第9話 相槌の呼吸、忍び寄る徴募
朝靄の立ち込める宿場の小路を、宗玄は静かに歩いていた。
足元の霜柱が、地下足袋の底で微かな音を立てて砕ける。空堀での立ち合いから半刻。泥を落とし、呼吸を整え終えた身体は、若い血の巡りを取り戻して熱を持っていた。
鍛冶場の引き戸を押し開けると、冷え切った土間に、まだ昨日の煤の匂いが重く澱んでいた。
奥の炭炉の前で、吉蔵が煙管の先を灰に突っつきながら、不機嫌そうに顔を上げる。
「……おう、落ち武者の小倅。生きて戻ったか」
吉蔵は吐き捨てるように言ったが、宗玄の全身に大怪我ひとつないのを見て取ると、隻眼をわずかに細めた。
「堀端の騒ぎはここまで聞こえてたぜ。錆甲冑が出たってな。……命からがら逃げ帰って、銭七枚を返せとでも言いに来たか」
宗玄は何も言わず、腰の帯から麻布の包みを解いた。
そして、無造作に金床の上へ置く。
ゴト、と金床が鈍く軋む重い音が響いた。
包みがはらりと開き、露わになったのは、拳大の黒鉄の塊。
表面には冷え固まった血脂のような赤黒い筋が走り、周囲の冷気を吸い込むように、鈍く青黒い光を宿している。
吉蔵の煙管が、指の間からポロリと灰の中に落ちた。
「……おい、嘘だろ」
老鍛冶は膝をつくようにして金床へすがりついた。煤けた指先で、恐る恐るその塊に触れる。
指の腹を伝う、吸い付くような比重と特異な粘り。
「錆甲冑の……心核だ。本物じゃねえか。……おい小倅、貴様、あれをどうやって仕留めた。あれは並の太刀じゃ刃が立たねえはずだぞ」
「関節の隙間を解いたまでだ」
宗玄は腰の無銘刀を鞘ごと抜き、金床の脇へ置いた。
「約束通り、火と道具を借りたい。この刀の反りの捩れを叩き出し、刃筋を揃え直す。……手伝ってもらえるか、吉蔵殿」
吉蔵は顔を上げ、宗玄を凝視した。
泥塗れの若い武者。だが、その佇まいに一片の驕りも興奮もない。朝の井戸水を汲みに来たかのような平然とした眼差し。
老鍛冶は唾をひとつ飲み込むと、煤けた手ぬぐいで額の脂汗を乱暴に拭った。
「……ふん。腕利きの狂言じゃなかったってわけだ。いいぜ。炉に火を熾せ。この黒鉄の滓を噛ませて、ただの鈍刀から化け物斬りの業物へ仕立て直してやる」
ふいごが深い呼気のように唸り、炭炉の底から朱色の焔が立ち上る。
宗玄が握るふいごの柄の引き方は、最初から一定のリズムを刻んでいた。早すぎず、遅すぎず。炭の芯へ均等に空気を送り込む。
「小倅、ふいごの扱いまで手慣れてやがるな」
吉蔵が火箸で刀身を挟み、炉の奥、最も熱度の高い還元炎の中へと差し入れた。
鋼が熱を吸い、黒から濃い赤、そして橙色へと変色していく。
「引き出すぞ!」
吉蔵の合図とともに、赤熱した刀身が金床の上へ据えられた。
同時に、吉蔵は砕いた黒鉄の微粉末を、藁灰とともに手早く刀身の捩れた箇所へ振りかける。
「叩け!」
宗玄が手鎚を振り下ろす。
カン!
澄んだ金属音が土間に響き渡る。
続いて吉蔵の大鎚が、同じ打撃点へ寸分の狂いもなく落ちた。
ドン!
