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狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第四章 地は割れ、刃となる【武州動乱編】

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第十七話 元近衛中将、花を贈る

 蘇原の後片付けが続く中、張り詰めていた空気が緩む、少しだけ落ち着いた時間があった。


 そんな折、疾風が桜桃の近くへとやってきた。

 何か言いたそうにそわそわしながら、用もないのに彼女の周りをぐるぐると不審に歩き回っている。


 桜桃はその様子に気づいていたが、彼が自ら口を開くのを待っていた。


 やがて、疾風が意を決したように、拳を握りしめて口を開いた。

 

「あの、六花殿」

 

「はい」

 

「……六花殿は、その、好きな人とか、いるか?」


 その問いが落ちた瞬間、周囲の空気が、わずかに、しかし確実に変わった。

 

 桜桃にはその緊迫感が全く分からなかったが、異変は一瞬にして起きていた。


 少し離れた場所で戦後処理の地図を睨んでいた昊夜の指先が、ぴたりと止まる。

 

 朝凪は無言のまま、書類から顔を上げ、視線をこちらへ向けた。


 刹那にいたっては、手入れしていた刀を持ったまま、にやつきそうな口元を必死に抑えて耳をこちらへ傾けている。


 にわかに集まった男たちのただならぬ視線に、桜桃は少し慌てて周囲をそっと見回した。

 

「……いいえ、いません」

 

「そうか」


 疾風は少しだけ間を置いた。それから、さらに声を潜めて、真剣な面持ちで続けた。

 

「その……女子というのは、男に何をしてもらったら一番嬉しいんだ?」


 桜桃は目を瞬かせ、疾風を見た。

 

「……好きな人に、何かをして差し上げたい、ということでしょうか」

 

「そうだ」


 疾風の想い人、と桜桃の脳裏に一つの顔が浮かぶ。

 

 ……椎香のことだろうか。確か、縁談の話が持ち上がっているとかいないとか。

 

 桜桃は少し首を傾げて考え込んだ。


 自分が何をされたら嬉しいか。そう問われても、これまでそんな風に殿方に扱われた経験に乏しく、あまり良い案が思い浮かばない。


 けれど、自分のことを一生懸命に想って、尽くしてくれることなら、何だって嬉しいがする。


「……私のためにと、一生懸命考えてしてくださることなら、何でも嬉しいと思います」

 

「具体的には」

 

「……具体的に」


 桜桃はうーんと小さく唸った。具体的、と言われても本当に何も思い浮かばない。

 

「……お花を、もらうとか?」


 とりあえず、世間一般の女子が好きそうなものを口にしてみた。我ながら随分と適当で、面白みのない答えだと思った、その瞬間。


「――ですって、昊夜様」


 すぐ近くから、千弦のからかうような明るい声が飛んできた。


 昊夜が、青筋を立てんばかりの鋭い眼光で千弦を睨みつける。

 

「……私には関係のない話だ」

 

「そうですか?」

 

「関係ない」

 

「はあ」


 千弦はにこやかな笑みを崩さないまま、そっと視線を逸らした。

 あからさまに動揺して地図に視線を戻す昊夜の横顔を、心の中でこれ以上ないほど面白がっているのだろう。


 一方、刹那はくつくつと肩を揺らし、にやにやしながら小声で隣の朝凪を肘で突いた。

 

「花だってよ、朝凪」


 やっぱりな、と刹那は確信した。


 あの帝都の屋敷の客間に活けられていた瑞々しい白い花。あれはやっぱりこの男が、姫のためにせっせと活けていたのだと確信する。


 すると、その隣で、朝凪が静かに口を開いた。


「ご心配なく」


 その一言に全員の視線が、一斉に朝凪へと集まった。


「……私は、季節ごとに贈っている」


 広場に、重い沈黙が落ちた。

 

(やっぱり、お前、めちゃくちゃ尽くしてやがったか……!)

 

 刹那が心の中で盛大に突っ込みを入れた、その時。


「朝凪殿が!?」

 

 疾風が驚愕のあまり目を丸くした。

 

「はい」

 

「……誰に、だ?」


 朝凪はほんの少しだけ間を置いた。そして、いつも通りの表情の乏しい、淡々とした声で遮る。

 

「……それはまた別の話です」


 それだけを言い残すと、朝凪は静かに立ち上がった。

 

「では、失礼します」


 そのまま、追及を許さない完璧な所作で、一人どこかへ行ってしまった。

 

 疾風はしばらく、朝凪の後ろ姿が消えた方向を呆然と見つめていた。

 

「……朝凪殿、物静かな割に、意外とやるんだな……」


 それから疾風は腕を組み、「花か……」と再び深刻な顔で考え込み始めた。

 

「疾風様、お花に何か心当たりがありますか」

 

 桜桃が尋ねると、疾風は困ったように眉を下げた。

 

「いや、今は冬だから、外を見ても雪ばかりで難しいなと思ってな」

 

「……冬でも咲く美しい花はありますよ」

 

「そうか!」


 疾風は少し考えてから、ぱっと表情を明るくして桜桃を見た。

 

「ありがとう六花殿、すごく参考になった!」

 

