表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第四章 地は割れ、刃となる【武州動乱編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
81/88

第三話 出陣する

 朝賀から半月ほど経った頃。日向は馬を降り、因州の町を見渡した。冷たい北風が頬を撫でていく。


 半年前、この地を覆い尽くしていた乾いた土煙の面影はもうない。


 替わりに広がるのは、刈り取りを終えた田畑だった。

 黄金色に輝いていた稲穂はすべて収穫され、積み上げられた藁束が冬の静けさの中に並んでいる。

 農家の軒先には干し柿が揺れ、家々の間を子どもたちが白い息を吐きながら駆け抜けていった。


「……冬を越せそうだな」


 誰に聞かせるでもなく、日向は小さく呟く。

 あの苛烈な干ばつから、まだ一年も経っていない。それでも、この土地には確かに人の暮らしが戻っていた。


 日向は静かに歩を進める。


 やがて視界の先に、黒く裂けた山肌が姿を現した。白い雪を被った峰々の中で、そこだけが生々しい傷跡を晒している。

 崩れた岩肌、抉られた斜面。雪が降り積もってもなお、その傷は隠しきれていなかった。


「あいつ……」


 朝凪が爆破した山だ。

 書状の報告では読んでいたが、自らの眼で見るその光景に、日向は言葉を失う。


 どれほどの火薬を仕掛け、どれほどの覚悟を持って山を壊したのか。


 日向は山裾へ視線を落とした。新しく掘られた水路には、凍てつく冬の日差しを反射しながら、清らかな水が静かに流れている。


 日向は目を閉じ、小さく息を吐いた。


 桜桃が舞い続けた七日間。

 朝凪が山へ籠もった七日間。


 その傷跡は今もこの土地に深く刻まれている。だが、その傷があったからこそ、この冬を越せる命があるのだ。


 山へ一礼すると、日向は再び歩き出す。向かう先は因州府。彪が待っているはずだ。


 執務室で書類に目を通していた彪は、荒々しい足音に顔を上げた。


 日向は彪の文机の前へ踏み出す。


「彪、頼みがある」


「なんだ。珍しいな」


 日向は少し間を起き、彪を真っ直ぐ見据えた。


「雨乞いをした舞姫・六花のことで……」


***


 同じ頃、朱明家当主・朱明日和が帝への謁見を求めていた。


 大極殿には帝のほか、昊夜、大納言の蘇芳、そして暁や清明ら八省卿が控えていた。


 日和は静かに頭を下げた。四十代前半、落ち着いた所作の女性だった。華やかさよりも静かな重みを纏っている。

 朱明家の当主として武州を治めてきた年月が、その立ち姿に滲んでいた。


「此度は謁見のお時間をいただき、恐悦至極に存じます」


 帝が静かに頷く。


「面を上げよ」


「はい」


 日和は顔を上げた。一息置いてから、迷いのない声で告げる。


「武州蘇原にて、内乱が起こっております」


 場の空気が、しんと冷えた。

 清明は表情を変えず、雲英も穏やかなままだ。昊夜が日和を見据えた。


「詳しく」


「はい。発端は昨年の農作物の減収です。秋の長雨により収穫が落ち込みました。州全体で見れば軽微ですが、余裕のない地域にとっては致命傷となりました。しかし税は例年通りに課され、払えぬ者からは冬支度の食糧まで徴収が及び、冬を越せぬ者が出始めました」


