第16レース 初めてのスマホ決済
買い物は、まだ始まったばかりだ。
先輩たちと別れたあとも、三人は店内をあちこち見て回った。
シャンプーや歯磨き粉といった日用品を籠へ入れ、必要なものをひと通り揃えたころ、小町ちゃんが店内の時計へ目を向ける。
「まだ時間あるな」
「じゃあ、お菓子!」
即答すると、星羅ちゃんが笑った。
「とこ、最初からそれしか頭になくね?」
「ちゃんと日用品も買ったよ!」
「言われたもん籠に入れただけやろ」
「それも買い物でしょ?」
反論しながら、お菓子売り場へ向かう。
棚にはチョコレートやクッキー、グミ、スナック菓子がずらりと並んでいた。寮の食事では困らないし、好きなだけ食べられるわけでもない。それでも、こうして自分で選べるだけで妙に楽しい。
「これ好きなんだよね」
手に取ったのは、小さな袋に入ったチョコレートだった。
「それ買うん?」
「うん」
「体重、大丈夫なん?」
「一袋全部いっぺんに食べないし、まだ体重制限まで余裕あるよ」
小町ちゃんに言いながら籠へ入れる。
その横では星羅ちゃんが商品の裏側を見ていた。
「何見てるの?」
「カロリー」
「さっきブラシの値段見てたのに、今度はカロリーなんだ」
「お菓子なんだから普通見るっしょ。アタシ身長もある分、体重もあるし」
「一番あるのは筋肉やろ。見た目細いのに筋肉量は多そうやし」
「そんなこと考えたことなかったな……あっ、こっちの方が量あるし、値段そんな変わんない」
星羅ちゃんは二つの商品を見比べてから、片方だけを籠へ入れた。
「星羅、買い物になると急に細かいな」
「こういう積み重ね大事だから」
言い切ったあとで、星羅ちゃんは棚の上段にあった少し高めのチョコレートへ目を向ける。
一度手に取った。
値段を見る。
それから、さっき籠へ入れたものを見る。
「……いや、二個はいらないか」
結局、元の場所へ戻した。
欲しくないわけではなさそうだった。それでも、本当に必要かどうかを考えてから決めている。
私には、そこまで迷うことがあまりない。
欲しいと思って、買えるなら買う。
だから、星羅ちゃんの買い方は少し不思議だった。
「星羅ちゃん、それ好きなら買えばいいのに」
「好きだからって全部買ってたら金なくなるじゃん」
「そうだけど」
「一個あれば十分。そっち食い終わって、まだ欲しかったら次の日曜に買えばいいし」
「次の日曜まで我慢できるん?」
「小町じゃあるまいし」
「なんでウチが我慢できへん前提やねん!」
また二人が言い合いを始める。
瞳子は笑いながら自分の籠へ目を落とした。
チョコレートが一つ。
これだけでもいいかな。
そう思って棚から離れようとしたところで、ふと足を止めた。
「あ」
「どしたん、とこ?」
星羅ちゃんに聞かれ、もう一度棚を見る。
「清華さん」
「清っち?」
「清華さんの分も買って帰ろうかな」
今日、清華さんは一緒に来なかった。
必要なものは特にないと言っていたし、本人がそう決めたのだから仕方がない。
でも、三人だけでお菓子を持ち帰って、自分だけ食べるのも何となく落ち着かない。
「清華ちゃん、何好きなん?」
「……知らない」
小町ちゃんに聞かれて気づいた。
同じ部屋で過ごしているのに、お菓子の好みなんて聞いたことがない。
「甘いもの食べるのかな」
「食べるんじゃね? 女の子だし」
「そういう問題?」
「清っち、なんかドバイとかベルギーで、売ってそうなチョコ食ってそう」
「偏見やろ」
「でも分かる気する」
瞳子もつい頷いてしまった。
清華さんが派手な袋のスナック菓子を抱えている姿は、あまり想像できない。
「じゃあ、これにしよ」
小分けになったチョコレート菓子を一つ選ぶ。
甘すぎなさそうだし、もし好みじゃなくても少しずつ食べられる。
「清っちのだけ、とこのより高くね?」
「えっ」
値札を見る。確かに少し高い。
「……まあ、いっか」
「即決なんだ」
「清華さんのだし」
「理由になってへん」
小町ちゃんに笑われながら、二つ目のお菓子を籠へ入れた。
必要なものをすべて揃え、三人でレジへ向かう。
休日ということもあって何人か並んでいたが、それほど待たずに瞳子の順番が回ってきた。
籠を台へ置く。
商品が一つずつ読み取られていくのを眺めながら、瞳子はジャージのポケットへ手を入れた。
「…………」
スマートフォン。
反対側、何もない。もう一度探す。
「……あれ?」
小町ちゃんが後ろから覗き込んだ。
「どしたん?」
「財布」
「ん?」
「財布がない」
言った瞬間、朝の光景が頭に浮かんだ。
机の上。
公用タブレットの横に置いた財布。
スマートフォンを返してもらったことが嬉しくて、そっちばかり気にして――。
「……寮だ」
「嘘やろ」
「忘れた」
「ガチ?」
星羅ちゃんまで目を丸くする。
「ど、どうしよう」
小町ちゃんか星羅ちゃんに借りて――寮に戻ってから……
「とこ。スマホで払えばよくね?」
「え?」
「スマホで?」
「持ってんじゃん」
星羅ちゃんが瞳子のポケットを指さした。
「これでどうやって払うの?」
「……とこ、ガチで言ってる?」
「言ってる」
「ちょい貸して」
言われるままスマートフォンを渡す。
星羅ちゃんは画面を開くと、指を滑らせながらアプリを探し始めた。
