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追放された万能魔導士の穏やかな万屋生活 ~仕事を押し付けていた元婚約者が破滅しても、もう遅い~  作者: だんよ


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第九話 エリオット視点

 ルミナス王国王宮の大理石の廊下には、かつての華やかで傲慢な貴族たちの笑い声はもはやどこにもなかった。

 聞こえるのは、薄暗い天蓋の下を行き交う近衛兵たちの重々しい軍靴の音と、敗戦処理に追われる文官たちの疲れ切った溜息ばかりだった。

 王都の外縁部には、帝国の攻城魔導砲によって粉々に破壊された城壁の瓦礫が積み上がり、家を失った避難民や傷痍軍人たちが寒さに震えながら炊き出しの列に並んでいる。


 第一王子エリオット・フォン・ルミナスは、玉座の脇に置かれた執務机で、分厚い羊皮紙の綴じ込みを前に深く額を手で押さえていた。

 ロザリア帝国との屈辱的な講和条約の調印から一ヶ月。

 心労で倒れ、退位を余儀なくされた父王に代わり、摂政として王国の全権を握ることとなったエリオットの肩には、崩壊寸前の国家の重荷が容赦なくのしかかっていた。


「殿下。国家最高司法委員会ならびに特務調査班による、レイモンド・ヴァルディスおよび旧宰相派閥の最終調査報告書が完成いたしました」


 法務卿が青ざめた顔で進み出て、血のように赤い封蝋が施された書類の束を恭しく差し出した。

 エリオットは無言でそれを受け取り、封を解いて一枚一枚丹念に目を通していった。


 そこに記されていたのは、エリオットの想像を遥かに超える、底知れぬ腐敗と悪行の数々だった。


「……ここまで、腐りきっていたのか」


 エリオットの唇から、絞り出すような怒りの呻きが漏れた。


 第一に、アルヴィナ・ハルフォードに対する冤罪の全容。

 レイモンドがアルヴィナに着せた「三億ルピスの公金横領」の罪――その実態は、レイモンド自身が愛人のエレナ・カース男爵令嬢と共に高級宝飾品や稀少果実酒、闇カジノでの豪遊に浪費した公金を隠蔽するための、完全なでっち上げだった。

 さらに調査が進むにつれ、レイモンドが着服していた金額は三億ルピスどころか、過去三年間で実に十二億ルピスにものぼることが判明した。魔導院の国防研究費、結界維持の緊急修繕費、地方砦への補給金――それらがすべて、レイモンドとエレナの贅沢三昧のために湯水のように消費されていたのだ。

 アルヴィナの魔力署名が刻まれていたという証拠書類も、レイモンドが裏社会の偽造屋に多額の口止め料を払って作らせた粗悪な偽造品であったことが、偽造屋の身柄拘束と自白によって完全に立証された。


 第二に、宮廷魔導士たちに対する苛烈な弾圧と論文の剽窃、そして文化財の横流し。

 レイモンドがこれまでに発表し、名声を得ていた『多重属性励起理論』や『大結界負荷分散理論』など、数十本におよぶ学術論文は、すべてアルヴィナが血の滲むような思いで執筆したものを横取りしたものであった。

 それだけでなく、将来を有望視されていた若手魔導士たちが独自に研究していた成果を「筆頭への献上」と称して強奪し、それに抗議した者を「反抗的」として辺境の危険地帯へと不当左遷していた事実も明らかになった。

 さらに、王立図書館の禁忌魔導書や古代遺物を無断で持ち出し、裏ルートで他国の闇市場へ転売して私腹を肥やしていたことまでもが発覚した。レイモンドの無能と強欲を隠すために、王国の魔導の未来を担うべき若き才能と国の宝が、何重にも踏みにじられ、潰されていたのだ。


 そして第三に、国家反逆と敵前逃亡。

 ロザリア帝国との軍事衝突の直前、自らの無能が露呈することを恐れたレイモンドは、重要書類をすべて放置し、違法な闇の長距離転移門を使って他国へ逃亡。さらに中立都市グランヴェルにおいて、アルヴィナを脅迫し、あまつさえ第3階梯の攻撃魔法を放って住居侵入と殺人未遂を犯した。


「本日、大評議会において全貴族および軍首脳の前で判決を下す。……罪人どもを引き出せ」


 エリオットの冷徹な命令が下された。


 ◇


 王宮の大評議の間。

 かつてアルヴィナが理不尽な断罪を受け、嘲笑の中で追放されたその同じ大広間の壇下に、鎖で縛り上げられた三人の罪人が引き据えられていた。


 レイモンド・ヴァルディス。

 元宰相ヴァルディス公爵。

 そしてエレナ・カース男爵令嬢。


 豪奢なドレスを剥ぎ取られ、薄汚い囚人服を着せられたエレナは、髪を振り乱して床に額を擦り付け、泣き叫んでいた。


「殿下! エリオット殿下ぁっ! わたくしは騙されていたのですわ! すべてレイモンド様に唆されただけで、わたくしには何の罪もございません! あんな男に騙されたわたくしこそが被害者です! どうかお慈悲を……!」

「黙れ、浅ましい売国奴め」


 エリオットは一瞥すらくれず、冷たく一喝した。


「貴女がレイモンドを唆し、アルヴィナ殿を追い出すための偽証を画策した証拠の手紙が、貴女の屋敷から山のように押収されている。横領された公金で購入されたドレスや宝石に囲まれ、国を破滅へ導いた共謀者として、情状酌量の余地は微塵もない」


