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ボロボロ領地が私の力で、いつの間にか聖域と呼ばれるようになっていました。  作者: 逆立ちハムスター


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 ヴァルスト帝国の兵士たちが文字通り『吹き飛ばされて』から、ルデラ領にはさらなる活気が満ちていた。

 領主であるシレンティウス様が、圧倒的な力で外敵から自分たちを守ってくれる。その事実は、難民の皆さんに「ここが安住の地である」という絶対的な安心感を与えていた。


 あれから一ヶ月。

 私の『浄化』と皆の労働力によって、領地は驚くべきスピードで発展を遂げていた。

 ルミナ芋だけでなく、カボチャや豆、そして麦の栽培にも成功した。清らかな川にはどこからともなく魚が泳ぐようになり、森には小鳥たちの囀りが響いている。朽ちた倒木を組み合わせて作っていた小屋は、今や強度を高めたレンガと木材を使った、立派な「家」へと姿を変え、見事な小さな街並みを形成しつつあった。


「カエナ様、おはようございます! これ、今朝採れたばかりのラズベリーです。甘くて美味しいですよ!」

「おはようございます、マリアさん。本当に綺麗! ありがとうございます」


 朝の散歩をしていると、街の人々から次々と声がかかる。私はすっかり「領主の婚約者」あるいは「聖女様」として皆から慕われていた。(婚約者というのは皆の勝手な勘違いなのだが、訂正するのも照れくさくて、つい誤魔化してしまっている)


 私は籠いっぱいにいただいた果物や野菜を抱え、シレンティウス様の待つ館へと戻った。

 館の広々としたダイニングには、すでに彼が席についていた。相変わらず本を片手にしているが、以前のような虚無感はなく、どこかリラックスした空気を漂わせている。


「おはようございます、シレンティウス様。見てください、こんなにたくさんの差し入れをいただいちゃいました」

 私が籠をテーブルに置くと、彼は本から顔を上げ、眩しそうに果物の山を見た。

「……またか。君が外を歩くたびに、食料庫が圧迫されていくな」

「嬉しい悲鳴ですよ。せっかくですから、今日のおやつはラズベリーのタルトにしましょうか」

「……悪くないな」


 彼はそう言って、私が淹れた温かい紅茶――今ではちゃんとしたハーブティー。極上の香りを放つものだ――を静かに飲んだ。


「ところで、シレンティウス様。少しご相談があるのですが」

 私が向かいの席に座りながら切り出すと、彼は「言ってみろ」と短く促した。

「実は、皆から提案があったんです。明日の夜、広場で『収穫祭』を開きたいと」

「ほお」

「ルミナ芋の大豊作と、外敵を退けた平和のお祝いを兼ねて。みんなで火を囲んで、歌って踊って、美味しいものを食べるんです。……シレンティウス様も、参加していただけませんか?」


 私は期待を込めて彼を見つめた。

 しかしシレンティウス様は微かに眉をひそめ、視線を逸らしてしまった。

「……私は……いい。そういう騒がしい場は苦手だ。本を読む時間が減るだけだからな」

「またそんな強がりを言って。領主様が主役なんですから、絶対に参加していただきますよ。それに……」

 私は少しだけ身を乗り出し、上目遣いで彼を見た。

「私、フローリスの収穫祭が大好きだったんです。……シレンティウス様と、一緒に見たいな〜」


 その言葉に彼の手がピタリと止まった。

 しばらくの沈黙の後、彼は小さく息を吐き、ぽりぽりと頬を掻いた。

「……君は、本当にずるいな」

「え?」

「君にそう言われて、断れるはずがないだろう。……分かった。少しだけなら、顔を出そう」

「本当ですか!? やったぁ!」

 私が思わず立ち上がって喜ぶと、彼は呆れたように肩をすくめながらも、その口元には確かな微笑みが浮かんでいた。


 そして翌日の夜。

 ルデラ領の中心にある広場には、赤々と燃える大きな焚き火が焚かれ、周囲にはご馳走が並べられていた。ルミナ芋のポタージュ、川魚の香草焼き、木の実のパン、そして色鮮やかな果実酒。