「お役に立てたかどうか……」

 

「なった、大いになった!」


 疾風はそれだけ言うと、今度こそ満足そうに胸を張って、自分の持ち場へと足早に離れていった。

 

 桜桃は、嵐のように去っていったその背中を、見送った。


 その様子を眺めていた刹那は、ゆっくりと水筒を傾けながら、今度は桜桃に視線を戻した。

 

 疾風から「好きな人がいるか」と聞かれた時、桜桃は無意識に、昊夜を目で追っていた。無自覚なのだろう。

 

(たぶん本人も気付いてないな)

 

 刹那は水を一口含み、立ち上がって桜桃のそばへ歩み寄った。

 

「姫、好きな人いないのか」

 

「……いません」

 

「じゃあさ、昊夜はどうなんだ?」

 

 桜桃の動きが、一瞬だけ止まった。

 

「……こ、昊夜様……!?」

 

 みるみるうちに、桜桃の白い頬が鮮やかな朱に染まっていく。本人は慌てて隠そうとしているが、動揺が隠せていない。


「昊夜は、随分お前を気にかけてるみたいだが……」


「こ、昊夜様には……いつも怒られてばかりで……。それでも、気づけばいつも、私を助けてくれて……」


 俯きながら、熱くなった顔を両手で挟むようにして、ぽつり、ぽつりと呟く。


「気になるのか?」

 

「……よく、分かりません」


 しどろもどろになり、視線を泳がせる少女。


 その様子を眺めていた刹那は、口元がニヤけてしまうのを必死で堪えた。


(よく分からない、ねえ……)


 この分かりやすすぎる反応。自覚がないだけで、どう見ても答えは出ている。

 

(おいおい。その顔はもう、完全に好きだろ)


 鈍すぎる二人のもどかしい距離感に、刹那は内心で「早くくっつけよ」と小さく笑った。


 昊夜への気持ちはこれで完全に確定した。だとしたら、もう一人、ずっと隣にいるあの男はどうなのか。

 

 桜桃から朝凪に感じるのは、もっと古くて深いものな気がする。絶対的な信頼。主従に近い。ある意味盲目的なもの。


 まぁ、あれだけ至れり尽くせりで甘やかされれば、そうもなるだろう。相当長い付き合いのはずだ。


 だがそれが恋かと言うと――どうも毛色が違う。


 兄のような。保護者のような。従者のような。

 そういう感情と、恋は、似ているようで違う。


 つまり、朝凪がどれだけマメに花を活けて尽くしていようが、桜桃にとっては「男」じゃない。


(あいつには悪いが、そっちの脈は一切ねえな……まぁ、可哀想だが一応聞いてみるか)

 

 そんな、朝凪へのちょっとした同情と答え合わせの意味を込めて、刹那はさらに声を落とした。

 

「……じゃあ、朝凪は?」

 

 問われた桜桃は不思議そうに目を丸くした。

 

「朝凪? 違うわよ」

 

「……あ、そう。やっぱり違うか」

 

「だって朝凪には、大切な許嫁がいたから」

 

 刹那が、水筒の水をもう一口、口に含んだ瞬間だった。


「ぶーーっ!!!」


 盛大に吹き出した。

 

「ちょっと!」

 

「わ、悪い……ゲホッ、え、ちょっと待て」

 

 刹那は慌てて口元を拭いながら、信じられないという目で桜桃を凝視した。

 

「許嫁って……お前とは別に、他に女がいたってことだよな?」

 

「そうよ。当たり前でしょ」

 

「なんでお前がそれ知ってんだよ」

 

「昔、本人から聞いたから」

 

 刹那はしばらく、声も出ずに固まった。あの朝凪に、そんな浮いた話があったなど初耳だった。

 

「その人は今……」

 

「もういないけどね」

 

 桜桃は寂しそうに笑った。 

 刹那は、それ以上は聞けなかった。

 

「今でも、朝凪はお花を季節ごとに供えてるわよ」

 

 刹那は屋敷に飾ってあった白い花を思い出した。

 

(あいつ、姫に貢いでたんじゃなくて、死んだ婚約者に供えてたのかよ……!)

 

 とんでもない切ない真実と、自分の見事な勘違いに、刹那は背筋が寒くなるのを覚えた。

 

 桜桃はそれ以上、何も言わなかった。

 少しの間、二人で静かに風の音を聞いていた。


 朝凪が消えた先を、桜桃はぼんやりと見つめる。


 ──六花。


 朝凪が自分をその名で呼ぶ声は、いつもどこか、特別な響きが混ざっている気がしていた。

 優しいというよりは、大切に扱っているような、慈しむようなそんな響き。


 それはきっと、彼が今でも、その人のことを想っているからだ。

 

 もうこの世界にはいない、大切な人を。あの名前の響きに、その面影を重ねているのかもしれなかった。


(……朝凪には、いつか誰かと幸せになってほしいな)


 桜桃は、祈るようにそう願った。あんなに優しくて静かで、誠実な男なのだ。

 

 ただ――その隣にいるのは、自分ではないような気がした。

 それがなぜなのかは、今の桜桃には、まだよく分からなかった。


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