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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第一章 桜、散る夜に【帝都崩落編】

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第二十四話 元近衛大将、現れる

 清明の部屋から遅れて出てきた如月が、息を止める。


(……何が起きた)


 理解しようとした思考だけが、取り残される。


 空気がもう一度揺れた。


 そこに、最初からいたように男が立っていた。


 その手には、血に濡れた刀が握られていた。

 男は刃を軽く振って血を払い、静かに鞘へ収めた。


 如月は驚愕に目を見開いた。


「……お前は……星河帝の金烏……」


 如月の声に、空気が変わる。


「日向!!」


 男は顔を隠していた頭巾を外した。

 現れたのは、見覚えのある顔だった。


「久しぶりだな」


 それは誰に向けられた言葉だっただろう。


 日向は静かに視線を横へ向けた。


 朝凪の腕の中で、意識を失ったままの少女へ。

 わずかに、その目元が和らぐ。


 それは――戦場で見せるものではない、あまりに静かな安堵だった。


 如月は、その眼差しに引っかかりを覚えた。


(……何だ、その目は)


 場違いなほどに、柔らかい。


 ふと、過去の記憶が脳裏をよぎった。


(六花……)


 かつて、日向がそう呼んでいた娘と、目の前の侍女の年頃が重なる。


(……そういうことか)


 静まり返る空気の中、朝凪は如月へと視線を戻した。


「清明様と六花を襲わせたのは、あなたではありませんね」


 如月は朝凪を見据え、短く答えた。


「ああ。違う」


「では、誰なのです?」


「……時雨だ」


「時雨が……?」


 朝凪が目を見開く。


「ああ。あの娘の父親は、かつて備州の小さな村で役人を務めていた。村に疫病が広がったとき、中央へ支援を求めたが、許可が下りるまでに時間がかかった。ようやく支援が届いた頃には、多くの村人が命を落としていた」


 如月はそこで言葉を切った。


「時雨の父親も、その一人だ。当時、俺は備州の州府にいた。清明だけではない。俺にも責任がある」


「……それで、時雨を宮廷へ?」


「ああ。親を亡くし、働き口を探していたあの娘が、宮廷に仕えたいと言うので口を利いた。せめて暮らしに困らぬようにと思ったのだがな」


 如月は苦い表情を浮かべた。


「先日、六花が近衛府の当直割を調べようとしているのを時雨が止めているところを見かけた。あのときは、友人の身を案じているのだと思った」


「……違ったのですか」


「いや、それもあったのだろう。だが、あの頃から時雨の様子がおかしくなった。俺の顔を見ると妙に落ち着かず、何か言いかけては口を閉ざす。以前はそんな娘ではなかった」


 如月は朝凪の腕の中にいる桜桃へ視線を落とした。


「六花が何を調べているのかは知らん。だが、あの娘が近衛府へ行こうとしたことと、時雨の様子が変わったことは、無関係ではなかったのだろう」


 如月は一度言葉を切り、眉間に深い皺を刻んだ。


「なぜ六花まで狙われたのか、それに、あれほどの兇手をどうやって集めたのかは分からん。だが、時雨が清明を恨んでいたことは知っている」


 如月は清明へ向き直った。


「お前が支援の稟議書を差し戻したことを、あの娘はずっと覚えていた」


 清明はしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。


「……そうですか」


 それ以上、弁明することはなかった。


 清明の部屋から遅れて出てきた如月が、息を止める。


(……何が起きた)


 理解しようとした思考だけが、取り残される。


 空気がもう一度揺れた。


 そこに、最初からいたように男が立っていた。


 その手には、血に濡れた刀が握られていた。

 男は刃を軽く振って血を払い、静かに鞘へ収めた。


 如月は驚愕に目を見開いた。


「……お前は……星河帝の金烏……」


 如月の声に、空気が変わる。


「日向!!」


 男は顔を隠していた頭巾を外した。

 現れたのは、見覚えのある顔だった。


「久しぶりだな」


 それは誰に向けられた言葉だっただろう。


 日向は静かに視線を横へ向けた。


 朝凪の腕の中で、意識を失ったままの少女へ。

 わずかに、その目元が和らぐ。


 それは――戦場で見せるものではない、あまりに静かな安堵だった。


 如月は、その眼差しに引っかかりを覚えた。


(……何だ、その目は)


 場違いなほどに、柔らかい。


 ふと、過去の記憶が脳裏をよぎった。


(六花……)


