表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/40

第十七話 乱れる書類

 八省の文官が勤める朝堂院では、崩れた区画の修復と滞っていた書類の整理に追われ、廊下には人の気配が絶えない。


 桜桃は、作業場として設けられた書庫の一角で、文書整理の仕事にあたっていた。


 昊夜からの指示で、文官の手伝いに回された。本来なら侍女の務めから外れる役目だ。


 だが――この場所には、残されているものがある。あの夜に関わる記録も、その中に含まれているはずだった。手を伸ばせば届く位置にある。

 そう思えば、断る理由はなかった。


 書類の束を抱えて棚へ向かうと、奥から声がした。


「そこではありませんよ」


 静かだが、はっきりした声だった。振り返ると、濃紺の文官服をまとった雲英が立っていた。穏やかな顔をしている。怒気も威圧もない。


「その束は、あちらの棚です。二段目の右側」


「……はい、失礼しました」


「いいえ」


 雲英は微笑んだ。


「初めての方には分かりにくいですよね。私は雲英といいます」


「六花と申します。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 雲英は桜桃が持っていた束を受け取り、指定の棚へ手際よく収めた。


「あの」


桜桃は思わず言った。


「整理が、お上手ですね」


「そうですか」


 雲英は少し笑った。


「部下に厳しい者がいまして。おかげで私もこうなりました」


「部下の方に、ですか」


「ええ。場所が決まっていれば探す時間が省ける、迷わなくて済む、と。毎度言われているうちに、自然と」


 穏やかな口調だった。呆れているのか、感謝しているのか、どちらとも取れる言い方だった。


「ここの書類、かなり乱れていたんですよ」


 雲英は棚全体を見渡した。


「どちらにしても、整えれば済む話ですが」


 そのとき、後ろから足音がした。


「雲英様」


 もう一人の男が入ってきた。少し若い。書類を抱えている。


「雨宮です。先ほどの束を持参しました」


「ありがとうございます」


 雲英が受け取る。中を確認しようとした、そのとき。


「端を揃えてからお持ちしました」


 雨宮が言った。


「はい」


「読む際は、端を揃えたまま読んでいただけると」


 雲英が少し手を止めた。


「……そうですか」


「崩れると、次の方に渡す際にまた整える手間が生じますので」


「……わかりました。気をつけます」


 雨宮は頭を下げて、出ていく。

 桜桃はその背中を見送った。


(……この人が、その部下か)


