はむしちゃんのおうち
家へ帰ると、翔太は真っ先に春のところへ駆けていった。
「ママ、見て!」
胸ポケットから葉っぱをそっと取り出す。
葉っぱの上では、小さなハムシがのんびり歩いていた。
「この子、はむしちゃん!」
春は顔を近づけたものの、すぐに身を引いた。
「えっ……。」
困ったように幸一を見る。
「ポケットに入れて、連れて帰ってきたの?」
「うん。」
幸一は苦笑いした。
「虫かごの網が少し壊れててさ。翔太がどうしても連れて帰りたいって。」
翔太は葉っぱを大事そうに両手で持った。
「飼っていい?」
春は葉っぱの上のハムシに目をやると、首を横に振った。
「うーん……。この子は、お外にいる方がいいんじゃないかな。」
「いやだ。飼いたい。」
「逃げちゃうかもしれないし。」
「大丈夫!」
「お部屋の中で見つけたら、ママ困っちゃう。」
翔太は、拝むように両手を合わせて、
「お願い。お願い。」
「絶対かわいがるから。」
春は困ったように笑っている。
(まさか、ここまで気に入るとは思わなかったな。)
春は時計に目をやった。
「あっ、もうこんな時間。」
今日は遅番だ。
そろそろ病院へ向かわなければならない。
「とりあえず、今日中に逃がしてあげてね。」
翔太は何も言わず、幸一を見上げた。
その目は、「何とかして。」と言っているようだった。
幸一は考えてから口を開く。
「じゃあさ。ベランダならどう?」
「家の中には入れないから、それなら大丈夫じゃないか。」
「……ベランダだけだからね。」
「やった!」
翔太は葉っぱの上を歩くはむしちゃんを軽く触る。
「よかったね、はむしちゃん。一緒にいられるね。」
「でも約束だからね。」
「うん!」
翔太は何度もうなずくと、葉っぱを両手で大事そうに持ち、ベランダへ向かっていった。
春は時計に目を見る。
「あっ、もう行かないと。」
バッグを肩に掛け、玄関へ向かった。
「じゃあ、行ってくるね。」
「いってらっしゃい。」
幸一が答えた。
玄関のドアが閉まると、幸一は台所へ向かった。
空になったペットボトルを一本手に取る。
そのままベランダへ出ると、翔太は葉っぱの上を歩くはむしちゃんを、しゃがみ込んでじっと眺めていた。
「翔太。」
「ん?」
幸一はペットボトルを見せた。
「これに入れたらどうかな。」
翔太はペットボトルと葉っぱを見比べる。
「おうち?」
「そう。」
「これなら逃げないし、葉っぱも一緒に入れられるぞ。」
翔太の顔がぱっと明るくなった。
「いいね!」
二人はペットボトルを切り開き、葉っぱや小枝を入れて、はむしちゃんのおうちを作り始めた。
「ベッドも作ってあげよう。」
「ご飯もないとな。」
ハムシがいた葉っぱも一緒に入れる。
翔太は葉っぱの上のはむしちゃんを、そっと新しいおうちへ移した。
「できた!」
翔太はうれしそうにペットボトルをのぞき込む。
はむしちゃんは葉っぱの上を歩き始めた。
「気に入ってくれたかな。」
翔太はしばらく夢中になって見つめていた。
満足そうに顔を上げる。
「ねえ、パパ。」
「ん?」
「ママは、何の虫だったら飼っていいって言うのかな。」
幸一は首をかしげた。
(虫の種類じゃないと思うけどな。)
そう言いかけて口を閉じる。
ここで「どんな虫でもダメだよ」と言ってしまえば、翔太はがっかりしてしまう。
幸一は少し考えるふりをした。
「そうだなあ……。」
「カブトムシとか、クワガタとかなら……もしかしたらいいって言うかもしれないな。」
春に確認したわけではない。
この辺で見つかることなんて、まずないだろう。
幸一はそう答えた。
「ほんと!」
翔太の目がぱっと輝く。
「やったー! ぼく、カブトムシもクワガタも大好き!」
「絶対見つける!」
そう言ってベランダへ駆けていく翔太を見ながら、
(まあ、そんなうまく見つかるとは思えないけどな。)




