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追放された万能魔導士の穏やかな万屋生活 ~仕事を押し付けていた元婚約者が破滅しても、もう遅い~  作者: だんよ


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第八話

 自由商都グランヴェルの北門広場には、重苦しい緊張感と、冷徹な軍靴の音が響いていた。

 海からの湿り気を帯びた涼風が吹き抜ける中、広場の中央に据え付けられた頑丈な鉄格子の護送馬車には、全身に幾重もの魔力遮断合金の鎖を巻き付けられ、口に猿轡を噛まされた男――レイモンド・ヴァルディスが押し込められていた。


「うー! うーっ! ぐぎぎぎっ……!」


 血走った琥珀色の目を剥き出しにし、獣のように唸り声を上げながら暴れるレイモンド。

 かつての艶やかな金髪は泥と油で固まり、豪奢だったはずの金糸の刺繍が施された特注外套はボロボロに裂け、見る影もない無様な姿に成り果てていた。

 だが、鉄格子の周囲を固めるグランヴェル警邏隊の隊員たちも、護送を引き継ぐために王都から早馬で駆けつけたルミナス王国憲兵隊の精鋭たちも、誰一人として彼に同情の目を向ける者はいなかった。


「シリル副隊長。ルミナス王国最高位重罪人、レイモンド・ヴァルディスの身柄を確かに受領いたしました。グランヴェル自治評議会ならびに警邏隊の迅速かつ厳格なご協力に、王国軍を代表して心より感謝申し上げます」


 ルミナス王国憲兵隊長が、重々しく胸に手を当てて敬礼を交わした。

 シリルは厳しい表情を崩さず、頷いて佩刀の柄に手を添えた。


「引き渡しは完了だ。……あんたらの国の元筆頭魔導士様は、うちの街で深夜の住居侵入、器物損壊、殺人未遂をやらかしてくれた。我が街の大切な万屋店主を傷つけようとした罪、本国でたっぷりと償わせてやってくれ」

「はっ。エリオット第一王子殿下の御命令により、王都到着と同時に国家最高軍事法廷にて裁定が下される手筈となっております。……国家反逆と敵前逃亡の大罪、決して生ぬるい処分にはなり得ません」


 憲兵隊長は冷徹に言い捨てると、馬車の鉄扉を重々しい金属音を立てて閉ざし、王都へと向けて護送隊を発進させた。

 車輪の軋む音と共に遠ざかっていく護送馬車の列を、城壁の上から静かに見送る人影があった。

 白銀の長髪を海風になびかせた女性――アルヴィナだった。


(これで、本当にすべてが終わったのね)


 かつて自分を縛り付けていた過去の理不尽と、偽りの婚約の軛が、遥か彼方の地平線へと消え去っていく。

 アルヴィナは静かに瞳を閉じ、澄んだ潮騒の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


 だがその頃、レイモンドが職務を放棄して引き起こした災禍の炎は、すでにルミナス王国全土を焼き尽くさんばかりに猛威を振るっていた。


□□□□□□□


 ルミナス王国北部、かつて「不落の巨壁」と謳われた『アギト監視要塞』は、今や黒煙と紅蓮の炎が天を焦がす地獄絵図と化していた。


 ――ズガガガガガガアアアアンッ!


 ロザリア帝国軍が誇る戦略級攻城魔導砲の斉射が、要塞の外壁を飴細工のように粉砕する。

 飛び散る巨石の瓦礫と、逃げ惑う王国兵たちの悲鳴が戦場に木霊していた。

 要塞の地下指令室では、鎧を煤と血潮で汚した第一王子エリオットが、血のにじむような形相で戦況図を睨みつけていた。


「報告! 第三防衛線の魔導大隊、敵の複合属性爆撃により壊滅! 残存部隊は総崩れとなって後方への撤退を開始しました!」

「予備の防衛魔導具が起動しません! 魔石の循環回路が次々とオーバーヒートを起こし、術式を展開できません!」


 次々と飛び込んでくる絶望的な凶報の数々。

 エリオットは奥歯が砕けんばかりにギリリと噛み締めた。


「前線の魔導士たちの士気はどうなっている!?」

「だ、駄目です……! 兵士たちの間に『筆頭魔導士が敵前逃亡した』『アルヴィナ様を冤罪で追い出したから天罰が下ったのだ』という噂が瞬く間に広まり、全軍の士気が底をついております……!」


 宮廷の腐敗は、軍の末端組織にまで完全に侵食しきっていた。

 かつてアルヴィナが宮廷筆頭補佐を務めていた頃、彼女は前線の兵士たちが命を預ける魔導具の一つひとつにまで自ら目を通し、故障率を極限まで減らす改良術式を刻み込んでいた。さらに、若手魔導士たちの育成にも寝食を忘れて力を注ぎ、現場の叩き上げの将兵たちから絶大な信頼を集めていたのだ。

 だが、レイモンドが筆頭魔導士に就任して以来、アルヴィナを慕っていた優秀な魔導士や技術官たちは次々と「派閥が違う」という理由だけで冷遇され、あるいは嫌気がさして他国へと出奔してしまっていた。

 残されたのは、貴族への媚びへつらいだけで出世した無能な側近たちと、アルヴィナが遺した詳細なメンテナンス指示書を「平民の女の戯言」として破棄してしまった愚か者たちだけだった。


「殿下! 憲兵隊がグランヴェルより重罪人レイモンド・ヴァルディスを連行してまいりました!」


 指令室の鉄扉が開き、憲兵たちに引きずられたレイモンドが床に放り出された。

 猿轡を外されたレイモンドは、エリオットの姿を見るや否や、這いつくばって足元に縋り付き、涙と鼻水を撒き散らした。


「で、殿下ぁっ! お助けください! 私は逃げたのではありません! アルヴィナを連れ戻すために、単身でグランヴェルへ向かったのです! ですが、あの傲慢な平民の女が、殿下の恩赦を拒絶し、私に暴行を加えて……! あいつこそが真の売国奴です!」