「これ入ってないの?」
「何?」
「決済アプリ」
「さぁ……」
「自分のスマホじゃん」
「まだ全然使ってないもん」
「あーね」
呆れながらも、星羅ちゃんの指は迷わず動いていく。
「あ、あるじゃん」
「あるの?」
「ある。ほら」
画面を見せられる。
見覚えのない決済アプリのアイコンがあった。
「これ押して――」
星羅ちゃんがアプリを開いたところで、指が止まった。
「ん、とこ。なんか通知来てるよ」
「通知?」
「送金っぽい」
「送金?」
ますます意味が分からない。
「自分で見て」
スマートフォンを返される。
画面の上部に、一件の通知が表示されていた。
送信者の名前を見た瞬間、瞳子は目を瞬いた。
「……颯太?」
その下に表示された金額を見て、目を疑った。
「三万円!?」
思わず声が大きくなった。
「とこ、声」
「あ、ごめん」
慌てて小さくする。
「知り合い?」
「うん。牧場の人」
「三万送ってくる牧場の人って何者やねん」
小町ちゃんが覗き込む。
通知の下には、『受け取る』と表示されていた。
さらに短いメッセージが添えられている。
『牧場手伝ってもらった分のバイト代』
「…………」
瞳子はその文字を見つめた。
バイト代。
そんなもの、一度も請求したことはない。
牧場の手伝いだって、瞳子にとっては小さいころから当たり前のことだった。
それなのに。
ふと、新千歳空港での光景が頭に浮かんだ。
『スマホ貸せ』
そう言って、颯太は瞳子の新しいスマートフォンをしばらく触っていた。
連絡先を登録して。
返す直前にも、もう一度だけ画面を操作していた。
「……あれか」
「何か思い出した?」
星羅ちゃんに聞かれ、瞳子は頷いた。
「北海道出るとき、颯太が勝手にスマホ触ってた」
「じゃあ、そのときじゃん」
「でも、バイト代なんて今まで貰ったことないよ」
もう一度メッセージを見る。
理由は、それだけ。使えとも、餞別だとも書いていない。ただ、バイト代。
「……そっか」
なんだか、颯太らしい。
瞳子は小さく笑った。
「これ、『受け取る』押せばいいの?」
「そう」
「押して平気?」
「とこ宛てに送ってきてんだから平気でしょ」
星羅ちゃんに言われ、画面へ指を置く。
少しだけ迷ってから、『受け取る』を押した。
残高へ三万円が加わる。
「入った!」
「そら入るやろ」
「星羅ちゃん、これでどうやって払うの?」
「そこから!?」
今度は小町ちゃんまで笑い出した。
「ほら、コード出して店員さんに見せんの」
「これ?」
「それ」
星羅ちゃんに教えてもらいながら画面を操作する。
店員へ差し出すと、すぐに決済音が鳴った。
「……終わり?」
「終わり」
「すごっ!」
「とこ、タイムスリップしてきた?」
「小町ちゃん、知ってる!? スマホでお金払えるんだよ!」
「だから、なんでウチが知らない前提やねん!」
無事に商品を受け取り、三人でレジを離れる。
瞳子は買い物袋を持ちながら、もう一度スマートフォンを見た。
残高から、さっきの買い物分が引かれている。
ちゃんと使えた。
颯太が送ってくれたお金で。
「あとで連絡したら?」
星羅ちゃんが言った。
「うん」
短くメッセージを打つ。
『バイト代、受け取ったよ。ありがとう!』
送信。
「さて」
小町ちゃんが時計を見る。
「そろそろ戻らんと、ほんまに時間ギリギリなるで」
「え、もう?」
「買い物始めてから結構経っとるし」
「帰りたくないなぁ」
「初外出で遅刻してみ? 次いつ出してもらえるか分からへん」
「帰ろ」
即答すると、星羅ちゃんが吹き出した。
「切り替え早っ」
三人で店を出る。
来たときより荷物は増えたけれど、まだ帰るには少し惜しい。
それでも、決められた時間までに戻らなければならない。
瞳子は買い物袋を揺らしながら、二人と並んで帰り道を急いだ。
寮へ戻り、スマートフォンを再び預ける時間になる前に、瞳子は自分の部屋へ向かった。
扉を開ける。
「戻りました」
机に向かっていた清華さんが振り返った。
「お帰りなさい」
「ただいま!」
買い物袋を床へ置く。
日用品を出している途中で、さっき買った小さな袋が目に入った。
「あ、そうだ。清華さん」
「何ですか?」
「これ」
チョコレート菓子を差し出す。
清華さんはすぐには受け取らなかった。
「……何ですか?」
「お菓子」
「見れば分かります」
「清華さんの」
「私の?」
ほんの少しだけ目が大きくなった。
「うん。今日一緒に行かなかったから、お土産」
「…………」
清華さんが菓子と瞳子の顔を交互に見る。
もしかして甘いもの、嫌いだった?
「チョコ苦手だった?」
「いえ。そうではありません」
「よかった」
瞳子がもう一度差し出すと、今度は受け取ってくれた。
「ありがとうございます」
「うん!」
それだけだった。
清華さんは大きく笑ったりはしないし、すぐに袋を開けることもしなかった。
ただ、机の上に置くときの手つきが、少しだけ丁寧だった。
瞳子も自分のお菓子を取り出しながら、なんとなく嬉しくなる。
初めての外出は、思っていたよりあっという間だった。
次の日曜日は、何を買おう。
そんなことを考えながら、瞳子は買ってきた荷物を片づけ始めた。




