第一部 第一章「デビューの朝」第二話
ホテルの朝食は七時からだった。
五人で揃ってビュッフェに向かうと、スタッフに「QUARTZの皆さんですよね」と声をかけられた。律が「はい」と答えると、スタッフは少し興奮した様子で「今日のライブ、楽しみにしてます」と言った。
三ヶ月前には、こんなことはなかった。
律はそのことを嚙み締めながら、トレーを持って列に並んだ。
「なあ、俺ってやっぱ顔がいいよな」
隣で海斗がさらりと言った。先ほどスタッフが自分を見ていた視線を受けての発言だった。
「寝起きでよく言えるな」と律は言った。
「寝起きでも顔は顔だろ」
「否定できないのが腹立つ」
海斗はにやりと笑った。こういうところが憎めない。律は苦笑しながらスクランブルエッグをトレーに乗せた。
テーブルに着くと、すでに陽太が山盛りの料理を前にしていた。トースト三枚、ソーセージ五本、サラダ、ヨーグルト、オレンジジュース。
「食いすぎだろ」と海斗が言った。
「ライブ前はエネルギー補給が大事なんです、って遥さんが」
「遥さんはそんなこと言ってない」と聖が静かに言いながら席についた。
「言ってました!絶対!」
「言ってない」
透が通りすがりに一言だけ言い捨てて、一番端の席に座った。陽太は「言ったもん……」と小声で呟きながらトーストを頬張った。
律はそのやりとりを見ながら、温かいものが胸の中に広がるのを感じた。こういう朝が、好きだった。特別なことは何もない。ただ五人でテーブルを囲んで、他愛ない話をしている。それだけなのに、どうしてこんなに満たされた気持ちになるんだろうと思った。
八年前、こんな朝が来るなんて思っていなかった。
「律、食えてるか」
聖が隣から静かに言った。律のトレーを見ていた。トーストが一枚と、コーヒーのかわりに頼んだホットミルクだけだった。
「食えてる」
「それで足りるか」
「足りる」
「嘘つくな」
律は少し笑った。聖には昔からこういうところがある。何も言わないくせに、全部見ている。
「じゃあもう一枚取ってくる」
「俺が取ってくる」
「いい、自分で行ける」
「座ってろ」
聖はすでに立ち上がっていた。律は何も言えなくなって、おとなしく座っていた。向かいで海斗がにやにやしていた。
「なんだよ」と律は言った。
「いや、別に」と海斗は言った。でも笑いを堪えているのは明らかだった。
聖がトーストを二枚持って戻ってきた。一枚を律の前に置いて、もう一枚は自分のトレーに乗せた。
「ふたりで食べろってこと?」と律は言った。
「余ったら俺が食う」
律はトーストを一口食べた。なんでもないバタートーストが、やけにおいしかった。
朝食を終えると、それぞれ部屋に戻って準備をした。
集合は十時。会場入りは十一時。本番は夜の七時。
律は部屋に戻り、シャワーを浴びた。熱めのお湯を頭から浴びながら、今日のセットリストを頭の中でなぞった。一曲目、二曲目、三曲目。振り付け、立ち位置、移動のタイミング。体に染み込んでいるはずのものを、もう一度確かめるように。
シャワーを出て鏡の前に立つと、自分の顔が映った。
二十三歳。
十五歳でこの世界に飛び込んで、八年が経った。
鏡の中の自分は、あのころとどう変わったんだろうと律は思った。うまくなったのか。強くなったのか。リーダーとして、ちゃんとやれているのか。
答えは出なかった。
律はドライヤーを手に取った。考えても仕方ないことを考えるのは、昔からの悪い癖だった。
十時ちょうどに廊下に出ると、全員がすでに揃っていた。
「律、ちょうどだな」と海斗が言った。
「お前ら早すぎ」
「陽太が五分前から廊下に立ってたんだよ」
「だって緊張するじゃん!部屋にひとりでいたら変な気持ちになってきた!」
陽太はすでにそわそわしていた。足をリズムよく動かして、手をぱたぱたさせている。
「落ち着け」と透が短く言った。
「落ち着けないんだって透!」
「うるさい」
「透もちょっとは緊張してるでしょ!」
透は答えなかった。ただ視線をわずかに逸らした。それが答えだと律にはわかった。透なりの緊張の表れだった。
エレベーターに五人で乗り込んだ。狭いエレベーターの中で、律は全員の顔を見渡した。
海斗は余裕そうな顔をしているけど、指先が少し落ち着かなさそうに動いていた。透は無表情だけど、いつもより目線が低かった。陽太は元気そうに見えて、目の端がきらきらしていた。泣きそうなのか、笑いそうなのか、自分でもわからない顔だった。聖はいつも通りだった。いつも通りすぎて、それが一番頼もしかった。
「なあ」と律は言った。
全員が律を見た。
「今日、楽しもう」
特別なことは何も言えなかった。八年分の言葉を全部詰め込もうとしたら、結局一番シンプルな言葉しか出てこなかった。
でも海斗が「そうだな」と言った。透が小さく頷いた。陽太が「うん!」と言った。聖が何も言わずに、律の肩を一度だけ叩いた。
エレベーターのドアが開いた。
五人でロビーに降り立ったとき、入り口の向こうに朝の光が見えた。
今日が始まる、と律は思った。
八年分のすべてを、今日ぶつけに行く。