「黙れえええっ!」


 エリオットの一喝と同時に、抜き放たれた宝剣の切っ先がレイモンドの喉元へ突きつけられた。

 ヒュッと息を呑み、恐怖で白目を剥くレイモンド。


「貴様がグランヴェルで何をしでかしたかは、自治評議会からの公式親書によってすべて明白だ。夜間に他国の店舗を破壊して侵入し、無抵抗のアルヴィナ殿に攻撃魔法を放った挙句、あっさりと返り討ちに遭って拘束されたそうだな」

「ひ……っ!?」

「どこまで我が国の名誉を泥に塗れば気が済むのだ、この恥知らずめが!」


 エリオットの金色の瞳から放たれる怒りは、もはや人間に対するものではなかった。


「貴様が私利私欲のためにアルヴィナ殿を陥れ、大結界の維持を放棄した結果、どれほどの兵士と民が命を落としたと思っている! 我が軍の防衛線は完全に崩壊し、ロザリア帝国軍は王都の目前まで迫っているのだぞ!」

「そ、そんな……! 父上! 父上はおられないのですか!? 宰相である父上なら、私を……!」

「宰相閣下なら、貴殿の公金横領の連帯責任および国家反逆幇助の容疑で、すでに全財産没収の上、名誉貴族の地位を剥奪され地下牢に収監された」

「な……あ……あ……」


 レイモンドの瞳から、完全に光が消え失せた。

 家柄も、地位も、富も、自分を守ってくれるものはこの世界のどこにも残されていなかった。


「衛兵! この男を地下牢へ連行せよ! 帝国の砲撃で崩れた瓦礫の撤去作業に死ぬまで従事させろ!」

「嫌だああああっ! 私は貴族だぞ! 魔導士なんだあああっ!」


 無様な絶叫を響かせながら引きずられていくレイモンド。

 だが、その男を捕らえたところで、失われた要塞も、崩壊した結界も、何一つ戻ってはこなかった。


 北部戦線が完全に崩壊したルミナス王国軍には、もはや帝国の猛攻を押し留める力は残されていなかった。

 王都の大広間で行われた休戦講和会議の席上、ロザリア帝国の全権大使は、冷酷な嘲笑を浮かべながらルミナス王国の重臣たちへ一枚の羊皮紙を突きつけた。


『我が帝国がこの機に乗じて侵攻を決断した最大の理由をお教えしましょうか? ――貴国が、あの稀代の天才魔導士アルヴィナ殿を無実の罪で追放したと知ったからです。彼女一人が抜けただけで、貴国の魔導防衛網は張り子の虎と化す……我が国の諜報部はすべて正確に見抜いておりましたよ』


 帝国の使節の言葉に、ルミナスの重臣たちは誰一人反論できず、ただ血の涙を流しながら屈辱的な降伏条約に署名するしかなかった。

 北部領土の完全割譲、天文学的な額の戦後賠償金、そして魔導技術の強制開示――大国ルミナス王国は、自らの手で真の至宝を切り捨てた代償として、二度と立ち上がれぬほどの致命傷を負ったのである。


□□□□□□□


 戦火の嵐が吹き荒れる北東の空とは対照的に、自由商都グランヴェルには、今日も穏やかな太陽の光と潮風が満ちていた。

 ハルフォード万屋の工房では、アルヴィナとセリア、そして非番のシリルが並んで、大量の調合薬の梱包作業を行っていた。


「アルヴィナ様、この『滋養補給ポーション』と『外傷軟膏』、港の避難民キャンプへ届ける分はこれで完了いたしましたわ」

「ありがとうございます、セリアさん。シリルさんも、非番なのに配達を手伝ってくださって助かります」

「気にするなよ! 北の戦争から逃げてきた連中、みんな着の身着のままで怯えてるんだ。アルヴィナの作った薬と温かいスープがあれば、どれほど救われるか知れねえよ」


 シリルは頑丈な木箱を軽々と担ぎ上げた。

 港湾地区の空き地に設営された避難民テント村では、アルヴィナの処方した薬と温かな食事によって、多くの人々が安らかな眠りを取り戻していた。

 子供たちはアルヴィナの白銀の長髪を見つけると、歓声を上げて駆け寄ってくる。


「アルヴィナお姉ちゃん! 足の痛いの、すっかり治ったよ!」

「ありがとう、お姉ちゃんのお薬、全然苦くなくて甘い匂いがした!」


 アルヴィナは膝をつき、子供たちの頭を優しく撫でた。


「よかったね。もう痛むところはないかい? 温かいミルクを飲んで、ゆっくりおやすみ」


 子供たちの屈託のない笑顔を見つめながら、アルヴィナは静かに立ち上がった。

 祖国の戦争と凋落の報せを聞いた時、胸が痛まなかったわけではない。

 だが、自らの手で真実を歪め、誠実に働く者を踏みにじった国家の末路を、アルヴィナが背負う義理はどこにもなかった。


「アルヴィナ様……」


 セリアがそっとアルヴィナの隣に寄り添い、優しく微笑みかけた。


「貴女はいつでも、誰かの希望の光ですわ。このグランヴェルで、これからもずっと、私たちと一緒に歩んでいってくださいね」

「ええ、喜んで。ここが、私の生涯の居場所ですから」


 二人の頭上を、真っ白な海鳥の群れが青空へと羽ばたいていく。

 理不尽な追放から始まった物語は、今、確かな愛と絆に彩られた、永遠の平穏へと辿り着こうとしていた。


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