表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/42

第二十一話 静かな牽制

 宮廷の混乱が続く中、指示系統は日ごとに揺れていた。


 朝凪は門番として、その流れを外側から見ている。昨日と今日で、同じ内容の指示が別の経路で届く。あるときは清明の名で。あるときは、別の名で。そのたびに、現場の判断は揺れた。


「また変わったぞ」


 隣に立っていた兵が、小さく吐き捨てた。


「何がですか」


「人の通し方だよ。昨日と逆じゃないか」


「そうですね」


「統一してくれればいいのに。上は何考えてんだか」


 朝凪は頷いた。それ以上は言わない。

 兵は少しだけ朝凪を見た。


「あんた、いつも静かだな」


「仕事ですから」


「愛想のない奴だな」


 笑いながら行ってしまった。


 朝凪は視線を門へ戻した。


 内容そのものは大きく変わらない。

 だが、通り方が違う。清明から出たはずの指示が、途中で別の系統に乗り換えられているように見えるものがある。あるいは逆に、別の流れが清明の判断として落ちてくるものもあった。


 線が、まっすぐではない。どこかで折れ、重なり、ずれている。


 ――清明様の動きと、噛み合っていない。


 意図的なのか、伝達の問題なのかは分からない。ただ、現場が安定しない理由は、その「ずれ」にあるように思えた。朝凪はそれ以上踏み込まない。確信ではなく、違和感としてだけ受け取る。


 午後になって間もない頃だった。


 桜桃が書類を抱えて廊下を歩いているのが見えた。足が少し速い。何かを確かめに行く顔だ。


 朝凪は視線だけで追った。


 文書室の扉を開けて、入っていく。


(……また何かを調べている)


 朝凪は少しだけ間を置いてから、文書室の外の廊下へ移動した。


***


 桜桃が文書室の中に入ると、中は薄暗かった。誰もいない。


 目的の棚を探して奥へ進む。急務の束を引き出す。

 地方支援の書類が、一番上にある。


(やっぱり……)


 夢中になっていた。だから気づかなかった。足音が近づいていることに。


 背後から気配が迫る。


「侍女が文書室で何をしている」


 心臓が跳ね上がった。


 振り返る前に、すでに距離が近い。


 棚の間に体を押し込むように引かれた。視界が、衣で塞がれる。棚に手をついた男の腕が、桜桃の頭のすぐ横にあった。


「侍女が入っていいのは書庫だけのはずだが」


 凍てつくように冷ややかで、けれど高貴な白檀の香りが、すぐ近くに満ちていた。


 昊夜だった。


(――見つかった)


 頭の中が、真っ白になる。


 書類の並びが勝手に変えられていることに気づいて、誰にも言わずに自分で確かめに来た。ただそれだけのことなのに、いま、この男の前では何の言い訳にもならない気がした。


 至近距離で、冷淡な目が静かにこちらを見つめている。何かを確かめるような目だった。


(動いたら、終わりだ)


