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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第一章 桜、散る夜に【帝都崩落編】

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第十九話 侍女、妄想する

本日二度目の投稿です。

 昊夜が訝しげに眉を寄せる。


「何を驚いている」


「い、いえ。……どうしてここに……?」


「書庫へ行ったら如月殿に連れ去られたと聞いてな」


「私を探してたのですか?」


「お前を文官に回したのは私だ。お前が迷惑をかけていたら困るからな」


「迷惑なんてかけてません」


 如月はそんな二人には構わず、今しがた持ち帰ったばかりの書類を桜桃の腕へ積み重ねた。


「では、次はこれだ」


「まだあるんですか!?」


「これは役所別に分けたあと、去年の控えと見比べろ。額が変わっているものには赤で印を付けておけ」


 昊夜の眉間に皺が寄った。


「如月殿、私は、書庫整理のつもりでこの者を寄越したのだが」


「そうですか」


 如月はまるで気にした様子もなく答えると、ふと手元の書類を一枚抜き出した。


「殿下、こちらをご覧ください」


「……何だ」


「去年の州別の徴収額です。こちらと照合してください」


「……私は武官だ」


「存じています」


 如月は真顔だった。


「字は読めますね」


「……読める」


「では十分です」


「何が十分なんだ」


 如月はすでに次の帳簿を開いていた。


「六花、お前はこちらだ。殿下はそちらを」


「はい」


「なぜお前は素直に従う」


「さっさとやらないと終わりませんから」


「そういう問題ではない」


 昊夜は不服そうに言いながらも、結局は渡された帳簿を開いた。


 如月から書類を受け取った桜桃の腕が、物理的にも精神的にもずしりと沈む。


 桜桃は如月に悟られないよう小さく息を吐いた。


 本当に、この男は人使いを通り越して魔王の類かもしれない。


 如月はそんな桜桃の胸中など知る様子もなく、文机の前へ腰を下ろした。


「その帳簿を取ってくれ」


「どれですか」


「右から二つ目だ」


 桜桃は腕の書類をどこかにぶちまけたい衝動を抑えつつ、書類を傍らに置くと、指定された帳簿を持ち上げた。


 文机まで運んで如月の手元へ置こうとしたとき、その傍らにある不自然な「白い異物」が目に入る。


 白磁で作られた、丸い兎の文鎮だった。


 二つの長い耳を背へペタッと伏せ、前足をきちんと揃えて座っている。顔立ちはなぜか妙に愛嬌があり、宮中の謀反やら過酷な税の計算やらで殺伐とした文机の上では、全方位に癒やしを放つあまりに場違いな置物だった。


 桜桃は思わず、その兎と、目の前の仏頂面な如月の顔を交互に見比べた。


 まさかこの男、意外と可愛らしいものが好きなのだろうか。


「なんだ」


 気配に気づいた如月が冷ややかに顔を上げる。


「い、いえ何でも……その、趣味が意外だなと」


「文鎮だ」


「それは見れば分かります。兎なんですね」


 桜桃が兎と如月を見比べている傍らで、昊夜がふと顔を上げた。


 白磁の兎を認めた瞬間、その冷ややかな瞳がわずかに見開かれる。


 如月は一度だけ昊夜へ目を向けた。だが、すぐに桜桃に視線を戻す。


「何か文句でもあるのか」


「ありませんけど」


 桜桃がじっと見つめ返すと、如月はすっと視線を外した。


 怒ったのかと思いきや、兎を見つめる目元をわずかに和らげると、何も言わずに帳簿を開く。その様子からは、兎の文鎮を可愛らしい相棒として愛でているのか、それとも単に目の前に転がっていたから鎮めているだけなのか、微塵も読み取れなかった。


 如月は一枚の紙をその兎の下からひょいと抜き取り、筆を取る。


 数行書き、ピタリと手が止まる。


 しばらく真剣な顔で紙面を睨みつけたあと、その紙をぐしゃっと雑に丸め、足元の塵箱へ放り投げた。綺麗な弧を描いて塵箱に吸い込まれる。


 向かいでは、昊夜が押しつけられた帳簿を黙々とめくっていた。先ほどまで不服そうだったわりに、仕事そのものに手を抜く気はないらしい。


 桜桃は仕分けの手を動かしながら、そっとその横顔を盗み見た。


(もし、あの夜に謀反が起きなければ、どんなふうに会っていたのだろう)


 父が用意した席で、きちんと着飾って、皇女として向かい合って。


『初めまして。咲宮桜桃です』


『……ああ』


 桜桃はそこで想像を止めた。


(……会話、続かなさそう)


 昊夜は黙々と帳簿をめくっている。


(……絶対続かない)


 昊夜が怪訝な顔で桜桃を見る。


「何を見ている」


「いえ」


「さっきから何度も見ているだろう」


「見ていません」


「……そうか」


 また沈黙する。


 桜桃はますます確信した。


(やっぱり続かない……)


 昊夜はそれ以上追及せず、帳簿へ視線を戻した。

 桜桃も手元へ目を落とす。


「……あの、この分類なんですが」


「それはこちらだ」


 昊夜が手を伸ばし、桜桃の前に積まれていた一冊を抜き取った。


「こちらですか?」


「ああ。これは決裁済みだ」


「ありがとうございます」


 武勇に優れた方だとは、以前から聞いていた。


 けれど、こうして机に向かっている姿を見ていると、それだけではないらしい。


 書類を読むのも早い。何を尋ねても、ほとんど迷わず答えが返ってくる。


(もしあの日会っていたら、お父様は何を話すつもりだったのかしら)


