英雄を目指した少女
屋根を伝って駆け抜ける。
かつて一度でもこんなに街を見渡したことがあっただろうか。
リリィの足は止まらなかった。
リュミエールの声が、次に踏む場所を、飛ぶ角度を、すべて指示してくれる。
『右の軒先を蹴って、次は二階の瓦屋根を』
「了解」
返事は短く。
だが、奇妙な安心感が胸の奥に灯っていた。
この声がある限り進める。
「ねえ、リュミエール」
息を整えながら、リリィは問いかけた。
「仲間たちと合流しなくていいの? エルナも、ヴァルトも、戦える」
『ううん、必要ない』
即答だった。
「前回の戦いで、弱点を見つけたとか?」
『そんなとこ』
濁された言葉に、リリィは眉をひそめる。
だが、それ以上は追及しなかった。
代わりに、蔓が襲いかかる。
無数の細蔓が、鋭く、蛇のようにしなりながら飛んでくる。
「左跳び、右転がって、屋根瓦を崩して下に落として、今!」
指示に従えば、不思議と当たらない。
それはもはや信頼というより、魂の共鳴だった。
そして、到達した。
魔法ギルドがあった場所。
そこに、ギルドの面影は一片も残されていなかった。
残骸。砕けた窓。折れた扉。
そしてその周囲には、積み上げられた無数の人の亡骸。
子ども、老人、商人、冒険者。
皆、何の罪もなく、ただここにいた人々だった。
「……っ」
息が詰まった。
巨樹の根が、死体の山に食い込み、養分を吸い上げている。
蔓は太く、濃く、赤く染まっていた。
「許せない」
リリィは剣を構えた。
その拳が震えているのは、怒りか、恐怖か、あるいはその両方だった。
『リリィ』
リュミエールの声が、そっと降りてくる。
『三つだけ、言いたいことがあるんだ』
「……え?」
『ミレイユに……エルナや、ヴァルトにも本当は伝えたかったけど』
『もう、時間がないから、君にだけ』
「リュミエール?」
その時だった。
彼女の体に蔓が殺到する。
地を這い、空を舞い、すべてを飲み込まんとする。
リリィは反射的に飛ぼうとして、硬直した。
視界の端にあった、割れたガラス片。
そこに映る自分の“眼”が妖しく輝いていた。
邪眼。
(あ……)
何故かこの状況で呑気な思考が脳裏をよぎる。
(……この邪眼って、反射物を通せば自分にも作用するんだ)
動けぬリリィを、蔓の群れが捉えた。
裂かれ。
潰され。
捻じ切られる。
剣を持つ腕が、引き千切られる感覚。
声を上げる間もなく、意識が沈んでいく。
溢れた血を、根が吸い上げていく。
命が、音もなく吸われていく。
(……ああ)
そのとき、リリィの魂の底で。
スキルが、発動した。
『寄生』
激痛も、恐怖も、すべてが闇に溶ける。
ただ一つ、残ったのは。
あのとき、リュミエールが言った三つの言葉。
「ごめん」
「さようなら」
「元気でね」
なぜ、それを彼女は口にしたのか。
理解できぬまま、リリィは静かに目を閉じた。