カン、ドン、カン、ドン。
相槌の理合。
それは古流剣術の間合いの取り合いと何ら変わらなかった。宗玄が刀身の微妙な厚みと歪みを見極めて鎚を落とせば、吉蔵はその意図を瞬時に察し、鋼の奥へ圧を叩き込む。
二人の呼吸が完全に一致し、無駄な火花が散らない。
熱せられた刀身の隙間へ、黒鉄の微粒子が叩き込まれ、組織の奥深くへと溶け込んでいく。
心鉄の頼りない柔らかさを締め、皮鉄の偏った焼き入れを叩き直す。宗玄の前世における刀剣保存の学識と、吉蔵がこの乱世で培った叩き上げの技術が、灼熱の鋼の上で交差していた。
「……水だ!」
吉蔵が刀身を一気に水槽へと沈める。
ジュウウウッ!
激しい水蒸気が立ち上り、土間を白く包み込んだ。
刃先が冷水の中で締まり、反りが理想的な弧を描いて固定される。
引き上げられた刀身を、宗玄は荒砥へと当てた。
シュッ、シュッ、と規則正しい研磨の音。
黒鉄を噛ませた刃境には、夜の帳のような深い青黒い刃文が浮かび上がっていた。指の爪を当てて滑らせると、吸い付くように止まる。捩れは完全に消え、正中線に対して寸分の狂いもない刃筋が通っていた。
「……出来たな」
吉蔵が荒い息を吐きながら、炭炉の脇に腰を下ろした。
「数打ちのナマクラが、見違えやがった。黒鉄の粘りが乗って、骨を断っても刃こぼれしねえ粘りが出てる。……大切に使いな」
「礼を言う、吉蔵殿。見事な火だった」
宗玄が柄を握り、ゆっくりと切っ先を青空へ向けたその時だった。
「――九十九様!」
鍛冶場の外から、息を切らした女の声が飛び込んできた。
浅葱色の小袖を泥で汚し、髪を振り乱したサヨだった。その背後、宿場の目抜き通りの向こうから、重い足音が幾重にも響いてくる。
「サヨ殿か。息が上がっておるぞ」
宗玄が刀を鞘へ滑り込ませると、サヨは鍛冶場の敷居に手を突き、肩で息をしながら叫んだ。
「お逃げ……いえ、陣屋の武者頭が参ります! 昨夜、外郭で錆甲冑を倒したのが九十九様だと知れて……!」
サヨの言葉が終わらぬうちに、街道の土埃を巻き上げて、六人の武装した武士が鍛冶場の軒先を取り囲んだ。
いずれも揃いの黒漆の胴丸に、長柄の槍。先頭に立つのは、髭を綺麗に撫でつけた、冷徹な目つきの中年武者だった。
「九十九が倅、弥十郎とお見受けする」
武者頭が、抜刀を警戒するように柄に手を添えたまま、土間へと踏み込んできた。
「陣屋の代官・神保様より、直々の下知である。昨夜の槍働き、実に見事であった。……ついては今宵、山裾の常世穴より湧き出るマガツモノの元凶を断つべく、先陣の斬り込み隊を編成すること相成った」
武者頭の口元に、冷たく薄い笑みが浮かぶ。
「腕の立つ落ち武者には、先陣を務める栄誉が与えられる。……断りは利かんぞ。黒石の防壁の内にとどまりたくば、その身を以て町を守る盾となれ」
先陣の斬り込み。
生き残る見込みのない、体裁のよい「捨て駒」の徴募だった。
サヨが血の気の引いた顔で宗玄を見つめる。
吉蔵が忌々しそうに金床の上の灰を睨みつけた。
宗玄は、打ち直したばかりの太刀を静かに腰へ差し直すと、武者頭の冷ややかな視線を真っ向から受け止めた。
「……先陣か。面白い」
青年の喉から出た声は、怯えも怒りもなく、ただ秋の朝の澄み切った水のように静まり返っていた。
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黒鉄を打ち込み、業物として蘇った愛刀。しかし宿場の権力者から非情な「先陣」を命じられた宗玄の次なる一手とは――。
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