↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂桜華《きょうおうか》~亡国の姫は、名を捨て帝を目指す~  作者: 澪
第一章 桜、散る夜に【帝都崩落編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/148

第九話 婚約者候補と会う

 紫宸殿前に設けられた舞台の周りでは、灯りが増えて、音が重なっていく。


 笛の音が先に立ち、やがて弦がそれに重なる。灯りの中、舞姫たちが一歩前へ出た。衣が揺れ、袖が翻る。ひとつの流れとなって、舞台の中央へと広がっていく。


 どの娘も、美しかった。鍛えられた動き。整えられた所作。それぞれが、与えられた役目をきちんと果たしている。


 けれどその中で。


 一人だけ、違う色を帯びた存在があった。

 わずかに伏せられた瞳。流れる動きの中に、ほんの少しだけ滲む影。憂い、そして何より滲み出る気品。その少女に、自然と視線が集まっていく。


 桜桃は何も考えずに舞っていた。身体が覚えている通りに。教えられた通りに。流れに乗せていく。


 けれど、ふと、胸の奥に引っかかるものがある。


(違う)


 形は、なぞれている。でも、それだけだ。


(六花は、もっと――)


 思いかけて、言葉が止まる。

 もっと、上手かった。その事実だけが、頭によぎる。


 少し離れた場所で、一人の青年が、人の影に紛れ、気配を抑えながらその舞を見ていた。


 短くなった赤褐色の髪が、炎の光の中で静かに揺れる。だが、その視線だけは逸らされない。少女の動きをひとつひとつ、追っている。


 やがて、その目がわずかに見開かれた。


 ――生きている。


 声にはならない。安堵が遅れて胸に広がる。


 同時に、かつての光景が脳裏に浮かぶ。


 庭の端で、ぎこちなく足を運ぶまだ幼い少女と、その傍で手を取る侍女。


『違う、そこではありません』


『もっと、流れを見て』


 六花の声。何度も、何度も繰り返される指導。その積み重ねが、今、目の前にある。


 青年――朝凪は、懐かしむように目を細めた。


 そのときだった。


 舞の流れに合わせて足を運んだ瞬間、桜桃の足先が何かに引っかかった。


「っ……!」


 踏み出すはずの足が止まり、身体だけが前へ流れる。


 咄嗟に体勢を立て直そうとしたが、舞台の端はすぐそこだった。伸ばした足は虚しく宙を踏み、桜桃の身体が大きく傾いた。


 視界がぐらりと揺れる。


 舞台の下にいた人々が、驚いたように顔を上げた。


 朝凪が息を呑み、足を踏み出す。


 だが、それより早く、舞台の脇を歩いていた一人の男が動いた。


 男は落ちてくる桜桃へ迷いなく踏み込み、片腕を背に、もう一方を腰へ回した。受け止めると同時に片足を引き、身体をわずかに沈めて落下の勢いを逃がす。


 衣の裾が大きく翻り、桜桃はその腕の中に収まった。


「――!」


 地面に叩きつけられると思った次の瞬間には、力強い腕に支えられていた。


 桜桃は息を詰めたまま、恐る恐る顔を上げる。


 視界に飛び込んできたのは、墨色の長い髪だった。


 引き寄せられた距離の近さに、桜桃は息を詰め、思わずその目から目が離せなくなる。


 少し冷たさを孕んだ瞳。人の喧騒の中にいながら、その目だけがどこか別の場所にあるような目だった。炎の光が横顔に当たっている。その光の加減が、余計に──。


(──あ)


 見覚えがあった。

 あの廊下ですれ違った、軍装の男だ。朝凪と同じ二つの桜の階級章を襟に帯び、朝凪の代わりにその地位へ収まった、近衛中将。


(あの時の……っ)


 心臓の音が、やけに大きく響く。


 そのとき、微かに香がした。白檀の香り。舞の熱と、人の気配の中に紛れているはずなのに、不思議とそこだけが輪郭を持つ。


 男の視線が、こちらを見ている。


 あまりの距離の近さに、桜桃の顔が熱くなる。

 転んだせいだ。舞のせいだ。絶対に、それだけのせいだと思いたかった。


「足を捻ったようだ」


 低く、静かな声が響く。周囲のざわめきが止まる。


「失礼する」


 言葉は簡潔だった。だが、有無を言わせない。


 男はそのまま、桜桃の身体をそのまま横抱きに抱き上げた。軽く。まるで重さなど感じていないかのように。視界が一気に高くなる。ざわめきが広がる。


 桜桃は何も言えなかった。


「昊夜様……!」


 舞台から下を覗き込んだ花梨の声が、はっきりと響いた。


 ──昊夜。


 その名に、桜桃の思考が止まる。


(この人が、昊夜様……?)


