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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に

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第七話 再び宮廷へ

 昼のざわめきが、通りに戻っていた。

 荷車の軋む音と、人の声が重なる。桜桃は裏口から表へ出ると、ふと足を止めた。いつもより人が多い。何かを囲むように、小さな人だかりができている。


「何かあったんですか」


 近くの者に声をかけると、男はちらりとこちらを見た。


「ああ、知らないのか。帝が替わった」


 一瞬、言葉の意味が入ってこない。


「新しい帝が立ったんだよ。ほら、宮廷もあの騒ぎで壊れただろ。帝都も立て直しで大わらわらしい」


 軽い調子で続けられる。まるで、遠い国の話のように。


「……そう、ですか」


 それだけを返す。それ以上、言葉が出なかった。


 人々の会話は止まらない。


「謀反だなんだって噂もあるがな」


「まあ、俺たちには関係ないさ」


「治安が早く落ち着いてくれればそれでいい」


 笑い声が混じる。


 桜桃は、静かにその場を離れ、店に戻った。

 胸の奥が、ざわりとする。押さえ込んでいたものが、ひび割れるように。


 ──帝が、替わった。


 その言葉だけが、何度も反芻される。

 あの夜の光景が、わずかに蘇る。

 血の色。倒れた影。崩れゆく宮廷。父の、最後の声。


 息を吸う。それ以上、思い出すのを拒むように。

 

 もう、自分には関係のないことだと。そう決めたはずなのに。


「宮廷で人を集めてるらしいね」


 店を閉める支度の中で、店主がぽつりと呟いた。手は止めずに、何気ない調子で。


「人手が足りないんだとさ。あの騒ぎで、だいぶ逃げたらしい」


「……そう、なんですね」


 桜桃は皿を拭きながら答える。


「侍女も足りてないって話だ」


 その一言に、桜桃の手がほんの一瞬だけ止まった。けれど、それを悟られないようにすぐに動かす。


「六花」


 名を呼ばれる。


「行ってみな」


 桜桃が顔を上げる。店主は、こちらを見ていない。いつもの調子で、布を絞っているだけだ。


「ここで食いつなぐのもいいけどね」


 淡々とした声で続ける。


「どうせなら、もう少しまともな飯が食える場所の方がいいだろう」


 桜桃は何も言わなかった。ただ、手を動かし続ける。水の音が、静かに響く。


 店主は、何も聞かなかった。どこから来たのか、なぜここで働いているのか、本当の名前は何なのか。何も聞かずに置いてくれた。その代わりに、水の汲み方を教えてくれて、破片を一緒に拾ってくれた。


 だからこそ、この一言が重かった。


 ──行ってみな。


 それは、追い出しではない。背中を押す言葉だった。


「まあ、決めるのはあんたさ」


 それだけ言って、店主は奥へ引っ込んだ。

 桜桃はしばらく、皿を持ったまま立っていた。



 その夜。桜桃は宿の一室で、膝を抱えていた。

窓の外には宮廷の方角がある。灯りは見えない。でも、確かにそこにある。


 戻る理由を、数えようとした。

 いくらでも出てくる。父の死の真相を知りたい。六花への申し訳なさ。「残せ」という最後の言葉。朝凪が、まだ生きているかもしれない。

 帝都・天澄あますまは、かつての華やかさが嘘のように荒み果てていた。


 大火で焼け出され、住処を失った民が道端にうずくまり、うつろな目でこちらを見つめている。配給が滞っているせいか、あちこちから子供の泣き声や、男たちの殺気立った怒鳴り声が聞こえ、いつもなら巡回しているはずの衛兵の姿も満足にない。一歩路地に入れば、身ぐるみを剥がされかねないほどの、刺々しく危険な空気が帝都を覆っていた。


 そんな治安のどん底にある街にあって、宮廷の裏門だけは、朝の仕事始めに合わせて厳重に開かれる。


 「侍女の募集が出ている」という話は、街のどこへ行っても聞こえてくるほどだった。謀反の後処理で人手が足りない、あそこに行けば飯にありつけるのだと、誰もが藁をも掴む思いで噂し合っている。


 裏門の前には、泥に汚れた衣服をまとった女たちが、すがるような目をして長蛇の列を作っていた。


 桜桃は顔を隠すように深く頭衣かぶりものをまとい、その長い列の最後尾に静かに並んだ。


「次の方」


 女官が顔を上げずに声をかけた。桜桃は一歩前に出て頭衣を取る。


「名前は」


「六花と申します」


「読み書きは」


「少しできます」


 女官がようやく顔を上げた。桜桃を上から下まで見る。品定めをするような目だったが、嫌な感じはしない。ただ、必要なものを確認しているだけの目だった。


「少しって、どのくらい?」


「帳面の整理や、書類の仕分けならできると思います」


「ふうん」


 女官は桜桃の手を見た。少し荒れている。宿で働いていた痕跡が、まだ残っていた。


「……いいでしょう。明朝から来なさい」


 それだけだった。


 こんなに簡単に、入れるものか。桜桃は頭を下げながら、少しだけ拍子抜けした。それから、すぐに思い直す。人手が足りないというのは、本当のことなのだろう。


 門をくぐる。

 懐かしい匂いがした。石と、木と、水の匂い。ここには何度来ても、この匂いだけは変わらない。


 でも、以前とは違う場所に自分は立っている。

 桜桃は息を整えて、歩き出した。


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