 かつて、日向がそう呼んでいた娘と、目の前の侍女の年頃が重なる。


(……そういうことか)


 静まり返る空気の中、朝凪は如月へと視線を戻した。


「清明様と六花を襲わせたのは、あなたではありませんね」


 如月は朝凪を見据え、短く答えた。


「ああ。違う」


「では、誰なのです?」


「……時雨だ」


「時雨が……?」


 朝凪が目を見開く。


「ああ。あの娘の父親は、かつて備州の小さな村で役人を務めていた。村に疫病が広がったとき、中央へ支援を求めたが、許可が下りるまでに時間がかかった。ようやく支援が届いた頃には、多くの村人が命を落としていた」


 如月はそこで言葉を切った。


「時雨の父親も、その一人だ。当時、俺は備州の州府にいた。清明だけではない。俺にも責任がある」


「……それで、時雨を宮廷へ?」


「ああ。親を亡くし、働き口を探していたあの娘が、宮廷に仕えたいと言うので口を利いた。せめて暮らしに困らぬようにと思ったのだがな」


 如月は苦い表情を浮かべた。


「先日、六花が近衛府の当直割を調べようとしているのを時雨が止めているところを見かけた。あのときは、友人の身を案じているのだと思った」


「……違ったのですか」


「いや、それもあったのだろう。だが、あの頃から時雨の様子がおかしくなった。俺の顔を見ると妙に落ち着かず、何か言いかけては口を閉ざす。以前はそんな娘ではなかった」


 如月は朝凪の腕の中にいる桜桃へ視線を落とした。


「六花が何を調べているのかは知らん。だが、あの娘が近衛府へ行こうとしたことと、時雨の様子が変わったことは、無関係ではなかったのだろう」


 如月は一度言葉を切り、眉間に深い皺を刻んだ。


「なぜ六花まで狙われたのか、それに、あれほどの兇手をどうやって集めたのかは分からん。だが、時雨が清明を恨んでいたことは知っている」


 如月は清明へ向き直った。


「お前が支援の稟議書を差し戻したことを、あの娘はずっと覚えていた」


 清明はしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。


「……そうですか」


 それ以上、弁明することはなかった。


朝凪はしばらく清明を見つめていたが、やがて如月へと向き直った。


「なぜ、あなたは六花を執務室へ置いたのですか」


 如月の眉がわずかに動いた。


「仕事ができるからだ。それ以外に理由が必要か?」


「あなたほどの方なら、侍女の手など借りずとも仕事は回せるはずです」


 朝凪はまっすぐに如月を見据えた。


「六花が何かを調べていると、気づいていたのでしょう。それなのに、なぜご自分のそばへ?」


 如月は答えなかった。


 沈黙が落ちる。


 それまで黙って聞いていた日向が、ふいに口を開いた。


「……護るためだろう」


 低い声が廊下に響く。


「お前は、あの侍女が何かに巻き込まれかけていることに気づいた。だから手元に置いて、危険から遠ざけたかった。違うか」


 如月はしばらく押し黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「その通りだ。なのに……あの侍女は何なんだ。近衛府へ行くなと言えば行き、勝手に動き回る」


 日向と朝凪は、示し合わせたように揃って目を逸らした。


 如月は呆れたように大きな溜息をつく。


「お前の娘か、日向」


 日向を見据えたまま、如月が皮肉ともつかない声音で続ける。


「……彼女が、お前を引き寄せたというわけか」


 日向は否定しなかった。


***


 昊夜の前に座らされた時雨は、膝の上で両手を固く握り締めていた。


 部屋には昊夜のほかに、雲英が同席していた。


 机上には今回の襲撃に関する報告書が置かれ、窓から差し込む月明かりが、白い紙の上に細長い影を落としている。


 昊夜は書状を一枚めくると、時雨へ目を向けた。


「では、お前は清明を恨んでいたんだな」


「……はい。あの人は、地方で人が死んでも構わないんです。地方より、帝都を優先させて……父も、そのせいで死んだんです」


 握り締めた指が白くなる。


「それなのに、あの人はまた同じことをしている。急いで崩れるより、遅くても保つほうがいいなんて……遅くなったら、死んでしまう人だっているのに!」


 時雨の目に涙が浮かんだ。

 昊夜は何も言わなかった。


「清明様には、ただの書類だったのかもしれません。でも、私たちにとっては命だったんです。父はずっと待っていたのに……あの人は、何も変わっていない。……それが、許せなかったんです」