 回廊で見かけた、朝凪の代わりを務める男。父に代わり玉座に座る新帝の息子。そして、謀反の夜に失われたはずの、自分の婚約者候補。


 ばらばらだった点が、一本に繋がっていく。


(……こんな人だったの)


 桜桃は思わず、男の横顔を見上げた。

 

 整った目鼻立ちに、墨色の長い髪。冷ややかな表情は、確かに令嬢たちが噂する『歩く氷山』そのものだった。


 けれど、その腕は思いのほか温かく、桜桃の身体を危なげなく支えている。


 嫌なのに、恐ろしいはずなのに、心臓が言うことを聞かずに激しく鳴り響く。


(……落ち着け、私。落ち着いて……)


 自分に必死に言い聞かせた。けれど、熱くなった顔は戻らない。


 昊夜はそのまま踵を返す。迷いなく、舞台を離れる。灯りの外へ。ざわめきの外へ。


 何も残さず、ただ一人の舞姫を連れて。


 それを見ていた花梨は、隣にいた娘へとゆっくりと視線を動かした。


「……わざと、足をかけたでしょう?」


 静かな声。それでも、逃げ場のない響きだった。


 椎香も娘の方を見ると、娘は視線を逸らした。


「何のことかしら」


 花梨は、その横顔をしばらく見つめていた。やがて、小さく溜息をつく。


 娘の肩が揺れる。


「……あのままじゃ、あの子に全部持っていかれていたわ。……あんなのが、急に前に出てくるから」


 悔しさと焦りが混ざっていた。


 花梨は目を細める。怒っているわけではない。ただ、理解してしまったような顔だった。


「それでも、舞の場で、そういうやり方は好きではありません」


 花梨の声は柔らかいままだった。だが、揺れない。


 娘は何も言えず、視線を落とした。


 音楽は、途切れなく続く。何事もなかったかのように、宴は続いていた。


***


 宴のざわめきが、遠くなっていく。


 昊夜に抱き上げられたまま運ばれた先は、宴の灯りから切り離された回廊だった。夜気は、少しだけ冷えていた。


 昊夜は歩みを緩め、柱の影へと入った。


「……降ろすぞ」


 短く告げる。桜桃は答える前に、そっと地に下ろされた。足に力を入れた瞬間、鈍い痛みが走る。息が詰まる。


「やはり、捻っているな」


 昊夜は淡々と言う。桜桃はその声を聞きながら、なぜかまだ心臓が落ち着いていないことに気づいた。足首のせいだろうか。それとも──。


「少し失礼する」


 昊夜が袖を翻し、膝を折った。


 桜桃は反射的に身を引きかけたが、すぐに止めた。

 

(……近い)


 視界に昊夜の髪が入ってくる。墨色の髪が、下を向いた拍子にさらりと落ちた。


 触れる指は、確かめるためだけのものだった。淡々としていて、感情が乗っていない、診るための手だった。


「骨には異常はないな」


 昊夜は視線を上げなかった。足首だけを見ていた。ただそれだけのことなのに、桜桃はなぜか視線の置き場に困った。


「人を呼ぼう」


「……いえ、大丈夫です」


 桜桃は首を振る。


 昊夜は一度だけ目を上げた。その目が一瞬こちらを見た。真っ直ぐに。


 桜桃は思わず目を逸らした。


「無理はするな」


 それだけを残して、昊夜は立ち上がった。


 やがて侍女が呼ばれ、足首に布が巻かれていく。桜桃は黙ってそれを受けていた。


 布を巻く手が動く間、桜桃はふと視線を庭へ向けた。灯りの向こう、そこにあるはずのもの。


 だが──桜は、もう散っていた。春は終わっている。分かっているのに、目が向く。そのこと自体を、ずっと避けていたのだと気づく。宮廷に戻ってから、一度も桜の木を正面から見ていなかった。


「なぜ、そんな顔をしている」


 桜桃が振り返ると、先程と変わらない表情で昊夜が立っていた。


「……どんな顔ですか」


「春の終わりを見ている顔だ」


 桜桃の呼吸が、一瞬止まる。言われた意味が、すぐには飲み込めない。ただ、それが正確すぎることだけは分かった。


「……別に」


「散るのが惜しいなら、そう言えばいい」


 昊夜の声は、どこまでも平坦だった。慰めるわけでも、憐れむわけでもない。


「形あるものは、いつか終わる。ただ、それだけのことだ」


「……殿下は、惜しいとは思われないのですか」


 思わず、言葉がこぼれていた。

 相手が新帝の息子であることも忘れ、桜桃は昊夜を見上げる。

 

 昊夜はただ、遠い夜の庭園へ視線を戻した。若葉の匂いを孕んだ生温い夜風が、彼の墨色の髪を揺らす。


「終わったものに割く感情は、持ち合わせていない」


 冷淡な響きだった。けれど、その横顔はひどく静かで、まるで最初から何も持たずに生まれてきたかのような、底知れない孤独を滲ませている。


 桜桃は息を詰めた。この人は、散りゆく春を惜しまないのではない。惜しむことさえ、とうに諦めて、通り過ぎていく季節をただ淡々と眺めているだけなのだと、直感的に気づいてしまったから。


「……そうですか」


 それ以上は、桜桃も追わなかった。追ってはいけない気がした。

 昊夜もそれ以上は語らなかった。ただ、視線だけが静かに残っていた。


(……名前だけ、知っていた人だったのに)


 こんな目をしている人だとは思っていなかった。それに、こんなふうに近くで言葉を交わす日はもう来ないと思っていた。


 やがて昊夜は踵を返した。回廊の奥へ、墨色の髪が揺れながら消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。