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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者:
第一章 桜、散る夜に

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第十一話 それぞれの宴前

 宴の準備は、それから数日で一気に進んだ。

 

 薄桜宮に入ってすぐ、紫宸殿の前の広場で、宴の準備が進められていく。


 謀反から日が経ちすぎると何かと不都合が生じる。そういう理由で開かれる宴だと、鈴はこっそり教えてくれた。


「新帝のお披露目も兼ねてるのよ。季節外れの花を取り寄せてまで、ね」


「無理してるみたい」


「宮廷ってそういうとこなのかもね」


 鈴はけろりとしていた。

 桜桃は運び込まれる花飾りを見ながら、ひとつため息をついた。


 宴当日。


 桜桃は裏方に回っていた。客の誘導、酒の補充、飾りの調整。走り回っているうちに、表の喧騒がだんだん遠くなる。忙しさはありがたかった。考える暇がなくなる。


 庭の一角から、笑い声が聞こえてきた。

 舞の準備をしている娘たちだった。その中心に、花梨がいる。装束を改め、ずいぶん華やかに見える。軽やかに動き、周囲を自然と引き寄せる声。


 ふと、何かが落ちた。


 桜桃は人の波をよけながら近づいた。地に落ちていたのは、細工のある簪だった。貴族のものだと分かる。


「これを、落とされましたか」


 振り返った花梨の目が見開かれる。


「……よかった」


 心から安堵した顔だ。


「どこで落としたか分からなくて。ありがとう、六花ちゃん」


「いいえ」


「ねえ、少しだけいい?」


 花梨が少し声を落とした。


「もし嫌でなければ、今夜の舞を一緒にやってくれないかしら。急に一人欠けてしまって……あなた、踊れるんじゃないかと思って」


「どうして」


「この前話している時、見てた。無駄がないし、重心がぶれない。舞をやったことがある人の歩き方よ」

 

 桜桃は言葉に詰まった。


「……少しだけ、経験があります」


「じゃあお願いできる? 一番端でいいから。私たちが合わせるから、難しくないわ」


 ――できる。


 頭の中で、声がする。違う声。優しく、少し厳しい声。


『違う、そうじゃない』


『足はこう』


『流れを止めないで』


 六花の声だった。彼女の舞は、美しかった。無駄がなくて、静かで、それでいて――強かった。自分は、あそこまで届かない。


 それでも。

 教えられた動きは、身体に残っている。


 「……目立ちます」


 小さく言う。それが本音だった。ここで舞えば、目を引く。それは危険だ。


 花梨の隣にいた椎香は少しだけ首を傾げた。


「宴よ?」


 軽く言う。


「誰も、あなた一人なんて見てないわ」


 笑う。無邪気に。だが、その言葉はどこか核心を突いていた。


「それに」


 もう一歩、距離を詰める。


「できるのにやらないの、もったいないじゃない」


 まっすぐな目。疑いがない。

 桜桃は、視線を逸らせなかった。


 少しだけ、目を閉じる。

 六花の姿が浮かぶ。あの舞。あの動き。あの背中。


 ――六花として生きる。


 そう決めたのなら。逃げるのではなく、引き受けることもまた――その中にあるのではないか。


「……分かりました」


 静かに言う。目を開ける。


「代役、務めます」


 くすりと花梨が笑った。


「やっぱりできるんじゃない」


 楽しそうに。まるで、最初から分かっていたかのように。


***


 宴の中央、上座に虚空帝が座っていた。その隣に、新しい皇后装束を纏った女が静かに座っている。


 新皇后・未散みちるだった。


 艶やかな装束は、この場の誰よりも整っている。だがその目だけが、宴の華やかさとわずかにずれていた。

 盃を手に、舞い散る花びらを眺めている。誰もが新帝の即位を祝い、笑い、語り合っている。その中で、未散だけがどこか遠くを見ているようだった。


「不思議なものですね」


 ふいに零れた言葉に、虚空が視線を向ける。


「何がだ」


「人の運命です」


 未散は薄く微笑んだ。


「ほんの数か月前まで、私は末席の皇族の妻に過ぎませんでした」


 花びらが盃へ落ちる。

 未散はそれを静かに見つめた。


「けれど、あの夜を境にすべてが変わった」


 その声音には喜びも悲しみもない。ただ事実を語るような静けさだけがあった。


「運命とは、時に残酷ですね」


 そう言って微笑む横顔を見て、虚空はなぜか何も言えなかった。


 花びらが、盃の中でゆっくりと沈んでいく。


***


 同じ頃。

 宮廷の別の一角、光の差し込む廊下の端に、ひとりの男が長い影を落としていた。


 墨を溶かしたような色の髪が、肩から背へと流れている。本来なら首元をきっちりと留めるはずの狩衣だが、男はその留め具を外し、衿を折るようにして首元を大きく寛げている。その衿が、春の終わりの、少し強くなってきた陽光をはね返していた。

 

 整った顔立ちは、ただ前を見つめている。だが、その目は眼前の庭園ではなく、もっと遠い場所を捉えているようでもあった。

近づきがたい冷たさがあるのに、どうしてか目を離せない。そういう佇まいだった。


「昊夜様」


 背後から、控えめな声がかかる。従者が平伏していた。


「宴の時間でございます。皆様、殿下をお待ちかねです」


 昊夜はすぐには動かなかった。ただ、若葉の匂いを孕んだ温い風が、廊下の隅へ運んできた桜の木の欠片を見下ろしている。


 へつらいと、腹の探り合い。父親が新帝の座についてからというもの、どこへ行ってもそんな泥のような視線ばかりが群がってくる。

 今の昊夜にとって、それは億劫以外の何物でもなかった。不快感が胸の奥によどみのように沈んでいく。


 ゆっくりと振り返る。狩衣の裾が、静かに揺れた。

 その動きに合わせて、凍てつくように冷ややかで、けれど高貴な白檀の香気がふわりと廊下に広がる。


「そうか」


 低く、落ち着いた声。感情の起伏が全く見えない、あまりにも淡白な響きに、従者はかえって気圧されたように小さく肩を揺らした。


 昊夜は視線を少しだけ落とす。


「ようやく、か」


 誰にともなく呟く。その声音には、避けては通れぬ義務を淡々と片付けに行こうとする平坦さがあった。


 一歩、踏み出す。


 昊夜は表情を変えないまま、長い影を引き連れて、退屈な熱気の満ちる方へと歩き出した。


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