 エレナは絶望に白目を剥き、その場に崩れ落ちた。


 その隣で、かつての権勢を誇った宰相ヴァルディス公爵は、老いた身体を小刻みに震わせ、ただ呆然と床を見つめていた。


「宰相閣下。貴殿は息子の無能と不正を知りながら、己の権力欲のためにそれを隠蔽し、真に国を支えていたアルヴィナ殿を排除した。その結果、我が国は戦火に呑まれ、多くの民と兵士が命を落とした。……この罪の重さを、どう贖うつもりだ?」

「……申し訳……ございませぬ……殿下……」


 公爵の口から漏れたのは、力のない掠れ声だけだった。


 そして――最後に残されたレイモンド。

 魔力遮断の鉄枷を嵌められたレイモンドは、血走った目を剥き出しにし、狂気に満ちた形相でエリオットを睨みつけていた。


「ふ、ふざけるな……! 私は悪くない! 悪いのはすべてアルヴィナだ! あいつが私の命令通りに戻ってきて、帝国の書類を処理していれば、こんなことにはならなかったんだ! あいつが私を裏切ったから、我が国は負けたんだああああっ!」


 大広間に集まった数百名の貴族や将官たちから、一斉に軽蔑と怒りのざわめきが巻き起こった。

 国を破滅に追い込んでなお、何一つ自らの罪を省みず、他人に責任を転嫁し続けるその醜悪さに、誰もが吐き気を催していた。


「……どこまでも救いようのない男だな」


 エリオットは立ち上がり、佩刀の柄に手を置いて、厳粛なる国家最高判決を朗読した。


「判決を言い渡す。――元宰相ヴァルディス公爵は、国家反逆幇助および連帯責任により、公爵位の剥奪、全財産の没収、王都からの永久追放に処す」

「元男爵令嬢エレナ・カースは、公金横領共謀および国家反逆共謀により、貴族籍の剥奪、全財産の没収、ならびに北東国境の崩壊要塞修復現場における三十年間の強制労働刑に処す」

「そして――大罪人レイモンド・ヴァルディス」


 エリオットの金色の瞳が、冷徹な光を放った。


「貴様には、公金横領罪、国家反逆罪、敵前逃亡罪、虚偽告発罪、ならびに他国における殺人未遂の罪により――魔力回路を永久に焼き切る『魔導封印刑』を執行の上、貴族籍を剥奪。最果ての黒鉄鉱山における終身強制労働刑に処す。二度と日の光を浴びると思うな」

「ひ、ひいっ……! 魔導封印……!? 鉱山で終身労働……!? 嫌だあああっ! 私は天才筆頭魔導士なんだ! 父上、助けてくれ! エリオット、貴様許さんぞおおおっ!」


 激しい絶叫を上げながら暴れるレイモンドに、執行官の術式針が突き立てられた。

 ジュウウウッ、と肉の焦げる音と共にレイモンドの体内から青白い魔力の光が霧散し、彼の魔力回路は完全に焼き尽くされた。

 ただの無力な罪人となったレイモンドは、憲兵たちに引きずられ、二度と戻ることのない地下牢の闇へと連行されていった。


 ◇


 罪人たちへの断罪は終わった。

 だが、ルミナス王国に残された現実は、あまりにも過酷で悲惨なものだった。


 大広間を出たエリオットを待っていたのは、軍務卿と文官たちからの絶望的な報告の嵐だった。


「報告いたします……。本日午前中だけで、王立魔導院に所属する上級魔導士十二名、ならびに熟練の魔導技師三十名が、辞職届を提出して王都を去りました」

「彼らは『冤罪でアルヴィナ様を追放し、無能な貴族を野放しにしていたような国には、命を預ける価値がない』と言い残し、自由商都グランヴェルや隣国の研究機関へと移籍していきました……」

「前線の兵士たちの士気も最悪です。敗戦による領土割譲と、天文学的な賠償金の支払いのため、増税と軍事予算の縮小は避けられません……」


 エリオットは玉座の間を見上げ、深く、重い溜息をついた。

 アルヴィナという、国の魔導とインフラを一手に支えていた稀代の至宝を、自らの愚かさで見殺しにし、追放してしまった代償。

 その罪を暴き、元凶を処罰したところで、一度失われた信用と人材は二度と戻ってはこないのだ。


 かつて大陸最強の一角を誇ったルミナス王国は、今や周辺諸国の嘲笑と憐憫の対象となる、弱小な三流国家へと転落してしまった。


「……すべては、我々の不徳の致すところだ」


 エリオットは羊皮紙とペンを手に取り、自らの血判を押した最高位の『国家公式謝罪状』と『国外追放撤回・名誉回復宣言』を書き上げた。


 そして、かつてアルヴィナから魔導の薫陶を受け、今は近衛魔導隊の若き隊長を務める青年魔導士ルーカスを執務室に呼び出した。


「ルーカス。特使隊を編成し、自由商都グランヴェルへ向かってくれ。この親書と、王家に伝わる最高の宝剣をアルヴィナ殿に捧げるのだ」

「殿下……アルヴィナ先生は、戻ってきてくださるでしょうか……?」


 ルーカスが悲痛な面持ちで尋ねた。

 エリオットは静かに首を横に振った。


「戻るはずがない。あのような清らかな心を持つ至高の魔導士が、自らを裏切り、踏みにじったこの薄汚れた泥舟に戻る理由など、どこにもないのだ。……だが、それでも我々は行かねばならん。許しを乞うためではない。国家としての最低限の仁義を通し、彼女の名誉を全世界に対して完全に雪ぐためにだ」

「……はっ! 承知いたしました!」


 ルーカスが深々と敬礼して退出していく背中を見送りながら、エリオットは窓の外、遥か南西の空を見つめた。

 落日の祖国の空とは対照的に、その彼方には、どこまでも果てしなく広がる青空が広がっているはずだった。


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