表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に【帝都崩落編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/96

第三話 炎の廊

 燃え落ちる梁を避け、血に濡れた回廊を抜ける。

 怒号と悲鳴が入り混じり、宮城そのものが揺れていた。


 不意に、前方の角から黒装束の一団が殺気をまとって躍り出る。


「前方から敵が来ます!」


 近衛たちは一瞬の迷いもなく桜桃の前へ壁を作り、刀に右手を掛けた。


 隊長格の近衛が短く息を吐き、右手で回廊を示して振り返る。


「桜桃様、あの回廊を右へお進みください」


「ですが……」


「我らが戦っている間、一切振り返らないでください」


 静かな、しかし揺るぎない声だった。

 その背負った覚悟の重さが痛いほどに伝わってくる。


「必ず、中将が参ります」


 熱のこもったその一言に、近衛たちは誰一人として異を唱えない。

 当然のように頷き、それぞれ刀を握った手に力を込める。


「それまでは我らがお守りします」


 六花が焦燥に駆られた顔で「姫様!」と、桜桃の袖を引く。


 桜桃は唇を血が滲むほどに噛み締め、命を賭して敵に立ち塞がる近衛たちを見つめた。


 皆、前だけを見据えている。

 誰一人として、生きて戻るという約束など口にしない。


「……必ず……」


 その先は言葉にはならなかった。


「近衛――抜刀!」


 近衛たちの地を揺らすような号令を合図に、桜桃と六花は回廊を駆け出した。


 激しい火花を散らす剣戟の音が、夜の宮中へ轟き渡る。


 桜桃は、振り返らずに、ただ足を動かして駆け抜ける。


 行く先にも、近衛たちが何人も倒れていた。

 見慣れた桜の紋を胸に刻んだ者たちが、回廊のあちこちに伏している。


 帝や皇族を護るために詰めていたはずの人たちだ。


 胸が締めつけられた。それでも桜桃は足を止めない。止まることは許されなかった。


 回廊を右へ曲がると──その先の闇から、殺気を纏った新たな影が立ちはだかった。


 桜桃は行く手を阻まれて、思わず足を止めた。


(……朝凪……!)


 きつく目をつぶった──次の瞬間、前方を塞いでいた気配が、音もなく霧散した。

 そして肉を裂く鈍い音と、鋭い金属音が遅れて重なり合って響く。


 闇から現れた青年が、鋭い目をしたまま静かに血に濡れた刀を振り払った。


 赤褐色の髪と濃灰の長上衣が翻り、青年が、ゆっくりと振り返る。その瞳に宿っていた鋭い光がふっと消え、静かな安堵が揺れていた。


「遅くなり申し訳ございません、姫様」


 聞き慣れた、けれどいつもよりずっと低い声が響く。


「朝凪……!」


 桜桃の口から、張り詰めていた息が漏れ出た。暗闇の中に、彼という確かな光が戻ってくる。


 朝凪は一瞬だけ桜桃の全身に視線を走らせて怪我がないかを確かめると、すぐに鋭い眼差しで周囲へ視線を巡らせる。


「姫様を中央へ! 道を開け!」


 その一声だけで、崩れかけていた近衛の陣が息を吹き返す。


 追いついた四人の近衛が、迷いなく桜桃を守るように隊列を組んだ。


 朝凪は躊躇なく桜桃の腕を取る。


「こちらです」


 引き寄せるその手には、絶対に彼女を死なせないという強い意志が籠っていた。


「速度を落とすな。このまま西回廊へ」


 朝凪の無駄のない短い命令が飛ぶ。近衛たちは一切声を荒らげず、桜桃を中心に据えて走り出した。


 十字の交差部に差し掛かかる。


「挟撃! 前方に四、左右から四、三!」


 敵の気配を察知した朝凪の声が、張り詰めた回廊を切り裂いた。


 前方の通路だけでなく、左右の回廊からも底知れぬ殺気を纏った黒装束の群れが音もなく現れる。


「護陣!」


 鋭く放たれたその一言に、近衛たちは一斉に桜桃と六花を囲み、四方へ向けて刀を構えた。


 四方から容赦なく斬りかかる刺客を、近衛たちが凄まじい気迫で迎え撃つ。


 だが、敵の数はあまりに多い。倒しても倒しても、新たな刺客が回廊の奥から現れ、包囲は狭まるばかりだった。


 朝凪は敵の動きを一瞥し、血路を開くため瞬時に思考を巡らせる。


(正面は突破できる。だが、この人数では姫様と六花を同時には守り切れない……)