 さっき雲英が言っていた、整理整頓に厳しい部下。

 なるほど、と思った。


 雲英はしばらく手の中の書類を見ていた。それから、静かに中身を確認し始めた。端は、丁寧に揃えたまま。


「六花殿」


 雲英が振り返る。


「この棚の分類が終わったら、次はあちらをお願いできますか。古い記録の束は、そのままにしておいていただければ十分です」


「分かりました」


 雲英はそれだけ言って、別の棚へ移った。


 桜桃は言われた通り棚を確認しながら、束を一つずつ手に取った。古い記録だ。日付が古いものほど、紙が黄ばんでいる。


 ひとつの束を開く。内容を確かめる。物資の出納、配置の記録、指示の控え。特別なものではない。

 そのはずだった。


 頁をめくる。日付を追う。

 その途中で、手が止まった。


 もう一冊、引き寄せる。

 同じ時期の記録だったが、別の帳簿だった。


 二冊を並べる。

 同じ日付を探す。


 指で追う。止まった。


 同じ人物の名前が、二つの帳簿に別々の形で記されていた。


 片方には「視察のため不在」とある。


 もう片方には、同じ日に「宮廷内にて執務」とある。


 視線が、自然と日付へ落ちる。


 ――あの夜に近い。


 桜桃はしばらく二冊を見比べた。


 そして、同じ日に、同じ人物が二つの場所にいることになっている。


 どちらかに誤りがある。

 それだけは分かった。


 なぜそうなっているのかは、分からない。

 この人物が誰なのかも、今は関係が見えない。


 ただ、おかしい。

 その感覚だけが、はっきりと残った。


 桜桃は二冊を元の位置へ戻した。

 場所だけ、覚えておいた。


 それ以上、手は伸びなかった。


「六花殿、そちらは終わりましたか」


 雲英の声が落ちた。


「……はい、終わりました」


「ありがとうございます」


 雲英が棚を確認してから、満足そうに頷く。


「よく整っていますね」


「いいえ、ただ言われた通りに」


「それが一番難しいんですよ」


 雲英は微笑んだ。その横で、雨宮が別の束を棚へ収めている。整然と、迷いなく。


 桜桃はその動きを見ながら、さっき見た二通の記録のことを頭の中で繰り返していた。


(あの日付に、何があった)


 答えは、まだない。でも、糸口だけは確かにそこにあった気がした。


***


 門の前には、人の流れが絶えなかった。

 その境界に立つように、ひとりの男がいた。


 朝凪は、門の柱にもたれることなく、そこに立っていた。


 清明の指示が、今日は三回変わった。内容は同じだが、経路が違う。現場が混乱するのは当然だった。


 朝凪は、その流れを静かに見ていた。


 人の動きが、わずかに詰まっている箇所がある。左から来る列と、右から来る列が、ちょうど門の前でぶつかりそうになっていた。誰も気づいていない。このままでは衝突する。


 朝凪はほんの数歩、立ち位置を変えた。


 自然に、右の列が少しだけ流れを変える。左の列との間に、隙間ができる。ぶつかることなく、両方が通り過ぎていく。


 誰も気づかない。それでいい。


「あんた、さっきそこにいなかったか?」


 隣の衛兵が不思議そうに言う。


「そうですか」


「なんか気づいたら位置が変わってるんだよな、あんた」


「気のせいでしょう」


 衛兵はしばらく朝凪を見てから、首を振って前に向き直った。


 五日目。

 姫様が侍女の列に混じって廊下を通った。

 荷を抱えて、足早に歩いている。顔色は悪くない。足取りも安定している。

 ただ、少し俯き加減だった。

 何かを考えている顔だ。


(……何を考えている)


 問いかけても、届かない。届かせるつもりもない。

 ただ、見送る。

 それだけでいい、と決めた。


 七日目。

 姫様が朝堂院から出てきた。書類を抱えている。 顔色は普通だ。怪我はない。

 少し歩き方が速い。何かを調べているときの癖だ。


 朝凪は視線だけで追った。

 姫様が廊下の角を曲がる。見えなくなる。


(……何を調べている)


 書類の束の厚さからして、相当な量を見ていた。謀反の記録を探しているのかもしれない。


 止めるべきか。

 いや、止めても聞かない。あの人はそういう人だ。


 朝凪は視線を門へ戻した。

 隣の衛兵がまたこちらを見ている。


「あんた、今あの侍女のこと見てたよな」


「見ていません」


「見てたよ。すごい目で」


「仕事中です」


「門番の仕事に侍女は関係ないだろ」


 朝凪は答えなかった。

 衛兵がため息をついた。


「……まあいいけどさ」


 九日目。

 姫様が侍女部屋へ戻っていくのが見えた。

 少し、疲れた顔をしていた。


 朝凪は一瞬だけ目を細めた。


 隣の衛兵が言う。


「あんた今、心配そうな顔してたよな」


「していません」


「してたよ。眉が寄ってた」


「そういう顔ではありません」


「じゃあどういう顔だよ」


「仕事中の顔です」


 衛兵がため息をついた。


「……あの侍女と知り合いか?」


 朝凪は少しだけ間を置いた。


「違います」


「そうか」


 衛兵はそれ以上聞かなかった。


 ただ、その日の夕方から、衛兵が桜桃の方向を時々確認するようになった。

 朝凪には、その理由が分からなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