整える。二週間で筋力が劇的につくわけがないことくらい、もちろん知っている。身体を作るには時間が掛かるし、無理をすれば故障にもつながる。


 そんなこと、頭では全部分かっとる。

 分かっとるからこそ、余計に焦るんやろか。


 今日も星羅は、教官から一つ指摘されただけで、次にはもう動きを修正していた。


 少し前の買い物で、


『一番あるのは筋肉やろ。見た目細いのに筋肉量は多そうやし』


 軽く言ったけど、あんなん冗談でも何でもない。


 星羅は身体の使い方そのものが上手い。馬に乗った経験なんてほとんどなかったくせに、一度感覚を掴めば次からは同じ失敗をしない。最初はぎこちなかった姿勢も日に日に安定してきたし、体力トレーニングでも苦しそうな顔こそするものの、結局最後まできっちりこなしてしまう。


 ほんま、羨ましいわ。


 別に、星羅が嫌いなわけやない。むしろ一緒におれば楽しいし、何を言っても大抵は返してくるから話しやすい。瞳子ちゃんともすぐ仲良くなって、今では三人で過ごす時間もずいぶん増えた。


 せやからこそ、余計に思ってしまう。


 その身体、ちょっとでええから分けてくれへんかな。


 清華ちゃんには、長年の馬術で培った技術がある。瞳子ちゃんは馬の変化を感じ取るのが早く、初めて乗る馬でも相手の様子をよく見ている。


 もちろん、自分にも馬や競馬の知識ならある。


 小さいころからレースを見て、馬を見て、おじいちゃんやオトンから話を聞いて育った。

 レース展開を読むことも、馬の癖を覚えるんも好きで、誰に教わらんでも自然と頭に入ってきたんや。

 

 ――せやけど、レースは知識だけでは勝てへん。


 どれだけ正しい乗り方を知っていても、自分の身体がそれを実行できへんかったら意味がない。


「……あとちょいやな」


 小さく呟いて、もう一度身体を起こす。


「何が?」

「うわっ!?」


 突然背後から声を掛けられ、危うく姿勢を崩しかけた。


「びっくりさせんなや!」

「驚かすつもりなかったし」


 振り返れば、入口に見慣れた顔が立っていた。競馬学校に入ってからすっかり見慣れた坊主頭に、太い眉と大きな瞳。昔から、あの顔には妙に嘘がつけへん素直さがある。

 同期であり、小さいころからの幼馴染――狛井風磨《こまいふうま》。


「何しに来たん?」

「トレーニング。見たら分かるやろ」

「うちがおるから来たんちゃうん?」

「なんでそうなんねん」


 即座に否定された。


 何や、ちゃうんか。まあ、別にええけど。


 風磨は空いている場所へ荷物を置くと、慣れた様子で準備を始める。


「最近、毎日ここおるやろ」

「毎日ちゃうわ。休む日もある」

「そこはちゃんと守るんやな」

「当たり前やろ。筋肉は休ませるんも大事なんやで」

「超回復くらい知っとるわ、アホ」

「風磨に一つ忠告しといたる」

「なんや?」

「筋トレより柔軟やりぃ。骨盤周り硬いやろ、常歩ん時、上半身がぐらぐら揺らいとるで」

「それも、知っとるわ!」


 昔からこうだ。


 競馬の話をすると、こいつは時々、面倒くさそうな顔をする。せやのに結局最後まで聞いとるから、本当に嫌なわけではないんやろう。


「で、小町はどうなん?」

「何がや?」

「……筋肉。増えたん?」

「二週間で見て分かるほど増えるわけないやろ」

「夏にはムキムキになるんちゃうかった?」

「誰から聞いたん、それ」

「星羅」

「あいつ……!」


 今度会ったら覚えとけ。


 ……まあ、自分で言うたんやから、怒るほどでもないけど。


 風磨は笑いながら隣で身体を動かし始めた。同じ年齢で同じ騎手を目指している。それなのに、こっちより明らかに余裕がありそうなのが腹立たしい。


「自分も筋肉あるよな」

「急に何やねん」

「比べとるだけや」

「誰と?」

「うちと」


 一瞬、返事が止まった。


「……お前、小さいもんな」

「そんなん、言い訳にならへん」

「身長やなくて、心の器な」

「話の流れ的に関係ないやろ!? それに、自分よりどデカいわ、アホ」


 睨めば、風磨が笑う。余裕ありそうにしよって腹立つわ。


 負けじと身体へ力を入れ、そのまましばらく互いに黙って、それぞれのメニューをこなした。誰かと一緒だからといって急に楽になるわけではない。それでも、一人で黙々と続けるよりは時間が早く過ぎる気がする。


 やがて休憩に入り、壁にもたれながら息を整えていると、ふと思い出した。


「そういや、風磨。この前のレース見た?」

「どれ」

「忍さんが三番人気の『アウレウス』とのコンビで勝った皐月賞や」


 ――皐月賞、日本ダービー、菊花賞。

 三歳馬が一生に一度しか挑めないクラシック三冠、その最初の大一番『皐月賞』

 あの舞台を制したんや、と思うと誇らしくなる。



「……見た」

「やっぱ凄いよなぁ。今じゃ若手の筆頭格やし」

「若手か? アラサーやん」

「ちゃうやろ! 二十五や。騎手ではギリ若手やろ」


 自然と声が弾む。


 忍さんと初めて会ったのは、彼がまだ競馬学校生だったころ。実習先が祖父の厩舎になったのがきっかけで、それ以来の付き合いになる。

 今は厩舎を離れ、特定の厩舎に所属しないフリー騎手になったけれど、以前にも増して活躍している。


 小さいころの自分にとって、騎手といえば真っ先に思い浮かぶ人だった。

 