 頭の中で最善の一手を弾き出し、迷いのない決断を下す。


「次の隙で右を突破する。私が道を開く」


「御意!」


 近衛たちが一斉に呼吸を合わせ、刀を一段低く構え直す。


 敵の動きを見極め、隙をついて踏み込んだ朝凪の足元から、重い音が響く。

 敵の群れへと躍り出たその背中は、迷いも恐れもない。


 六花は朝凪に一度目を向けてから、桜桃に向かい合った。


「……姫様」


 静かな、けれどはっきりとした声だった。いつもの柔らかい響きとは違う。決意を秘めた声。


「私が、囮になります」


 桜桃は、心臓が止まりそうになった。


「だめ……! 絶対にだめ!」


 桜桃の声が震えた。六花はほんの少しだけ微笑んだ。あの、桜桃をいつも優しくからかう時の笑顔だった。でも今は、目が少し潤んでいて、それでも必死に笑おうとしているのが分かった。


「大丈夫です。……私は、姫様の影ですから」


 六花はそう言いながら、桜桃の薄桜色の袿に手をかけた。指先が震えていた。


「あなたが生きることに、意味があります」


 袿を脱がせ、自分の薄青の上衣と素早く交換する。桜桃の華やかな衣が、六花の細い体に掛かる。


「六花……やめて、お願い……!」


 涙が溢れ、声が掠れる。

 六花は桜桃の両肩をそっと掴み、自身の額を軽く桜桃の額に押し当てた。短い、けれど温かい時間。


「……私、ずっと楽しかったですよ。姫様と一緒にいられて。朝凪の不器用な冗談をからかうのも、桜の花びらを追いかける姫様を見るのも」


 声が、少しだけ湿っていた。


「だから、行ってください」


 六花はそこで一度、深く息を吸った。涙を堪えるように目を細め、それから明るく微笑んだ。いつもの、桜桃を安心させるための笑顔。


「六花——!!」


 桜桃の叫びを背に、六花は戦う近衛たちの間をすり抜け、敵の中へと飛び出していく。


 朝凪は、燃え盛る炎の中で、視界に飛び込んできた桜桃の薄桜色の袿に、息を呑んだ。


(姫様——!?)


 思わず足を踏み出しかけるが、身のこなしが違うことに気付く。


(……六花!)


 朝凪は、胸が裂かれるような思いを押し殺して叫んだ。


「二名は六花を援護! 残りは姫様を連れて離脱!」


「御意!」


 一分の迷いもない、重く鋭い返答が重なる。

 朝凪は六花と入れ替わるように、敵を見据えたまま桜桃の元へ駆け戻る。


 六花は一度だけ、肩越しに振り返った。

 朝凪と目が合うと六花は少しだけ頷いて、桜桃に視線を移した。 

 その瞳に宿っていたのは、確かな「生きて」という強い想いだった。 


「皇女だ!」


 敵の叫びが響き渡る。

 その声に引きずられるように、視線を奪われた敵が、一斉に六花へと標的を変えて殺到した。


 すかさず朝凪の切っ先のような声が響く。


「離脱!」


 朝凪は左手だけを後ろへ伸ばすと、桜桃の腕を掴み、そのまま引き寄せた。


「行きましょう」


「でも六花が──!」


「行きましょう!」


 朝凪の声は低く、しかし絞り出すように力強かった。その掴んだ手に、微かな震えがある。いつも冷静な彼の、初めて見せる動揺だった。


 桜桃は引きずられるように暗い通路へ進みながら、何度も何度も後ろを振り返った。


 炎と煙の向こうで、六花の姿が、次々と群がる影と刀の中に飲み込まれていく。


「六花……っ!」


 声は炎にかき消された。


 御簾が燃えていく。

 春になるたび花見をした庭も、幼い頃に隠れた回廊も、炎の向こうに霞んでいる。


 もう二度と戻れない。その予感だけが、胸の奥へ静かに沈んだ。


 涙が、視界を滲ませる。拭う暇もないまま、ただ走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