第四話 論理を組む
朝凪は誰もいない静まり返った部屋で、一枚、また一枚と書状を机のうえへ整然と並べていった。
「まずは、姫様の罪を完全に覆す」
そのためには、かけられた罪状を一つ残らず、論理をもって論破しなければならない。微塵の反論の余地も与えないほどに。
朝凪は決意を込め、静かに筆を走らせる。
桜桃に突きつけられた三つの罪状。
その傍らに、証人と証拠を次々と書き添えていく。
「……」
一つ目の罪――狄族婚姻。
その横へ、迷うことなく琥珀の名を書き記す。
静かに頷き、次なる紙へと視線を移した。
二つ目の罪――神域への男の手引き。
筆先が、ふと止まる。
「……斎宮」
一瞬の沈黙のあと、ふうと一つ息を吐き、最後の紙へ視線を落とした。
三つ目の罪――皇統を欺いた大罪。
朝凪はすべての書状を並べ替え、全体の繋がりを確認していく。
証拠が一つ積み重なるたび、評定の間で形作るべき反撃の流れが、鮮明な形となって見えてきた。
だが、まだ足りない。
決定的となる証人は、本当に期日までに間に合うのか。
雲英を追い詰めるだけの証拠が、過不足なく揃うのか。
すべてが時間通りに噛み合う保証など、どこにもなかった。
朝凪は静かに目を閉じ、押し寄せる不安を自らの意志で断ち切るように、深く呼吸を整えた。
***
清明の執務室は、夜の帳が下りてもいつもと変わらず静寂に支配されていた。
机の端に置かれた灯火を一つだけ灯し、清明は文机に向かっていた。
狄族の件は、日向に託した。
ならば、自分は宮廷で決着をつけるだけだ。
揺れる炎に照らされているのは、日向から受け取った一冊の書だ。それは雲英の出自、ひいては彼が属する一族の過去に関わる極秘の記録だった。
表紙をめくる。
そこにあったのは、歴史の闇に葬られた「紫雲家」の系譜。
そして、不自然なほど不作法に、墨で塗り潰され削られた無数の記録。
清明は、その空白の頁をしばらくの間、凝視した。
「……紫雲、か」
この国において最も高貴とされる色の名を冠した一族。それがなぜ、歴史から完全に抹消されているのか。
消した者がいる。そして、消された者がいる。
もし、その消された側の血を引く末裔が、今、姿を変えてこの国の中枢で微笑んでいるのだとしたら――。
清明は静かに書を閉じた。
そして、それを傍らに除け、今度は机の底から一枚の調書を引き寄せた。
桜桃が狄族に嫁ぐ道中で襲撃してきた、あの刺客たちの尋問記録だった。
『未散様の指示だった』
調書の中で刺客はそう自供していた。
未散。昊夜の異母弟である疾風の母であり、虚空帝の側室だった女。
清明はしばらくの間、その名を頭の中で転がした。
(……未散は当時、桜桃殿が先帝の遺児――元皇女だとは夢にも思ってなかったはずだ)
清明は調書を閉じ、代わりに宮中の古い人事記録をまとめた書を開いた。
過去、後宮や宮中に出入りした者たちの詳細な記録。埃っぽい頁をめくり、未散の名を探す。
あった。
出身は中央のしがない小貴族。後ろ盾と呼べる有力な家門は特にない。
だが、その経歴を追っていた清明の細い指が、ある一行の記述でぴたりと止まった。
後宮の女官や下級の管理を担っているのは中務省だ。そして未散が側室として宮中に入り込んだ当時、その女官管理の実務責任者を務めていた男の名が、そこにはっきりと刻まれていた。
――雲英。
清明は静かに目を細めた。
「……やはり、ここか」
接点はそこにあったのだ。雲英は未散が宮中へ入るその初動から深く関わっていた。ならば、名門の出ではない彼女の弱みも、我が子を帝位につけたいという身の程知らずな望みも、その脆い立場も、雲英はすべて掌握していたはずだ。
だからこそ、都合よく使えたのだ。
清明は新しく墨をすり、白紙に筆を走らせ始めた。絡み合った糸を解きほぐすように、二人の動機を書き出していく。
まず、未散の動機。
彼女の目的は、我が子の最大の障害である昊夜を失脚させること。
狄族への輿入れという重要な任務で、昊夜の警護が失敗したという既成事実を作れれば、昊夜の武官としての立場は致命的に揺らぐ。
そうすれば消去法で疾風の立場が上がる。彼女の浅薄な頭にあったのは、それだけだ。刺客を放った時点では、襲撃対象である六花が「桜桃姫」だとは知る由もない。
ならば、未散は雲英の「本当の目的」を知らないまま動かされていたことになる。
清明は、次の行に筆を進めた。
次いで、雲英の動機。
雲英は、何らかの手段で六花の正体が先帝の遺児・桜桃だと事前に察知した。そして、いずれ自分がこの国を掌握する上で、正統な血統を持つ彼女が最大の障害になると判断し、抹殺を目論んだ。
清明の筆が、そこで止まった。
二人の動機は、完全に別々だ。
未散は昊夜を狙い、雲英は桜桃を狙った。
だが、実際に現場に放たれた刺客は同一の集団だった。
これが偶然であるはずがない。
雲英が、未散の焦りと憎悪を裏から煽り、彼女の計画に相乗りする形で同じ刺客を使わせたのだ。
未散は自分の目的のために動いているつもりで、その実、雲英の凶刃として体よく踊らされていたに過ぎない。そして哀れな未散は、今も自分が単なる捨て駒であったことを知らない。
清明は書き終えた紙を鋭い眼差しで眺めた。
雲英とは、そういう男だった。
人を使うことを、文字通り何とも思っていない。
狄族への度重なる密告も。
如月の不審な死も。
恐らく、飛燕の件も。
今回の刺客も。
すべては同じだ。手駒として必要なものを、必要な時に引き出し、用が済めば容赦なく使い捨てる。
すべてが、繋がりつつある。
あとは、この真実の数々を、次なる評定の間で言い逃れのできない武器として使える形に整えるだけだ。
清明は新しい紙を丁寧に広げた。
再び筆を取り、墨をたっぷりと含ませる。
この国で最も長く宮仕えをしてきた男が、静かに、しかし確かな力強さで筆を動かし始めた。
一枚。また一枚と、確かな論理が白紙を埋めていく。すべて暴かれるその日のために。