 厩舎へ遊びに行けばいつも声を掛けてくれたし、子どもの自分が延々と競馬の話をしても、面倒くさがらずに聞いてくれた。


 何より、馬に乗っている姿が格好よかった。


「直線入ったところ見た? あそこで前詰まると思ったやろ。でも無理に外へ出さんと、一瞬待ってから内が開くの見て――」

「見たって」


「いや、でもあそこはほんま凄いやん。普通ならもう少し早く動きたくなるところを待てるんやで? しかもそこで無駄に走らせへんかったから、最後に使う脚もちゃんと残しとるし」

「分かったって」

「何やねん」


 さっきまで普通やったのに、急に返事が雑になった。


 横を見ると、どう見ても面白くなさそうな顔をしている。


「昔から忍さんの話になると機嫌悪なるよな」

「別に悪くない」

「悪いやろ」

「悪くない」

「何でそんな張り合うん?」

「張り合ってへん!」


 いや、どう見ても張り合っとるやろ。


 小さいころからそうだった。祖父の厩舎で忍さんと話していると、いつの間にか近くへ来ていたり、あとから妙に対抗するようなことを言ったりする。


 何がそんなに気に入らんのか、今になってもよう分からん。


「まさか嫌いなん?」

「……嫌いっつーか」

「めっちゃええ人やで。昔、ウチのこともよう可愛がってくれたし」

「知っとるわ」

「ならええやん」

「それが気に入らんねん」

「は?」


 意味が分からず顔を見る。


 風磨は一瞬こちらを見たあと、すぐに視線を逸らした。


「何でもない」

「何やねん、気になるやろ」

「そのうち俺が追い越す」

「……誰を?」

「あいつ」


 さすがに目を丸くした。


「忍さんを?」

「そう」

「無理やろ」

「即答すんな」

「いや、だって今、騎手の年間勝利数ランキング――リーディングでも十位以内やで?」

「知っとるわ!」

「なんなら来週は皐月賞馬《アウレウス》でダービー騎乗やで? 勝ったらダービージョッキーやで??」


 勝てば皐月賞と合わせて、三冠のうち二つを制するクラシック二冠、風磨も知ってるくせに。


「まだ、なってないやろ! 勝つか分からへんし」

「勝つに決まっとるやろ!」

「知らん! どっちにしても俺がデビューしたら追い越すって言ってんねん!」


 急に熱くなった幼馴染を見て、思わず吹き出した。


「なんで笑うねん」

「いや、自分、昔から変わらんなぁと思って」


 ほんま、変わらへん。


 子どものころから、忍さんの話になるとこれだ。当時はまだ騎手ですらなかったのに「俺の方が上手くなる」と言い、レースで勝ったと聞けば悔しそうな顔をしていた。


 今度は、デビューしたら追い越すらしい。


「頑張りや」

「何やその上から」

「応援してるってことやん」

「お前は?」

「ん?」

「お前も騎手になるんやろ」


 笑いが止まった。


 当たり前のことを聞くな、と返そうとして、なぜか少しだけ言葉が遅れる。


「……なるよ」


 もちろん、そのためにここへ来た。


 知識だけなら負けたくない。馬のことも、競馬のことも、もっと覚えたい。


 いつか、忍さんと同じレースに乗ってみたい。


 そのときに「大きくなったな」と笑われるだけでは嫌や……それすら、言ってもらえるか分からへんし。


 一人の騎手として見てもらいたいし、できることなら、いつか勝ちたい。


 そのためには、今のままでは足りへん。


「ほな、休憩終わり」

「もう?」

「忍さんを追い越すんやろ?」

「お前が言うんかい」

「ウチも追いつかなあかんからな」

「誰に?」


 聞かれて、少しだけ考えた。


 星羅にも、清華ちゃんにも、瞳子ちゃんにも、それぞれ自分にはないものがある。


 忍さんにも。

 隣にいる風磨にだって。

 せやけど、誰かと同じになりたいわけやない。


「……全員」

「欲張りやな」

「うるさい」


 立ち上がって、もう一度自分の場所へ戻る。


 二週間前よりは、ほんの少しだけできることが増えた。明日になったからといって、急に身体が強くなるわけではないけれど、それでも一日ずつ積み重ねていけば、いつか今できないこともできるようになる。


 知識だけではどうにもならへんなら、足りないものを身につければええ。


 今の自分に必要なのは、それだけや。


「ほら、自分もやるで」

「分かっとるって」


 隣で幼馴染も立ち上がる。


 騎手になるまで、まだ三年ある。その三年が長いのか短いのかは分からへんけど、追いつきたい相手が何人もおるんやったら、立ち止まっとる暇なんかない。


 姿勢を整え、もう一度身体へ力を込める。


 いつか絶対、追いついたる。


 そのためにまずは、この足りへん筋肉からや。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。