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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第六章 桜桃という名の罪【皇女断罪編】

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第十七話 皇子、沈黙を破る

 雲英は、桜桃から視線を外し、ざわめく評議の間を見渡した。


 上座の虚空帝。

 昊夜。

 清明。

 朝凪。

 ……そして、桜桃。


 その顔ぶれを一人ずつゆっくりと見届けると、雲英は小さく、しかしはっきりと聞こえる息を吐き出した。


「ここまで証が揃っているのであれば、もはや否定する意味もありませんね」


 そう穏やかに呟き、雲英は手元の扇を優雅に開いた。


「今日という日が訪れることは、もうずっと前から……覚悟しておりましたよ」


 雲英のその艶やかな声が響いた瞬間、広間は再び、息をすることすら忘れたような深い沈黙へと包み込まれた。


「この国の皇統は、かつてふたつありました。激しい争いの末に、ひとつが消された。記録から。系図から。その名前すらも。……消し去られた方こそが、紫雲家です。皇統をひとつに絞るという大義名分のもとに、排除された」


 その声は穏やかで、一切の感情を乗せない、整えられた声だった。


「私のみ祖先は、むやみに帝位を求めたのではありません。ただ、そこに存在していた。それだけで、存在そのものを消されたのです」


 桜桃は、冷たい瞳で雲英を見据えた。


「あの密告書は、あなたが書いたものですか」


「はい、私が書きました」


「では、狄族の反乱は、あなたが仕組んだのですか」


「はい、それも私です」


「……なぜ、そんなことを」


 桜桃の問いに、雲英は穏やかな笑みを崩さない。


「反乱を起こさせ、それに対する殲滅戦が起きれば、当然ながら帝への根深い不満が生まれる。この国のあり方に疑問を持つ者が現れる。そういう者たちを集めれば、大きな力として動かせると考えました」


 桜桃の胸の中が、冷たく凍りついていく。


「……では、八重御所の変もあなたが起こしたのですか」


 雲英はわずかに間を置き、静かに首を横に振った。


「いいえ。あの事件を起こしたのは、私ではありません」


 貴族たちの間で、再び動揺とひそひそ声が波のように重なり合う。


「国に疑問を持ち、絶望した者たちが、自らの意志で立ち上がったのです。ただ――その者たちを束ね、導いたのは私です。殲滅戦への抑えきれぬ怒りを持つ者たちを集め、帝への復讐心を育て上げた。そして、彼らが最も効果的に動くように糸を引いた。……それだけのことです」


 桜桃は雲英を見つめ、声を絞り出した。


「それだけ、と言うのですか」


「はい」


「大勢の人が死にました」


「はい」


「星河帝も亡くなりました」


「はい」


「それでも……」


 桜桃の声が、怒りと悲しみで震える。


「それだけ、と言うのですか」


 雲英は少しの間桜桃を見ていたが、その瞳には微塵の後悔の念も浮かんでいなかった。


「正統なる者が帝になるべきだと、今もそう思っています。そのために必要なことを成した。ただ、それだけです」


「もう一つ、聞かせてください」


 桜桃は一歩も引かず、さらに追撃の言葉を継ぐ。雲英は静かにそれを促すように顎を引いた。


「狄族反乱が起きたあと、星河帝は本当に殲滅を命じたのですか」


 その問いに、広間の空気が一瞬にして凍りつく。雲英はしばらく沈黙を守っていたが、やがて冷ややかな笑みを浮かべて告げた。


「命じてなどいませんよ。あの優しき帝が、殲滅など決して望むはずもなかった」


 貴族たちの間で、耐えきれぬといった様子で一気に驚愕の声が爆発する。


「なっ……! では、一体誰が……!」


 ざわめく群衆の声を置き去りにするように、雲英は手元の扇を優雅に一度だけ開いた。


「戦場へ『すべてを殲滅せよ』との偽りの御墨付きを下し、命令をすり替えたのは――この私です」


 その言葉が広間に落ちた瞬間。広間の隅に控えていた刹那の身体が、まるで時が止まったように動かなくなった。


『全滅させるしかなかった』

『星河帝の命令だった』


と、かつて、自分は桜桃にそう語った。あのとき、桜桃は、どのような絶望と葛藤のなかで自分の話を聞いていたのだろうか。


 刹那は前を向いたまま微動だにしない。ただ、見えない袖の下で、その拳が血が滲むほどきつく、激しく握りしめられていた。 


 その少し先で、琥珀もまた、何も言わずに立っていた。琥珀は雲英を見つめた。


 いつの間にか固く握られていた拳が、長い時をかけるように、ゆっくりと開かれていった。


 静寂の中、昊夜が重々しい声で尋ねる。


「では、星河帝は、最後まで何も知らなかったのか」


「はい」


「あの殲滅戦が、全てお前に仕組まれたものだとは」


「知らなかったでしょうね」


 雲英の声は、残酷な真実を告げているとは思えないほど、驚くほど変わらず穏やかなままだった。 


「血によって人を選ぶというのであれば――最も正しい血を持つ者が帝になるべきだ。それがこの国の論理であるならば、消し去られた側にこそ正統がある」


「……」


「私はその正統を取り戻したかった。くだらない名誉のためでも、復讐のためでもない。ただ――なかったことにされた者たちが、確かにこの地に存在していたのだと。それだけを、世に示したかった」


 その声には一片の乱れもなく、後悔の色すらも微塵もなかった。


「星河帝は人を見ておいでだった。血ではなく。だからこそ、私にとっては邪魔だったのです。正統なる者が立てば、星河帝への不満を持つ者たちも自ずと動く。そう信じていました。だからこそ、あの殲滅戦を利用したのです」


