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第10レース 最初の約束 

 次の瞬間にはいつもの清華さんに戻っていた。


「馬術を辞めた理由について、今ここでお話しするつもりはありません」


 静かな声だった。

 記者たちの間に、わずかな空気の変化が生まれる。


 思わず清華さんの横顔を見た。


 言わないんだ。


「ただ、馬術と競馬は同じ馬に乗る競技でも、まったく別のものだと考えています。私は競馬を一から学び、自分の可能性を試したいと思い志望しました」


 理由として何一つ間違っていない。誰もが納得する完璧な模範解答。

 けれど、清華さんがあらかじめ用意していた答えを、ただ読み上げているようにしか聞こえなかった。


「ご家族は、その決断を応援されていますか?」

「……祖父には、応援してもらっています」


 それだけだった。


 記者がもう一つ何かを聞こうとしたところで、学校関係者が時間を気にするように動いた。


「では最後に、将来どのような騎手になりたいか教えてください」

「はい」


 清華さんは少しだけ考えた。


「調教師や厩舎の方々が描いたレースプランを正確に遂行し、その馬の能力を完璧に引き出せる騎手です」


 迷いのない答えだった。


「感情や展開に惑わされず、常に再現性の高いパフォーマンスを出せる存在になりたいです」


 完璧主義。いかにも清華さんらしい。


 自分はワクワクする馬に乗りたい。

 小町ちゃんは周囲から信頼される騎手になりたい。

 星羅ちゃんは――海外の誰かに憧れている、らしい。ホントは違うだろうけど。


 そして清華さんは、指示通りに動いて馬の能力を引き出したい。

 同じ騎手を目指しているのに、考えていることは全然違う。


 面白いな。


 これから三年間、一緒に過ごす。


 今はまだ知らないことばかりだけれど、いつかもっと分かるようになるのかな。


 記者会見のあとは、そのまま写真撮影へ移った。


 八人全員で並び、学校関係者と並び、今度は家族も交えて撮影する。


「斉藤さん、もう少し右へお願いします」

「はい!」

「藍沢さん、少し顎を引いてください」

「はい」


 返事をした星羅ちゃんが、一瞬で表情を作る。

 

 さっきまでとは別人みたいだけど、慣れてない?


