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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第二章 乾いた地と、雨の記憶

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第十話 戦はごめんだ

 日が落ちて、街の外れに人の気配はなかった。


 刹那は壁に背をもたれて空を見上げていた。特に何をするでもない。ただ、街の中にいる気分ではなかっただけだ。


 しばらくして、足音が近づいてきた。

 軽い。迷いがない。地を踏む音が、妙に少ない。


 振り返らないまま、刹那は言った。


「……お前か」


 近づいてきた朝凪に、刹那は言った。


「相変わらずだな。気配が軽すぎる」


 朝凪は刹那の数歩手前で足を止め、その暗い双眸を向けた。


 刹那は壁から背を離し、にやりと笑みを浮かべた。

 女性に見せる甘く柔らかな空気は完全に引っ込め、男には容赦なく、直球を放り投げる。


「お前、あの舞姫と、本当はどんな関係だ?」


 朝凪の眉が、微かに動いた。だが、それだけだった。静かな無表情を張り付かせたまま、淡々と言い返す。


「何の話だ」


「しらばっくれるなよ。街外れの装置のところで、あいつがお前の名前を呼んだ。お前はそれ聞いて、見たこともないような動揺した顔して必死に隠れてただろ。俺の目は誤魔化せないぜ」


 一瞬の沈黙。風が夜の砂を巻き上げる。

 朝凪は視線を一切逸らさないまま、至極平坦な声を返した。


「空耳だろう。私がその女を知るはずがない」


「空耳なわけあるかよ。あいつ、今にも泣きそうな顔して『朝凪』って言ってたぞ」


「気のせいだ。その舞姫が、私の名を口にする理由がない」


 どこまでも徹底して「他人のフリ」を貫く朝凪。その頑なすぎる態度に、刹那はしばらくじっとその顔を見つめていたが、やがて呆れたようにふっと息を吐き、両手を軽く上げて見せた。