『昊夜は剣が得意だぞ、桜桃』


『存じております。先日の御前試合でも、とてもお強かったと伺いました』


『……恐縮です』


『……』


『……まあ、あとは若い者同士で話すといい』


(……きっと逃げるわね)


 桜桃はもう一度、昊夜を見た。


(……この人と、結婚していたのかしら)


 何事もなければ、それは決して突飛な想像ではなかったはずだ。


 けれど今はこうして、皇女と婚約者候補ではなく、名もなき侍女と皇子として、同じ机を挟んで帳簿を整理している。


 なんだか不思議な気持ちだった。


「だから、何を見ている」


「気のせいです」


 昊夜はわずかに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。


 桜桃と昊夜がやり取りしている間も、如月は黙って書き続けていた。


 今度は半ばまで書いたところで急に険しい顔になり、丸めて投げる。


 それを何度か繰り返すうち、足元の塵箱から丸めた紙が溢れ出し、雪崩を起こし始めた。


 桜桃は仕分けの手を止め、床に転がった紙を拾い集める。


「あの、もの凄く書き直されてますけど……」


「通らなければ意味がない」


「何がですか」


「お前には関係ない」


 冷たい返し。しかし桜桃は、丸められた一枚の紙を拾い上げると、その皺をなんとなく指で伸ばしてしまった。


 表題には、地方から出された必死の救済願いが記されている。春先の空梅雨で田畑が育たず、税の猶予と食糧の貸し出しを求める悲鳴のような内容だった。


 しかし、途中から何本もの線が引かれ、その脇には別の言葉が書き添えられていた。


「地方から届いた稟議書だ」


「書き直されているのですか。」


「このままでは、あの石頭のところで一秒で却下される」


「石頭……?」


「左大弁だ」 


 左大弁……確か清明だったはずだ。


 如月は筆を走らせたまま、鼻でフンと笑う。


「あいつは融通という言葉を辞書から剥ぎ取って生きている。順だの前例だの、そんな綺麗事ばかり並べ立てて地方の窮状を見ようともしない」


「……仲が悪いんですか」


「最悪だ」


 間髪入れずの即答である。


 少し離れたところで、帳簿をめくる音が一度だけ止まった。


 桜桃がそちらを見ると、昊夜は何事もなかったように次の頁をめくっている。


「俺が書いた稟議を、あいつは何度差し戻したことか。あいつの眉間に皺を刻むのが最近の密かな楽しみだ」


 また一枚、紙が豪快に丸められて塵箱へ飛んだ。


「だから、あいつが絶対に文句を言えないように論理武装し直す。あの石頭を完全論破するための文をな」


「でも、帝都も謀反の一件でまだ全然立て直っていませんよね。地方の稟議なんて、今の朝廷に通る余裕あるんですか?」


 その言葉に、それまで帳簿へ落ちていた昊夜の視線が上がった。


 一瞬だけ目が合う。


 先日、夢の中で自分の名を呼んだ男の瞳だと思った途端、桜桃は妙に落ち着かなくなって、先に視線を逸らした。


 昊夜は何も言わなかった。


 如月もまた筆を止めることなく、淡々と墨を紙に染み込ませる。


「知っている。そんなことは端から分かっている」


 淡々とした低い声だったが、その指先には妙に力がこもっていた。


「石頭だけではない。今の宮中は誰も彼も、自分の足元と帝都の復興を優先したがる。仮にあの石頭が通したところで、大納言や大蔵省から予算がないの大合唱だ」


「でしたら、諦めた方が……」


「だからといって、民部省までそれに倣うわけにはいかん」


 如月は新しい半紙を広げ、背筋を伸ばした。


「ここは、地方を見捨てるための言い訳を探す場所じゃない。民の命を守る場所だ」


「……」


「通らぬなら、通る形を捻り出す。それが俺の仕事だ」


 室内にはしばらく、筆が紙を擦る音だけが残った。桜桃は何も言えず、昊夜もまた、開いた帳簿へ視線を戻した。


 如月はそれ以上語らず、桜桃の方を見もしないまま、二冊の帳簿を机の上に押し出した。


「おしゃべりは終わりだ。それが終わったら、この宮廷出入り記録を書庫へ戻してこい」


「はい」


 桜桃は帳簿を受け取り、ふと隣を見る。


 昊夜の前にも、いつの間にか帳簿がもう一冊増えていた。


「……それも渡されたのですか?」


「聞くな」


「はい」


「笑うな」


「笑っていません」


「笑っているだろう」


 桜桃は緩む口元を慌てて引き締めた。


 ***


 桜桃たちが廊下へ出たところで、昊夜は足を止めた。


「私は戻る」


「あ、はい。お疲れ様でした」


「……なぜお前が労う」


「一緒に働いたので」


 昊夜は何とも言えない顔をしたが、それ以上は何も言わず、踵を返した。


 遠ざかっていく背を、桜桃はしばらく見送る。


 菖蒲殿でのことを思い出しそうになり、慌てて抱えた帳簿へ視線を落とした。

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