 しばらく沈黙が落ちた。


 昊夜は机上の書状を伏せ、再び時雨を見据えた。


「では、なぜ六花を狙った」


 時雨の肩がびくりと揺れた。


 先ほどまでの勢いは消え、視線が膝の上へ落ちる。


「……それは」


「六花は清明の判断に関わっていない。お前の父が亡くなったこととも無関係だろう」


「……」


「答えろ。なぜ彼女まで襲わせた」


 時雨は口を開きかけたが、声にならなかった。


「時雨」


 それまで黙っていた雲英が、静かに名を呼んだ。


 時雨が顔を上げる。


「……雲英様」


「聞かれたことに、きちんと答えなさい」


 責めるでもなく、急かすでもない穏やかな声だった。


 時雨はしばらく雲英を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「……六花は、鈴を助けようとしていました」


「鈴?」


 昊夜が問い返す。


「謀反のあと、宮内省の作業所に捕らわれている侍女です。あの夜、どこにいたのか証明できなくて……六花は、その子を助けるために近衛の当直割を調べていたんです」


「それが、お前にとって何の不都合になる」


「……私は」


 時雨は両手を握り直した。


「私は、鈴を助けたくなかったんです」


「なぜだ」


「……知られたくないことが、あったからです」


 時雨の声が震えた。


「謀反のあった日、私は八重御所に集められた皇族と侍女の配置表を、ある人に渡しました」


「……何?」


「成人の儀の準備に必要だからと言われたんです。どなたが宴席に出て、どなたがどのお部屋に残るのか、侍女たちはどこに控えるのか……それを確かめたいと」


「誰に渡した」


「……それは」


「名前は」


 時雨は首を横に振った。


「知らないんです。宮中の仕事に関わる方だと思って……」


「身元も確かめずに、皇族の配置表を渡したのか」


 時雨は肩を震わせた。


「知らなかったんです! その人が謀反に関わっているなんて、私は何も知らなかった! ただ、準備に必要だと言われたから……!」


 涙が頬を伝った。


「あとになって、あの配置表が使われたんだと聞いて……私が渡したせいで、あんなに大勢の皇族が殺されてしまったんだって……」


 時雨は顔を覆った。


「そんなことになるなんて、思わなかったんです……!」


 昊夜はしばらく時雨を見つめていた。


「その話と、鈴を助けたくなかったことに、どういう関係がある」


「……鈴は、知っているんです。私が配置表を渡したことを……」


 時雨は涙を拭いながら答えた。


「鈴が助かれば、私が配置表を渡したことを誰かに話して調べられるかもしれない。そうしたら、私がしたことも知られてしまう。六花は近衛府にまで忍び込んで、あの夜の詰所にいた三人の名前を覚えてきたと言っていました」


「……三人?」


「その人たちを捜して、清明様に相談するつもりだって……だから、怖くなったんです。鈴が助かることも、六花が調べ続けることも……」


 昊夜は机に置いた手を動かさなかった。


「つまり、お前は自分の秘密が明らかになることを恐れて、六花を襲わせたというのか」


「……はい」


 か細い返事だった。


 昊夜は目を伏せ、短く息を吐いた。


「お前が渡した配置表によって、実際に何が起きたのかは調べる必要がある。だが、知らなかったという言葉で、すべてが済むわけではない」


「……はい」


「まして、それを隠すために人の命を狙ったことは、別の罪だ」


 時雨は何も答えなかった。


 静まり返った部屋に、衣擦れの音がした。


「時雨」


 雲英だった。静かに落ちた声に、時雨が瞳を向ける。


「……雲英様」


 雲英は手元の書類から顔を上げた。その表情はどこまでも穏やかだった。


「あなたが単独でここまでやったとは……まったく把握できていませんでした」


 時雨は目を伏せた。


 雲英は深い困惑を滲ませながら、昊夜へ向き直り、頭を下げた。


「申し訳ございません、昊夜様。私の管轄内でこのようなことが起きながら、気づけませんでした」


「処分については追って沙汰する」


「……承知しました」


 雲英は頭を下げたまま答え、やがて顔を上げた。


「時雨。あとは昊夜様のお尋ねに、正直に答えなさい」


「……はい」


 時雨が頷くのを見届けると、雲英は静かに踵を返した。


 重い沈黙の中、衣の裾が床を擦る音が遠ざかっていく。


 時雨は、その背中をいつまでも見送っていた。


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