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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第二章 乾いた地と、雨の記憶【因州祈雨編】

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第十七話 神罰

 山の上では、すでにすべてが整っていた。

 朝凪は剥き出しの岩肌に手を置き、仕掛けの最終位置を確かめる。水路も繋がり、流れは受けられる形になっている。あとは時を合わせて動かすだけだった。


 そのはずだった。


 ふと、山の上から眼下へ視線を向けた瞬間、朝凪の動きが止まる。


 軍の列が、想定よりもはるかに深く山に入り込んでいる。計算していた範囲の、内側にまで。


「……入っている」


 ここで動かせば、巻き込む。被害が出るどころでは済まない。意図した範囲を越えて、崩れる。


 朝凪は微動だにせず、風の流れをもう一度読み、地形をなぞる。だが、導き出される結論は変わらない。


「……発動できない」


 指先にかけていた力を、わずかに緩める。


 朝凪はきつく目を閉じた。

 その間にも、軍は動く。さらに内へ。境界が、少しずつ削られていく。



 その頃、刹那は無茶苦茶に走っていた。


 軍の前衛が目前に迫る。

 突っ込んでくる影に気づき、兵たちの槍の穂先がわずかに上がった。


「止まれ!」


 刹那は制止を無視して数歩踏み込み、槍の刃先が届く陣の真正面で急停止した。


「これ以上の進行は許可されていない。退け」


 前に出た将が鋭く告げる。その声に揺らぎはない。


 刹那は息を整えながら、将の目を真っ直ぐに見据えた。


「分かってるよ」


 肩を荒く揺らしながらも、刹那は不敵に唇を歪めた。


「だが、こっちだってな……ここを通す気も、これ以上お前らを前に行かせる気もさらさらねぇんだわ」


 兵たちの間に、わずかなざわめきが広がった。


「どうした?」


 後方から声がした。兵が左右に分かれ、疾風が前へ出る。


「何の騒ぎだ?」


「はっ! この男が進路を塞いでおります」


「一人で?」


 疾風は刹那を見た。


「何の用ですか?」


 刹那は即答しなかった。一瞬だけ、背後の街へ意識を飛ばす。桜桃の舞が続いているはずの広場。そして見上げる、朝凪がいるはずの山。

 今お前らがここにいるせいで、全ての歯車が狂っている。だから。


「悪いが、ここから先には行かないでもらいたい」


「……なんで?」


「事情があるんだよ」


「俺たちにも事情があるんですけど」


 疾風は山を見上げた。


「この先で危ないことをしてる連中がいるので、止めないといけないんです」


「それは知ってる」


 刹那は、はぁっと息を吐いた。


「だから、少し待ってくれ。今お前らがそこにいると、全部が無駄になるんだよ」


「……どういう意味ですか?」


「詳しく話してる時間はねえ」


「だったら通せない」


 疾風は静かに答えた。


「俺は山でやってることを止めろって命じられてる。お前の事情も分からないのに、兵を退かせるわけにはいかないでしょう」


 刹那は黙った。


 目の前の若い将は、決して無茶を言っているわけではない。


 その後ろに並ぶ兵たちも、命令に従って動いているだけだ。


 それでも、退くわけにはいかなかった。


「……そうかよ。なら、仕方ねえな」


 刹那は、腰の刀の柄に右手を掛けた。抜かない。ただ、触れるだけ。

 それだけで、場の空気が張り詰める。兵たちの全視線が、彼の右手に集中した。


「待て!」


 疾風が鋭く声を上げた。


「お前、本気か? 一人でこの人数を相手にするつもりなのか?」


「俺だって、やりたかねえよ。戦なんざ、もうこりごりだ」


 けれど、柄を握る手に凄まじい力がこもる。


「だが……ここは、死んでも一歩も進ませねぇ」


 退路を断った重い一言。その瞬間、かろうじて保たれていた均衡が引きちぎれた。