 これ以上突っついても、この男が口を割るはずがない。男相手に無駄な押し問答を続けるのは、刹那の主義ではなかった。


「……はぁ、分かったよ。お前がそこまでしらを切り通すなら、これ以上聞くのは諦めてやるよ」


 刹那はいつもの気怠げな調子に戻り、ぽりぽりと首筋を掻いた。そして、山の方へ視線を向けた。


「で……山にいたのか」


 朝凪は刹那が追及を引いたことに内心中安堵しつつも、それを一切表に出さなかった。


「地形を見ていた」


「あの装置と関係があるのか」


「ある」


「お前がやってるのか」


「流れを作った。装置は別の人間だ」


 刹那は少し考えるように間を置いた。

 また難しい話をしている。


「流れ、というのは」


「風と気圧の話だ」


「……もう少し分かりやすく言え」


「山の空気の動きを変えた。それに乗っている」


 刹那はしばらく考えてから言った。


「要するに、お前が雨を降らせるのか」


「そうなるな」


「七日で」


「ああ」


「……自分で言い出したのか、それ」


「まぁな」


 朝凪は少し呆れたようにため息をついた。


「でも煽ったのはお前だろ」


「俺が?」


「七日後に雨を降らせると、広場で言っただろう」


 刹那は少し固まった。


「……俺はお前が降らせると思って言ったわけじゃないんだが」


 刹那は空を見上げた。それから、少し笑う。


 こいつはこういう奴だと、改めて確かめているような笑いだった。朝凪は何も言わない。


 刹那はしばらく黙ってから、また空を見上げた。


「……あの頃も、こんな空だったな」


 朝凪は否定しない。


「乾いてた。風が強くて、砂が舞って……目が開けてられなかった」


 言葉は途切れがちだが、止まらない。思い出しているのではない。出てきてしまう、という感じだった。


「戦って、倒して、それで終わりならまだきれいだったな。違ったけど」


 朝凪は静かに目を伏せる。知っているからだ。同じ場にいて、同じものを見た側の人間だから。


「だからやめた」


 さらりと言う。重くない。決着がついた話をするような口調だった。


「剣振るうくらいなら、畑でも耕してるほうがよっぽどましだ。土は裏切らないからな」


 少しだけ笑う。本当に、そう思っているらしい笑いだった。


「……普通に生きたいだけなんだがな」


 朝凪はすぐには返さない。やがて、静かに言う。


「それは難しい」


「分かってる」


 間を置く。


「だから、お前がいると面倒なんだよな」


 今度は笑っていない。ただ、静かに言う。


「お前といるといつも何かに巻き込まれるんだよな」


「巻き込んでいるつもりはない」


「結果がそうなんだよ」


 刹那は肩をすくめ、やがて静かに言う。


「……でもな。お前がやるって言うなら、信じるしかない」


 それは信頼というより、経験に近い。過去にそうだったから、今もそうだと判断している。


 朝凪は何も言わなかった。


 夜は深い。星は変わらず、空にある。

 刹那はもう一度だけ目を閉じた。


 戦の記憶は消えない。けれど、それでもここにいる。それが、今の選択だった。


***


 昊夜たちが因州に入ってから数日が経っていた。


 白砂から離れた地域では、水の配給を巡る小競り合いがいくつか起きていた。


 昊夜はその調停に動きながら、同時に水路の状態を確かめていた。


 記録では正常に届いているはずの水が、実際には届いていない。その差がどこで生まれているのかを、昊夜はひとつひとつ辿っていた。


 因州の他地域も干ばつに喘いでいるのは同じはずだった。だが、この周辺の土地と、桜桃が派遣された「白砂」とでは、明らかに流れる水の量に不自然な偏りがある。


 おかしいのは水路の利権だけではなかった。


「……昊夜様、これを」


 街道沿いの物流、特に都から不自然に運び込まれている「公認の荷」の動きを確かめていた千弦が、木箱の影から静かに言った。


 その手元にあるのは、軍の検問を偽装して通過したとおぼしき重い木箱だ。千弦が指先につけた黒い粉を鼻に近づける。


「火薬です。それも、山を一つ消し飛ばせるほどの、相当な量が」


「どこへ向かっている」


「……記録を偽装されていますが、荷馬車の轍の深さと方角からして――白砂はくしゃの方角かと」


 昊夜は動きを止め、わずかに目を細めてその方向を見た。


 白砂。今、あの、舞姫――六花が派遣されている、もっとも過酷な地域だった。


 なぜ、飢えと渇きに苦しむあの地に、大量の火薬が向かっているのか。

 誰が動かしているのか。理由が見えない。不穏な胸騒ぎが、燻り始めていた。


***


 翌朝、夜明けとほぼ同時に、千弦が新たな報告を持ってきた。

 いつもならば静かに現れる男が、今朝はわずかに、足音を荒立てて早足だった。


「昊夜様、白砂の周辺で、急激な動きがあるようです」


「何が起きた」


「山に何者かが立てこもり、不審な作業を進めているとのことです。都の軍令部がそれを察知し、すでに大規模な包囲網を敷きつつあります。おそらく、一網打尽にする気かと」


「異常行動だと……? あの火薬と関係があるのか」


「……場所が一致します。可能性は極めて高いかと」


 昊夜はしばらく黙っていた。


 掴んだ拳の中で、手綱が軋むような音が響く。


 山での不審な作業。大量の火薬。そして軍の包囲。

 最悪の状況を合わせるように繋がっていく。その中心に、あの世間知らずな舞姫がいる。


「六花さん、大丈夫でしょうか」


 千弦が静かに言った。いつも通りの、飄々とした表情。だが、その声だけは、わずかに低く沈んでいた。


「白砂は今、水不足で民も役人も限界に近い状態です。そこに都の軍による包囲と、火薬の暴発が重なれば……あの地域そのものが血の海になりかねません」


「……厄介だな」


 昊夜の口から、低く、押し殺したような声が漏れた。


 桜桃には「全ては救えない」と言い捨てた。自分には関係のないことだと、突き放したはずだった。


 だが、脳裏に浮かぶのは、真っ直ぐに自分を見上げてきた、あの強い瞳だ。あいつの正体をこの手で暴く前に、巻き込まれて死なれては寝覚めが悪い。


「白砂へ急ぐぞ」


 言い終わるより先に、昊夜はすでに大股で歩き出していた。その背中からは、周囲の空気を凍らせるほどの圧倒的な威圧感と、隠しきれない焦燥が滲み出ている。


 千弦はその容赦のない背中を見送り、ふっと、小さく息を吐いた。


「……やはり、そうなりますね」


 口ではどれほど冷たい言葉を並べようと、主の心がどこにあるのかは、とっくに分かっていた。


 千弦は表情を変えないまま、けれどどこか満足げに、すぐにその主の後を追った。


***


 四日目。

 朝の光がまだ低い角度で地を撫でている頃、刹那は街の外れに立っていた。


 夜のあいだに冷えた空気は乾いたままで、遠くまで見通せる。

 何気なく見渡すと、視界の端に、整いすぎたものがあった。


 刹那は目を細める。


 土の色に紛れるように配置された影。

 最初はただの起伏かと思ったが、一つ一つが不自然に均等で、途切れ方にも規則がある。


 人の配置だ。

 それも、訓練された動きで作られた線。


「……は?」


 思わず声が漏れる。


 けれど、すぐに、意識が静かに切り替わる。感情より先に、目が動く。


 旗は少ないが、見覚えのある紋がわずかに見える。

 左右の二頭の神獣「麒麟」の爪が中央の橘の茎を鷲掴みにしている。りんもんだ。


「朝廷軍……」


 数を数え、位置を拾う。

 動きの有無を見ると、広がりは街の外縁をなぞるように続いている。正面だけではない。側面にも、後ろにも、間隔を保ったまま置かれている。


 囲まれている。


 もしそうなら、この街は"中"にされたということだ。出ることもできず、外から手も入らない。じわじわと削られる形。


 視線をもう一度走らせる。

 動きは少ないが、確実に詰めてきている。


 軍がいる。動けば、ぶつかる。


「戦はごめんだっての」


 肩をすくめるように言う。


 乾いた風が吹く。その向こうで、朝廷軍は静かに配置を変えている。音もなく。確実に。街を包み込むように。


 刹那はそれを眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。


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