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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に

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第二十四話 金烏と玉兎

 清明の部屋から遅れて出てきた如月が、息を止める。


(……何が起きた)


 理解しようとした思考だけが、取り残される。


 空気がもう一度揺れた。


 そこに、最初からいたように男が立っていた。


 如月の目に驚愕の色が浮かぶ。


「……お前は……星河帝の金烏……」


 一拍。


「日向!!」


 その名に、空気が変わる。


 男は顔を隠していた頭巾を外した。

 現れたのは、見覚えのある顔だった。


「久しぶりだな」


 それは誰に向けられた言葉だっただろう。


 日向は静かに視線を横へ向ける。


 朝凪の腕の中。意識を失ったままの少女。

 ほんのわずかに、目が細められる。


 それは――戦場で見せるものではない、静かな安堵だった。


 如月は、その視線に引っかかった。


(……何だ、その目は)


 場違いなほど、柔らかい。

ふと、過去の記憶がよぎる。


(六花……)


 かつて、日向がそう呼んでいた娘。


 目の前の侍女。年頃も、合う。点が繋がる。


(……そういうことか)


 だがその空気の中で、朝凪は静かに視線を動かしていた。


 違和感はすでに一つの形になっている。


 清明が狙われたこと。

 桜桃が巻き込まれたこと。

 流れが、作られている。


「……六花を使ったのですか」


 朝凪が問う。

 その声は責めではなく、確認だった。


「あなたは、清明様と政策の相違で対立していた。だから排除に動いた。書類の順を入れ替え、許可の流れを狂わせ、清明様を陥れた。そして疑いの矛先を逸らすために六花を使った」


 わずかに間を置く。


「……違いますか」


 まっすぐに如月を見た。


 わずかな沈黙。


「……違うな」


 日向の声が落ちた。


「六花を犯人に仕立て上げようとしたのは、清明を狙っている者をおびき出すためだ」


 日向は如月を正面から見た。


「六花が犯人に繋がる手がかりを得た可能性がある以上、犯人が必ず動くと踏んだ。六花を囮に使ったのだろう」


 空気が揺れる。


 如月はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「……彼女を使ったことで、お前を引き寄せたというわけか」


 皮肉ではない。確認に近い声音。


 日向は否定しない。


 如月は小さく息を吐く。


 視線が、日向を射抜く。


「お前は、宮廷に戻らないのか」


 如月の問いに、日向は答えない。ただ、朝凪の腕の中にいる桜桃を見つめ、それから如月へと視線を戻した。


「お前がどれほどあの方に尽くしていたか、俺は知っている。主を失った悲しみがどれほど深かったかもな。……それでも、自分の役目は果たすべきだ」


 如月の声は静かだったが、その奥には強い怒りが滲んでいた。


「官は、国のためにある。あの夜に前帝が崩御されたからといって、すべてが終わったわけではない。前帝の『武』を支え、誰よりも強かったお前の力があれば……この三ヶ月の凄まじい混乱の中でも、もっと暴動を抑え、多くの民を救えたはずだ」


 如月が一歩、踏み込む。文官である彼の拳は、悔しさで白くなるほど強く握りしめられていた。


「あの日からこの三ヶ月、残された俺たちがどんな思いで宮廷の混乱を片付け、新しい権力に頭を下げながら、必死にこの国を繋ぎ止めてきたと思っている! すべてを放り出して都を去ったお前には、この苦しみ分からない……!」


 激昂する如月に対し、日向はただ静かに見返す。


 かつて、星河帝の側近として、如月が「文(政治)」で支え、日向が「武(武力)」で敵を退けた。並び立つ者のない忠臣だった二人の道は、あの夜を境に完全に分かれてしまっていた。