 リュートの軽快な音色に合わせて、大人も子供も手を取り合い、笑顔で踊っている。


 私は少し離れた場所から、その光景を眩しそうに見つめていた。

 あの日、泥だらけで絶望の淵を彷徨っていた人々が、今こうして心から笑い合っている。私の小さな「浄化」の力が、こんなにも大きくて温かいものを生み出したのだ。


「……カエナ」

 不意に背後から声をかけられ、振り返ると、そこにはシレンティウス様が立っていた。

 いつも通りの質素な服装だが、夜の闇の中で揺れる焚き火の光を反射する銀灰色の髪と瞳は、ハッとするほど美しかった。


「シレンティウス様! 来てくださったんですね」

「約束だからな。それにしても……」

 彼は広場の喧騒を見渡し、少しだけ驚いたように目を細めた。

「ほんの少し前まで『世界の掃き溜め』だったとは、誰も信じないだろうな。これが君の起こした奇跡か」

「私一人じゃありません。皆さんの努力と、シレンティウス様が守ってくださったからです。……ありがとうございます」

 私が深々と頭を下げると、彼は「気にするな」と短く返し、私の隣に並んで立った。


 しばらく無言で燃え盛る火を見つめていたが、やがて軽快な音楽のテンポが変わり、ゆったりとした優雅な曲調へと移り変わった。広場の中心では、何組かの男女が手を取り合い、ワルツのようなステップを踏み始めている。


「……カエナ」

 ふいに、シレンティウス様が私の名前を呼んだ。

 見上げると、彼はどこか居心地が悪そうに視線を泳がせながら、私に向かって右手を差し出していた。


「え……?」

「その……。収穫祭というのは、こういうものなのだろう? ……もし嫌でなければ、だが」

 彼の手は微かに震えていて、耳まで真っ赤に染まっていた。

 あの、軍隊を一瞬で壊滅させた恐ろしい魔力の持ち主が、ただダンスに誘うだけでこんなにも緊張している。その不器用さがたまらなく愛おしくて、私は胸の奥がぎゅっと熱くなるのを感じた。


「……はい、喜んで」

 私は彼の大きな手に、自分の手をそっと重ねた。

 彼の指は硬くて少し冷たかったが、握り返してくれた力は、とても優しかった。


 私たちは広場の中心へと歩み出た。

 私はフローリスの町で少しだけダンスを習ったことがあったが、シレンティウス様は明らかに慣れていない様子だった。ステップは少しぎこちなく、何度も私の足を踏みそうになっては、小さく「すまん」と呟いている。


「ふふっ、シレンティウス様、肩の力を抜いてください。ただ音楽に合わせて歩くだけでいいんですよ」

「……言わないでくれ。私は本を読む以外の身体の動かし方を、すっかり忘れてしまったらしい」

 彼が自嘲気味に笑うので、私も声を上げて笑ってしまった。

 完璧な領主様じゃない。不器用で、本が好きで、でも誰よりも強くて優しい、私の大好きな人。


 私たちは互いの歩幅を合わせながら、ゆっくりと円を描いて踊った。

 炎の光が二人の影を長く伸ばし、夜空には満天の星が輝いている。あの毒の霧に覆われていた頃には絶対に見ることができなかった、息を呑むほど美しい星空だ。


「……カエナ」

 曲の終盤、彼がふいに私を少しだけ強く引き寄せた。

 見上げると、彼の銀灰色の瞳が、真剣な光を帯びて私を見つめていた。


「この領地は、君が美しく変えた。ここはもう、君の国だ。……だから、君はいつまでもここにいていい。いや……」

 彼は言葉を切り、私の手に重ねた自分の手に、さらに力を込めた。


「私の側に、ずっといてほしい。……君の淹れるハーブティーがないと、もう本を読む気が起きないんだ」


 それは彼なりの精一杯の、不器用すぎるプロポーズのようだった。

 私は驚きで一瞬息を止めた後、込み上げてくる涙を堪えきれずに、彼に向けて満面の笑みを向けた。


「はい。……ハーブティーだけじゃありません。お掃除も、お洗濯も、領地の浄化も……全部、シレンティウス様の側でさせてください」


 私の言葉に彼はホッとしたように息を吐き、そして……音楽が止むと同時に、私の額にそっと、本当に触れるだけの優しいキスを落とした。


 周囲から、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。

「ヒューッ! 領主様、お熱いねえ!」

「カエナ様、おめでとうございます!」


 皆が笑顔で私たちを祝福してくれている。

 シレンティウス様は真っ赤になって顔を覆ってしまったが、その耳元まで赤く染まっているのを見て、私は可笑しくて、嬉しくて、また笑ってしまった。


 世界の掃き溜めと呼ばれたボロボロの領地は、私たちの力でいつの間にか美しい聖域になり。

 そして今日、ついに……私にとっての、何よりも大切な『帰る場所』になったのだ。


 星降る夜の収穫祭は、まだまだ終わらない。

 私たちの新しい物語は、今、始まったばかりなのだから。

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