「退けと言っている! ――取り押さえろ!!」


 疾風の鋭い怒号が飛ぶ。


「――止まれって言ってんだろ!」


 刹那は咆哮とともに一歩前へ踏み込み、ついに刀を抜いた。キィンと鋭い金属音が乾いた空気を引き裂く。

 槍の穂先が殺到する。


 刹那は正面から受け止めず、刀を斜めに滑らせて軌道を逸らした。続く槍を弾き、踏み込んできた兵の足元を払う。


 しかし、数が多すぎる。一歩でも下がれば、軍はさらに深部へと侵入してしまう。山の上の作戦を、ここで無に帰すわけにはいかない。


 その瞬間──遠く、空気が揺れる。ほんのわずかに。

 刹那の目がそちらへ動く。


(来るか。まだか)


 分からない。だが、もう後には引けない。


 刹那は足を踏みしめる。地に根を張るように。ここで止める。それがどれほど綱渡りでも。



 その頃、広場では桜桃の舞が続いていた。


 空は、非情なほどに青い。雲ひとつなく、風も乾ききったままだ。何も変わらないその天が、逆に絶望となって肩に重くのしかかる。


 桜桃の動きが、わずかに乱れた。呼吸が浅くなり、胸の焦りが抑えきれなくなる。


(――降らない……っ)


 まだ時間ではないと、頭では分かっている。だが限界を迎えた身体が先に反応してしまう。一歩がわずかに遅れ、翻る袖が弱々しく揺れた。


 けれど、絶対に止めない。ここで止めれば、すべてが終わる。


『降らなきゃ終わる』


『お前は舞うべきことだけに集中しろ』


 昨夜の刹那の言葉が、耳の奥で響いていた。

 だから、舞う。意味があるかどうかではない。ここで足を止めれば、刹那が命懸けで繋いでいる時間も、すべてが水泡に帰す。


 桜桃はきつく歯を食いしばった。重い足を引きずり、腕を上げ、天を仰ぐ。

 空は、まだ青いままだ。


「……っ!」


 声にならない悲痛な息が漏れた。


 その瞬間――、張り詰めた風が、わずかに不規則に揺れた。


 ほんの、爪の先ほどの違和感。だが確かに空気が動いた。桜桃の目が見開かれる。気のせいかもしれない、それでも彼女は、縋るようにその風を掴んで舞い続けた。

 


 同じ頃、山の中腹で朝凪は眼下の軍勢を見つめていた。


 軍の列が、想定していた位置よりもはるかに深く踏み込んでいる。近すぎる。


 このまま仕掛けを動かせば、前線の将兵を確実に巻き込む。崩落の範囲を何度確かめても、その結論は変わらなかった。


「……火薬を減らす」


 傍らにいた男が振り返った。


「何だと?」


「爆破の規模を狭める」


「待て! それじゃあ───」


「あの位置に軍がいる。このままでは巻き込む」


 男は眼下へ目を向け、言葉を失った。


「……いつの間に、あんなところまで」


「急いでくれ」


「くそっ! どこまで減らせるか分からんぞ!」


「できるところまででいい」


 二人は急いで仕掛けの調整に取りかかった。


 しかし、軍は止まらなかった。


 山道を埋める槍の列が、じりじりと内側へ進んでくる。


 朝凪は手を動かしながら、再び眼下を見た。


 隊列の先頭で、何かが激しく動いている。


 一人の男が、兵たちの前に立ちはだかっていた。


「……刹那」


 迫る槍を弾き、押し返し、決して斬ろうとはしない。


 眼下の隊列が大きく動き、刹那が押し返される。


 兵たちが、さらに山の内側へ踏み込んだ。


「――まずい!」


 朝凪は作業の手を止めた。


「待て! まだ終わっていない!」


 男の制止を背に、朝凪は仕掛けに手を掛ける。


「――もう猶予はない」


 ***


 刹那はじりじりと後ろへ押されていた。

 一歩。また一歩。槍の列は寸分の隙もなく、どれだけ刀で受け流しても、次が来る。終わりがない。


「退け!」


「無理だって、言ってんだろ……っ!」


 足を踏みしめるが、乾いた砂地は無情にも力を逃がし、じりっと後ろへ滑る。その一瞬の隙を見逃さず、槍の壁がさらに彼を押し込んだ。


 視線がわずかに横へ流れる。地形を読み、自分の立ち位置を測った瞬間――刹那の背筋に、悍ましい悪寒が走った。


(ここはもう——爆発域……!!)