 大蔵卿の鷹取が眉をひそめる。


「減収にもかかわらず、減税の申請が上がっていませんな」


 すかさず昊夜が問う。


「兵糧の備蓄は」


「例年通り確保しております」


「民より備蓄を優先したか」


 昊夜は小さく息を吐いた。

 清明が静かに言葉を添える。


「武州らしい判断です」


 日和は否定しなかった。

 鷹取が渋い顔をする。


「軍備と物流を担う州ですからな。……だからといって、民を飢えさせてよい理由にはなりますまい」


 民部卿の橘が日和に視線を向けた。


「徴収を命じたのは」


「蘇原の豪族、相良一族です。ただ――」


 日和はそこで、わずかに間を置いた。


「税の基準を定めたのは、州府からの指示でした」


 清明がゆっくりと口を開く。


「州府の判断か」


「そのように見えます」


「見える、とは?」


「指示の出所が、いまひとつ定かではございません」


 清明は静かに視線を落とした。雲英が穏やかに口を挟む。


「州府の判断であれば、郷司として事前に止めることはできなかったのですか」


「できませんでした」


 日和は答えた。


「州府は朱明家の管轄ではございません。郷司として実務上、口を出せぬわけではありませんが……今回は、その前に動かれました」


「なるほど」と、雲英は静かに頷いた。


 昊夜は黙ったまま、日和を見つめている。


「現在の状況は」


「蜂起した民と地方兵の一部が、蘇原の州府がある中心部を取り囲んでおります。役所は既に一棟が焼かれ、死者が出ています」


 刑部卿の有馬が口を開く。


「主導者は確認できているのか」


「……そこまでは」


 暁は口元に手を置いた。


「兵を出せますか」


「朱明家として、兵を動かす準備はございます」


 日和はそこではっきりと昊夜を見つめた。


「ただ、武州の兵のみで鎮圧すれば、朱明家が反対勢力を武力で抑えたことになります。中央の名のもとに動く必要がございます」


 大納言の蘇芳が口を開いた。


「そうですな。内乱を一州の問題として終わらせてはなりません。帝命として鎮める。それが国を治めるということです」


 静寂が落ちた。


 帝は昊夜に向き直る。


「昊夜、どう見る」


 昊夜は少し間を置いた。


「長引かせるべきではありません。早期に動かなければ、周辺の州に飛び火します」


「そうか」


 帝は静かに頷いた。


「この件は昊夜に一任する」


 それ以上は言わない。判断をすべて委ねる目だった。


 昊夜は右手を刀の柄へ添え、拝命の形をとった。


「御意」


 場の端で、暁は静かに立っていた。日和の報告を一言も聞き漏らさず、思考を巡らせる。


 農作物の減収。税。徴収。州府の指示。

 それだけならば、よくある地方の困窮と反発の話だった。


(州府の指示の出所が、定かではない)


 日和が言った言葉が、妙に胸に引っかかっていた。


 暁は一度だけ、日和の背中を見た。日和は正面を向いたまま動かない。その横顔には、まだ何かを言いたそうな色が微かに滲んでいた。


 だが、今日は言わないのだと分かった。ここはそれを言える場ではないと、彼女は判断したのだ。


 暁は静かに視線を前へ戻した。


 謁見が終わり、人々が静かに散り始めた。 


 昊夜が大極殿を出ると、外で控えていた近衛たちが一斉に居住まいを正した。


「出陣する」


 近衛は右手を刀に添えた。


「御意」


 短い返答が一つに重なり、近衛たちは迷いなく昊夜の後に続いた。


***


 暁が廊下の角を曲がったところで、日和が暁の隣に並んだ。


 互いに足を止めることなく、言葉を交わす。


「暁、どう思う」


 暁は少しの間、沈黙を守った。


「……腑に落ちない点が、いくつか」


「そうか」


 日和は小さく頷いた。


「私もだ」


 再び沈黙が落ちる。衣服の擦れる音だけが響く中、日和がぽつりと言った。


「不作の年に税を取り立てることはある」


「はい」


「だが、冬を越す食糧まで奪えばどうなるか。役人なら誰でも分かるはずだ」


 暁は答えなかった。


 分かっているからだ。飢えた民は耐えられない。遅かれ早かれ、必ず暴発する。


「まるで――」


 日和はそこで言葉を切った。


「……いや」


 その先は口にしなかった。暁も追及しない。ここで言葉にしてしまえば、それはただの推測では済まなくなる。


 しばらく並んで歩いた後、日和が静かに言った。


「蘇原は頼む」


 暁はわずかに目を見開いた。


「日和殿は」


「私は朱明家を離れられぬ」


 当主としての、重い決断だった。


「だが、お前は違う」


 暁は前を向いたまま、短く答えた。


「承知しました」


 日和はそれ以上、何も言わなかった。ただ、前を見据えるその横顔だけが、先ほどよりも一段と厳しさを増していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