「狄族の人々を犠牲にしてまで」


「はい」


「星河帝への怒りを作り出す、そのために」


 雲英はそれ以上、言葉を重ねなかった。上座の虚空帝は、静かに目を伏せた。


 昊夜は動かなかった。朝凪もまた、微動だにせず佇んでいる。


 桜桃はただ雲英を見つめていた。雲英は穏やかな顔を崩さなかった。そこには強固な信念があった。どれほど歪んでいようとも、本人にとっては、何一つ間違っていない正義なのだ。それが何よりも恐ろしかった。


 昊夜は、冷たい光を宿した瞳のまま、雲英を見据えた。


「……以上で、よろしいですね」


 その問いに、雲英は一切の迷いを見せず、頷いた。


「はい。これ以上の申し開きは、ございません」


 昊夜はゆっくりと視線を外し、緊張に包まれる広間を見渡した。誰もが息を止め、次の言葉を待っている。


「……以上をもって、本件の審理を終えます」


 その宣言が重々しく響き渡った。


 虚空帝は静かに宣告した。


「――雲英を捕らえよ」


 その下命が下るやいなや、広間の周囲に控えていた武官たちが一斉に動き出した。重々しい足音を鳴らし、雲英を取り囲む。


 だが、雲英は一切の抵抗を見せなかった。ただ静かに、優雅に開いていた扇をパチンと音を立てて閉じる。


 武官たちに両脇を固められ、外へ連れて行かれるその間際、雲英はふと足を止め、背後にいる桜桃へとゆっくりと振り返った。


「血は……」


 言いかけたその唇から、しかし、それ以上の言葉が紡がれることは二度となかった。


 冷たい沈黙の中、雲英はそのまま武官たちに連れ去られていく。


 貴族の一人がおもむろに口を開いた。


「昊夜殿下」


 昊夜がゆっくりと振り向く。


「一つ、確認させていただきたい」


「なんだ」


「八重御所の変のことです」


 貴族は視線を逸らさずに続けた。


「星河帝を手にかけたのは、昊夜殿下だという噂がある。その噂は今も消えてはいない。雲英が黒幕であったとしても、昊夜殿下もまた、その一味として動いていたのではないですか」


 昊夜は少しも動じなかった。ただその貴族を見つめたまま、しばらくの間、深い沈黙を保っていた。


「私は、星河帝を殺していない」


 質問を投げかけた貴族が驚きに目を見開く。

 昊夜は静かに言葉を続けた。


「八重御所の変で、私は星河帝を実際に斬った人物を目撃している」


 桜桃は息を呑み、昊夜を見つめた。


 昊夜はあの日を脳裏に蘇らせるように、ゆっくりと目を伏せた。


 赤く燃え盛る宮。飛び交う悲鳴。飛び散る血。その中で倒れ伏した帝。その傍らには、抜き放った刃を手にした人間が立っていた。


「私はその場で、そいつを斬り伏せた。だが、当時はあまりにも混乱していた。周囲には刃を持った者が何人もおり、敵か味方かの区別すらつかない状況だった。ただ目の前で帝が倒れた。その事実に、私は怒りのままに刃を振るったのだ」


 その時、頭の中で、日向の声が鮮明に蘇っていた。


『落ち着け』


 昊夜は静かに語る。


「周囲の者から見れば、私が帝を斬ったように映ったのだろう。帝のすぐ傍らで、血塗られた刃を振るっていたのだからな。だからこそ、そのような噂が流れた」


 貴族がさらに問いを重ねる。


「では、なぜ今日までその噂を否定なさらなかったのですか」


 昊夜は少しだけ間を置いた。


「噂を流しておけば、黒幕が私に接触してくると思っていたからだ」


 広間がしんと静まり返る。


「当時、私は末端の皇族に過ぎず、帝位からは程遠い立場にいた。そのような人間に先帝殺しの噂が流れれば、玉座を狙う野心家として見られても不思議はない」


 黒幕が誰であろうと、自分を仲間に引き入れるか、あるいは警戒して排除しに来るか、何らかの接触を図る理由は十分にあったはずだ。噂を明確に否定してしまえば、黒幕が身を潜めてしまう。


 だからこそ、敢えて黙っていた。利用されるか、警戒されるか、どちらの形にせよ必ず動きがあるはずだと踏んでいたのだ。


 最初は千弦が黒幕が寄越した者だと思っていた。だからこそ、敢えて情報を隠さずに流し続けた。しかし、雲英の本当の狙いは昊夜ではなく、桜桃の方だったのだ。


 昊夜の声が、少しだけ沈んだ。


「……しかし、いくら待っても、接触は来なかった」


 昊夜はそこで、わずかに目を伏せた。


 その時、武官に連れられ、扉の向こうへと消えかけていた雲英が足を止めた。


「私はあなたを潰そうなどと、一度も考えたことはありませんよ」


 雲英はいつもと変わらぬ穏やかな顔で微笑んだ。


「あなたには、近づく必要も、排除する必要もありませんでしたから」


 近づく必要も排除する必要もない。


 ずっと網を張り、相手が自分へ手を伸ばすのを待っていた。だが雲英にとっては、その網に触れる理由すらなかったということなのだろう。


 昊夜はしばらくの間、雲英が去っていった扉の跡をじっと見つめていた。やがて、正面を向き直った。


「これで、答えになりますか」


 問われた貴族は、言葉を失い、何も言い返すことができなかった。広間に、ひときわ重い沈黙がずっしりと降りていく。


 桜桃は、ただ昊夜の背中を見つめていた。あの激動の夜、自分の夢に何度も現れた昊夜の瞳を思い出していた。冷たい目だと思い込んでいた。


 だが今、その背中に、全く違うものが見えた気がした。


 それは、やり場のない激しい怒りだった。そして、それと同じくらい深い、悔しさだった。


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