 瞳子が横目で見ていると、星羅ちゃんと目が合った。


 ほんの少しだけ口角が上がる。絶対、写真写り気にしてる。


「瞳子、こっち」

「あ、お母さん!」


 家族との撮影では、明里の隣へ並んだ。


「どう? 制服」

「似合ってるよ」

「ほんと?」

「朝からずっと、それ聞きたかったんでしょ?」

「……なんで分かるの?」

「お母さんだもん」


 笑われたのが少し恥ずかしいけど、嬉しかった。


 小町ちゃんのところでは、両親が一緒に写真へ収まっていた。

 父親は撮影が終わると、すぐに別の関係者から声を掛けられている。


 その横で小町ちゃんが「また仕事の話しとる」と呆れた顔をしていた。


「とこ! 写真撮ろ!」


 今度は星羅ちゃんから呼ばれる。


「いいの?」

「いいに決まってんじゃん。ほら!」


 星羅ちゃんの隣には、弟が立っていた。


「お姉ちゃんと一緒でいいの?」


 瞳子が聞くと、男の子は少しだけ考えてから、


「まあ、今日くらいなら」

「ちょっと待って! 何その言い方!? いつも撮ろうよ!」


「姉ちゃん、写真多いから」

「家族写真に枚数制限あんの!?」


 星羅ちゃんが本気でショックを受けている。

 その様子を見ている祖父母は、やっぱり楽しそうに笑っていた。


 なんだか、いい家族だな。


 そして少し離れた場所では、清華さんが祖父と並んで写真を撮っていた。


 二人とも姿勢が綺麗で、どこか似ている。


 撮影が終わる。

 清華さんの祖父が何かを言った。

 清華さんが短く答える。


 それだけ。


 抱き締めたり、笑い合ったりするわけでもない。


 でも。清華さんのお祖父さん、ずっと見てる。


 午前中からそうだった。


 自分から清華さんへ何度も話しかけたりはしない。それでも、離れた場所にいるときも、ときどき孫娘へ視線を向けている。


 きっと、心配なんだろうな。瞳子には、それくらいしか分からなかった。


 家族と話せる時間は、思っていたより短かった。


「次に電話できるの、日曜日かな」

「無理して掛けなくてもいいからね」

「掛けるよ!」


 明里に即答する。


「せっかくスマホ買ってもらったのに、ほとんど学校に預けてるんだよ? 使えるときくらい使うもん」

「はいはい」


 明里が笑う。


「身体には気をつけてね」

「うん」

「無理しすぎないこと」

「うん」

「ちゃんと食べること」

「食べてるけど、食べ過ぎてもいけないし」

「あと――」

「お母さん」

「なに?」

「大丈夫だよ」


 自分で言ってから、少しだけ不思議だった。

 二週間前なら、こんな言い方をしただろうか。


 明里も一瞬だけ目を丸くして、それから笑った。


「そっか」

「うん」

「じゃあ、頑張っておいで」

「うん!」


 やがて保護者たちが帰っていく。

 瞳子は母親の背中が見えなくなるまで手を振った。


 寂しくないと言えば、嘘になる。でも、二週間前に見送られたときとは少し違う。


 今度は自分が残る側だ。ここが、これから三年間過ごす場所なんだから。




 四人で寮へ戻る。


 部屋の前まで来たところで、清華さんが足を止めた。


「では、私は少し休みます」

「え、清っちは来ないの?」


 星羅ちゃんが自分たちの部屋を指さす。


「行きません」

「即答じゃん」

「それと、その呼び方はやめてください」

「えー、可愛いじゃん」

「やめてください」


 二回言った。


「ほな、またあとでな。清華ちゃん」


 清華さんは少し頭を下げると、自室へと向かっていく。


 瞳子もその背中を見送った。


「またあとで、清華さん!」

「……はい」


 少し離れたところから返事が返ってきた。


 そのまま三人で星羅ちゃんと小町ちゃんの部屋へ入る。

 扉が閉まった途端、張り詰めていた空気が一気に消えた。


「っはぁぁぁぁぁぁ……!」


 大きく息を吐きながら、星羅ちゃんがベッドへ倒れ込む。


「終わったぁ!」

「制服皺になるで」

「もう無理。今日だけで一生分ちゃんとした」

「まだ一日終わってへんけどな」


 小町ちゃんが呆れた顔で星羅ちゃんを見る。


 そのまま数秒。


「……で」

「ん?」


 星羅ちゃんが顔だけを上げた。


「何?」

「海外の人って誰やねん」


 来た。


 瞳子も気になっていた。


「私も聞きたい! 星羅ちゃん、誰に憧れて騎手目指したの?」

「…………知らない」

「自分、あれ全部作った話やろ」

「世界のどっかにはいるっしょ、カッコいい騎手」

「騎手目指した一番の理由は金やろ?」

「あんなオフィシャルな場で言う必要なくない?」