 日向は、己の大きく無骨な手の平を見つめた。前帝を護れず、守るべき主を失った、いまやただ敵を倒すことしかできない。


「……変わったな、玉兎ぎょくと


 ぽつりと、かつて前帝が如月に与えた懐かしい名を呟く。その声には、怒りも言い訳もなく、ただ寂しさだけが混ざっていた。


 如月は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元を歪め、低く言い返す。


「お前もだ」


 それ以上、二人の間に言葉は続かなかった。

 かつて同じ理想を掲げ、同じ主君の背中を追いかけていた二人の影が、いまは全く別の色の夜の中に、静かに分かたれていた。


 ◇


 石壁に囲まれた静かな一室。

 灯りは落とされ、影が深く沈んでいる。


 その中央に、雨宮は座らされていた。


 拘束はされていない。だが動かない。動けないのではなく、動く意味がないと分かっているようだった。


 向かいに立つのは昊夜。その視線は穏やかで、しかし一切の逃げ場を残していない。


 部屋の端に、もう一人いた。

 雲英だった。


 壁際に立ち、書類を手にしている。雨宮を見るでもなく、昊夜を見るでもなく、ただ静かにそこにいる。


「……どこから、気づいていましたか」


 雨宮が口を開く。声に焦りはない。ただ確認だけがある。


 昊夜はわずかに目を細めた。


「形が揃いすぎていた」


 それだけを言う。


「揃えすぎると、逆に浮く」


 雨宮は小さく笑った。


「整えれば楽になると思ったんですがね」


その言葉には後悔はない。ただ思想がある。


「清明殿の検閲印だ。あの方はいつも、確認を終えた公文書の端に、改ざん防止のためあえて半分はみ出すように印を押される。お前はその完璧な習性を利用した」


 昊夜の淡々とした声が、静かな部屋に響く。


「清明殿が見ていたのは、一番上の正規の帝都予算だけだ。だがお前は、その真下に少しだけずらして地方支援の稟議を重ねて敷いた。清明殿がいつも通りに押した印の、はみ出た半分――それが、下の書類のふちに綺麗に転写されるように。清明殿自身はいつも通りの処理をしただけで、自分が罠の引き金を引いたことすら気づけない。……じつに鮮やかな手際だ」


 だが、と昊夜は言葉を継いだ。


「発覚したとき、二つの公文書にまたがっていた割印は、寸分の狂いもなくあまりに美しく重なりすぎていた。堂々と通せない地方支援を、帝都予算の影に隠して一括決済させようとした『清明殿の意図的な工作』にみせるための、作為に満ちた美しさだ。それが裏目に出た」


「遅いものが混ざると、全体が止まる。ならば切るべきだ。今回の件も、その延長です」


 昊夜はそれを否定しない。ただ、淡々と告げる。


「如月の指示か」


「……いいえ」


 雨宮は首を振った。


「如月様は、帝都予算を不備として扱い、地方支援を早く通そうとされた。それだけです」


 雨宮は少し間を置いた。


「やり方は、私が決めました」


「如月は知らなかったのか」


「知らせる必要がないと判断しました」


 昊夜の目が、わずかに細くなる。


「……お前なりの解釈で動いた、ということか」


「遠回りでは間に合わない。だから最短を選んだ」


「清明を陥れ、侍女を巻き込んで」


「邪魔なものを整理しただけです」


 声に悪意はない。ただ、淡々とした確信だけがある。


「実行したのは、私です」


 静かに認める。沈黙が落ちた。


「雨宮」


 雲英の声が、静かに落ちた。

 雨宮が雲英を見る。


「……雲英様」


 雲英は書類から顔を上げた。穏やかな表情だ。


「あなたが単独でここまでやったとは……把握できていませんでした」


 声に、困惑を滲ませた。


「申し訳ありません、昊夜殿下。私の管轄内でこのようなことが起きながら、気づけませんでした。」


 昊夜に向かって、深く頭を下げた。


「処分については追って沙汰する」


「……承知しました」


 雲英は頭を下げたまま、静かに答えた。

 部屋を出ていく足音が遠ざかる。


 雨宮はその背中を見送った。


 表情は変わらない。ただ静かに、前を向いた。



 桜桃を別室へ運び終えたあと。朝凪は静かに襖を閉めた。

 室内に残るのは、微かな寝息だけ。

 それを一度だけ確かめてから、背を向けた。


 桜桃が目を覚ましたとき、天井が見えた。


 意識が途切れる直前の香りが、まだかすかに残っている。誰かの声もした気がする。でも、それが誰だったのかは思い出せない。


 ゆっくりと起き上がると、指先に何かが触れた。


 布の感触。


 枕元に、小さな香袋が置かれていた。 


 見覚えがある形だった。でも自分が持っているはずのものは、胸元にある。

 袖を確かめると、確かにそこに六花の香袋があった。


 では、これは……?


 色も、結び方もわずかに違う。


 誰かが置いた。

 手を伸ばしかけて、止まる。


 触れてしまえば、何かがはっきりしてしまうような気がした。

 代わりに、ただ見つめた。かすかに香りが立っていた。


 似ているのに、同じではない。


(この香りは……)


 思い出せないまま、視線が揺れた。


「……気が付いたか」


 落ち着いた声に、桜桃はゆっくりと顔を向けた。


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