 背筋が冷える。このままでは、巻き込まれる。逃げ場はない。

 だが——引けない。ここで退けば、すべてが終わる。


(朝凪……!早く……!!)


 刹那が叫ぼうとした、その瞬間だった。


 世界が、裂けた。


 凄まじい轟音。大地が底から激しく身震いし、遅れて猛烈な爆風の衝撃波が横殴りに叩きつける。


「――っ!?」


 刹那は野生の直感だけで反射的に身を翻し、地面に這いつくばった。次の瞬間、高温の空気が頭上を凄まじい速度で吹き抜けていく。


 槍の列が一気に瓦解した。あまりの衝撃に、兵たちが次々と体勢を崩してよろめく。


 その隙に、刹那は這うようにして爆風の圏外へと死に物狂いで跳んだ。背中をかすめる熱風。ほんの一瞬判断が遅れていれば、肉片も残らなかった。


「……あっぶねえ……っ!」


 ゲホゲホと砂混じりの息を吐き出すが、目は笑っていない。山を見上げる。朝凪が、やったのだ。


 朝廷軍の列も、一瞬だけ完全に停止した。想定外の山体爆破という事態に、前線の指揮官たちの判断が追いつかない。


「怯むな! 体勢を戻せ!」


 疾風の怒号が飛び、すぐに兵たちが立て直しを図る。再び前へ出ようと、槍が突き出されたその時。


「そこまでだ」


 別の声が、鋭く割り込んだ。驚くほどよく通る声。その場の殺気を、横から切り裂くように。


 いつの間に現れたのか、そこには昊夜がいた。その背後では近衛たちが一斉に歩みを止めた。音一つ乱れない停止だった。


「あ、兄上……!?」


 疾風が息を呑み、兵たちの動きが完全に止まった。


 昊夜は燃え盛る山背を背に、冷ややかに将を睨み据える。


「神祇官の雨乞いを邪魔して神はお怒りだ。あの轟音と地響きが聞こえなかったわけではあるまい」


「……え?」


 疾風は思わず山を振り返った。


「でも、俺たちは山で行われている不審な作業を止めに――」


「ならば行け。神罰の爆風の中に、部下を全員引き連れてな」


 昊夜は静かに刀の柄に手を掛けた。


 その動きに呼応するように、背後の近衛たちも一斉に柄へ手を添える。


 ただ、それだけで朝廷軍の誰もが息を呑んだ。


「これより先は神域だ。これ以上の進軍は、朝廷への反逆とみなして私がここで直々に処断する。……私を斬って進むか、ここで全軍の足を止めるか。今すぐ選べ」


 疾風は口を閉じた。


 本来、近衛に朝廷軍を止める権限などない。

 だが、目の前の兄は、帝命を受けた神祇官は近衛が守るべき対象であるという理屈を持ち出し、山の異常な爆発を神祇官の雨乞いの一環として神事を理由に朝廷軍を止めようとしているのだ。


 疾風はしばらく昊夜を見つめていたが、やがて諦めたように息を吐いた。

 

「……分かりましたよ。全軍引け!」


「はっ!」


 兵たちが一斉に動き始めた。


「負傷者を先に運べ! 動ける者は隊列を整えて後退しろ!」


 疾風の号令を受け、朝廷軍が山道から退いていく。


 昊夜はその様子を見届けると、傍らの近衛へ視線を向けた。


「負傷者の救護に当たれ。山裾の避難状況も確認しろ」


「はっ!」


 刹那は少し離れた場所で刀を納めた。


(……遅せぇんだよ)


 内心毒づきながらも、ようやく肩の力を抜く。だが、まだ終わってはいない。


 刹那は、鋭い視線のまま街の方を振り返った。



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