 星羅ちゃんが面倒くさそうに髪をかき上げる。


「だってさぁ。本当のこと言っても、絶対変な切り取られ方するじゃん」

「本当のこと?」


 瞳子が聞く。


「『貧しい家庭から騎手へ』とか『家族のために一攫千金』とか、勝手にストーリー作られそうだし」

「あぁ」


 星羅ちゃんは一瞬だけ黙ってから、いつもの調子で笑った。


「メディアとか好きそうじゃん。そういうネタ」

「確かに好きそうやな」

「身内に言うのは別にいいけど、知らない人にまで話すことじゃなくない? アタシ、そういうので見られたくないし」


 小町ちゃんが頷く。


「せやから、あんなキラッキラの顔で適当なこと言うたんか」

「適当じゃないし。見栄えを考えた戦略的回答」

「自分、めっちゃ映り方気にしたやろ」

「それはそう。どうせ記事になるなら、競馬とは無縁だった可愛くて夢のある女の子が騎手を目指す、って方がよくない?」

「それもメディアが好きそうなネタやな」

「今のうちに勝利騎手インタビューの練習でもしとこう。小町、インタビュアーね」

「やらへん。そういつもノッてたまるかっちゅーねん」


「えー。じゃあ、とこがインタビュアーやって」

「わ、私? えっと、じゃあ……今のレースすごかったですね」

「自分、インタビュアーのセンス、ゼロ過ぎやろ」

「まだ質問してないよ」

「質問ですらなかったんかい!」



 三人の笑い声が部屋に響く。


 もし清華さんもここにいたら、また「賑やかですね」って言うのかな。


 それとも、さっきみたいに二回「やめてください」って言うのかな。

 ちょっとだけ見てみたかった。


「よし」


 ひとしきり笑ったあと、小町ちゃんが突然立ち上がった。


「なに?」

「せっかく入学式も終わったんやし、ここで一発、気合い入れとこ」

「気合い?」

「そう」


 小町ちゃんが右手を前へ出す。


「三年間、誰も欠けんと騎手になる。そのための気合い入れや」


 瞳子は差し出された手を見る。


 あ。


 これ、手を重ねるやつだ。


「いいじゃん!」


 星羅ちゃんが一番に手を重ねた。


「自分、こういうときノリ良くて助かるわ」

「でしょ? もっと褒めて」

「調子乗んな」


 二人を見てから、瞳子も慌てて手を伸ばす。


「私も!」


 三人の手が重なった。


「……あ」


 瞳子は思わず声を漏らした。


「なに?」

「清華さんもいたらよかったね」


 二人が一瞬だけ黙る。


 最初に口を開いたのは星羅ちゃんだった。


「誘ったけど、秒で断られたじゃん」

「そうだけど」

「まあ、そのうちやろ」


 小町ちゃんが重ねた手を見ながら言った。


「まだ始まったばっかりやしな」

「それな。三年もあんだから、そのうち清っちも巻き込めばよくね?」

「清華さん、嫌がりそう」

「嫌がってもやる」

「それはやめた方がいいと思う」

「とこ、どっちの味方なん?」


 思わず笑った。


 清華さんはここにはいない。


 少し残念だけど、小町ちゃんの言う通り、まだ始まったばかりだ。


 三年間もある。


 だったら、いつか。


「ほな、いくで!」


 小町ちゃんの声に、瞳子は顔を上げた。


「三年間。誰一人欠けんと、全員で騎手になるで!」

「おー!」

「うん 」


 星羅ちゃんと一緒に声を上げる。


「瞳子ちゃん、そこは『おー』やろ!」

「えっ、合わせるの!?」

「もう一回やな」

「マジ? じゃ、今度はとこが掛け声やって」

「私!?」

「はよ」

「えっと……じゃあ……三年間、頑張ろー!」

「雑っ!」

「とこ、こういうのマジ向いてないって」

「じゃあ星羅ちゃんやってよ!」

「任せて。三年後、全員で――」

「長い長い。もうええわ」


 二週間前。

 ここへ来たときは、誰のことも知らなかった。


 馬術を続けてきた清華さん。

 競馬のことなら何でも知っている小町ちゃん。

 何も知らないのに、身体だけでどんどん覚えていく星羅ちゃん。


 そして、自分。


 得意なことも、苦手なことも違う。

 騎手になりたい理由だって、全然違う。


 清華さんとは、まだほとんど話せていない。

 小町ちゃんや星羅ちゃんのことだって、知らないことの方がずっと多い。


 それでも、これから三年間、ここで一緒に学んで、競い合っていく。


 誰が一番になるのか。

 どんな馬に出会うのか。

 どんなレースを走るのかも、今はまだ何も分からない。


 だからこそ――。


 すっごく、ワクワクする。


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