 息を潜めた。胸の中で心臓だけが、うるさく鳴っている。


「……書類を抱えているな」


 昊夜の目が、手元で強く抱きしめている書類へと動く。

 桜桃は答えられない。唇が震えて、声が出なかった。


「お前が並び替えたのではないな」


 短い指摘だった。


 桜桃の呼吸が止まる。この男は、文書室の書類が何者かによって動かされていたことにも、桜桃がそれを「調べに来た側」であることにも、一目で見抜いている。


「……違います」


 掠れた声で、それだけを返すのが精一杯だった。

 昊夜は表情を変えない。ただ、その目が桜桃の怯えを静かに見下ろしていた。


「ならば、元の場所に戻せ。余計な足跡を残すな」


 それだけを言って、昊夜はすっと身を引いた。

 影が離れ、押し寄せていた圧迫感が一気に薄れる。


 踵を返した昊夜の後ろから、千弦が棚の端に現れた。最初からそこにいたらしい。


「……災難でしたね」


 千弦が小声で言う。


「心臓が止まるかと思いました」


「昊夜様は怪しいと思ったら、黙って距離を詰める方ですから」


「……圧をかけるのですか」


「あれが昊夜様なりの確認です」


 桜桃はしばらく棚に寄りかかっていた。膝が、少し震えていた。


 千弦が続ける。


「一つだけ、教えて差し上げますね」


「はい」


「元に戻せとおっしゃいましたが、昊夜様はあの書類の中身をすでに把握されています。つまり、あなたが何を見ようとしていたかも、すべて」


「……それって」


「気づいていて、お咎めなしにされたということです。――深入りするな、という警告を兼ねてね」


 桜桃は、その言葉をゆっくりと飲み込んだ。

 抱えた書類の重みが、先ほどよりもずっと重く感じられた。


(もし……)


 じわじわと込み上げてくる恐怖と心細さの中で、桜桃の脳裏に、いつも静かに自分の後ろに控えていた男の姿が浮かんだ。


(こんなとき、朝凪がいてくれたら……。あの人なら、私の前にさりげなく割って入って、この窮地から当たり前のように連れ出してくれたのに)


 いないと分かっているのに、無意識に彼の姿を、その救いを求めてしまう。ぎゅっと書類を抱きしめ、桜桃は唇を噛んだ。


 ――だが、桜桃は知る由もなかった。

 求めたその男が、今まさに、壁一枚隔てたすぐそこにいるということを。



 文書室の外。

 朝凪は、桜桃が文書室へ入るのを陰から見届けていた。しばらくして、別の足音が聞こえた。長い廊下の奥から、迷いのない足取りでこちらへ向かってくる。


 昊夜だった。千弦を伴って、部屋の扉の前で足を止める。中の気配を確かめるような、不気味な間があった。そして、扉を開けた。


(まずい――)


 朝凪の体が、反射的に動きかけた。しかし、辛うじて踏みとどまる。


 部屋の中から、声が聞こえた。低い声。昊夜の声だ。距離が近い。棚の軋む音と、壁際に追い詰められたような気配。明らかに至近距離だった。


(姫様に、何をしている……!)


 胸の奥で、激しい怒りと焦燥がせり上がり、声にならない叫びとなった。

 今すぐあの扉を蹴破り、あの方を背中に隠したい。あの男の手からむしり取りたい。衝動が足を動かしかける。


 だが、出られない。

 ここで自分が動けば、正体が露見する。それだけではない。桜桃の正体まで引きずり出され、すべてが終わる。


(分かっている。分かっている、だが……!)


 万が一、あの方の身に何かあれば。


 朝凪は衝動を必死に抑え、柱の角を素手で強く握りしめた。

 指先が白くなり、爪が石肌にきしむほど力がこもる。足元の石床から伝わる冷たさだけが、辛うじて彼の理性を繋ぎ止めていた。


 守るための力を持っていながら、今その身を隠さねばならない無力さが、鋭い痛みとなって胸を刺す。


 永遠のようにも思える数寸の間の後、ようやく文書室の扉が開いた。

 昊夜と千弦が出てくる。二人は何も言わず、そのまま廊下を歩いていく。やがてその足音が完全に遠のいた。


 さらに少しして、ようやく桜桃が姿を現した。

 顔色は悪くない。酷い目に遭わされた様子もない。ただ、よほど恐ろしい圧に晒されたのか、少しだけ膝が笑っているような、おぼつかない歩き方だった。


 朝凪は、そこで初めて、止めていた息を深く吐き出した。


(……無事だった)


 そればかりを、心の中で繰り返していた。

 駆け寄りたい衝動を抑え、再び影へと身を潜める。


(生きて、そこにいてくださる。今は、それだけでいい)


 柱から手を離した朝凪の指先は、自分の感情を殺し尽くした反動で、まだわずかに震えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