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剣理無頼 ~転生した老宗家は、落ち武者の躰で人外の骨を断つ~  作者: 綿毛隕石


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第18話 暗夜の羽音、遠山の目付

夜風が杉の梢(こずえ)を揺らし、擦れ合う葉擦れの音が絶え間なく闇を満たしていた。


宗玄は砦の裏手の崖道を登り、尾根筋に出た。背後には、見届け役として同行を志願した成瀬新十郎が、抜刀を抑えた手つきで息を殺して追随してくる。


新十郎は幾度も頭上の暗がりへ視線を走らせていた。だが、鬱蒼と茂る枝葉が重なり合い、月明かりの届かぬ漆黒の帳が落ちているばかりで、鳥の姿など影も形も見当たらない。


「九十九殿、立ち木に身を寄せた方が……」


新十郎が声を潜めて進言した。

だが、宗玄は静かに片手を上げて制した。


「木を背にすれば、上からの死角が増す。飛び交う獣の思う壺よ」


宗玄が選んだのは、尾根の先端、三方が切れ落ちた平坦な岩棚だった。

周囲に立ち木はなく、夜空が円形に抜けている。自らの姿を餌として晒し、敵の滑空経路を頭上の開口部ひとつに絞り込ませる――古流における「釣り野伏」の理合。


「成瀬殿は岩陰に伏せていろ。……首筋を晒すなよ」


宗玄は背負っていた四尺八寸の大太刀を解き、鞘ごと岩棚の中央へ静かに横たえた。

手にしたのは腰の打刀のみ。親指の腹で鍔をわずかに押し、鯉口(こいぐち)を三分切る。


足幅を一尺五寸。膝の力を抜き、骨盤を立てる。

宗玄は夜空を見上げない。

顔を正面へ向け、視線を特定の一点に結ばず、遥か彼方の稜線をおぼろげに捉える。


静観流における目付の秘訣――「遠山の目付(えんざんのめつけ)」。


暗闇で目を凝らせば、動く一点に意識が奪われ、視野が狭まる。全体をぼんやりと視野に収め、皮膚の表面を撫でる大気の揺らぎに全神経を委ねる。


ピタリ、と風が止んだ。

梢を揺らしていた擦過音が消え去る。


その静寂のただ中、宗玄の左耳の奥で、異様な気流の軋みが捉えられた。

羽ばたきではない。翼を限界まで窄(すぼ)め、重力に従って自由落下してくる物体が空気を押し分ける――ヒュウ、という極めて細い摩擦音。


頭上三丈。背後の死角。

新十郎の目には、ただの暗黒にしか見えていなかったはずだ。


だが、宗玄の頸筋の産毛が、落下してくる冷気の塊を正確に感じ取っていた。

濡れた黒い羽毛に覆われた人型の輪郭。

顔面は肉を削ぎ落とした頭蓋骨そのもので、月光を吸わない漆黒の鋭い嘴(くちばし)が、青年の項(うなじ)を刺し貫かんと迫る。


落下速度が最高潮に達し、地表を掠めるために翼をわずかに開く刹那。

獲物を肉鉤で捉えようと、怪異の姿勢が爪先を突き出す形で固定される――武道でいう「居着き(いつき)」。


(そこだ)


宗玄の右手が消えた。

腰を半回転させ、右足の親指を軸に身体を真後ろへ旋回させる。

同時に、黒鉄(くろがね)を噛ませた白刃が、鞘の内壁を滑って一閃した。


居合・逆袈裟。

力任せに振り上げない。相手の落下速度のベクトルに対し、四十五度の角度で刃筋をただ「置きに行く」。


ズシャッ!


硬い羽毛と肉を両断する、湿った手応え。

嘴喰(ハシバミ)の右翼が、付け根の骨ごと斜めに切り飛ばされ、黒い羽毛が空中に弾け散った。


「ギャアッ――!?」


甲高い悲鳴。

推進力を片方だけ失った怪異は、旋回も叶わず、自らの落下慣性のまま岩棚の硬い岩肌へ激突した。


ゴシャリ、と頭骨が砕ける鈍い音。泥と黒い体液を撒き散らし、痙攣しながら岩肌を滑り落ちていく。


「な……一撃で……!?」


岩陰の新十郎が息を呑んだ。

振り抜かれた宗玄の打刀の切っ先は、微塵の揺らぎもなく水平に止まり、刃には血糊ひとつ付着していなかった。切断の瞬間、刃筋を滑らせて体液を弾き飛ばしていたからだ。


しかし、宗玄は残心(ざんしん)を解かない。

即座に左足を踏み出し、岩の上に横たえていた四尺八寸の大太刀の柄へ、左手を伸ばした。


ギィィィヤアアアッ!


頭上の闇から、激怒に満ちた二つの絶叫が重なって降り注いだ。

仲間を討たれた残る二体。


地上の獲物が刀を振り切った隙を突く、完璧な連携。

左右に散開した二筋の黒影が、岩棚の端を抉るように弧を描き、宗玄の首と胴を同時に刈り取らんと挟み撃ちの軌道で滑空してくる。


左右同時の急降下。片方を打刀で払えば、もう片方の鉤爪が背中を抉る。

宗玄は打刀を逆手に持ち替えた。

同時に、左手で掴んだ大太刀を、鞘ごと無造作に左上方へ跳ね上げる。


「フッ!」


短い呼気。

左から迫った嘴喰の鋭利な嘴が、突如として空間を塞いだ大太刀の頑丈な「朴(ほお)の木の鞘」へと真正面から激突した。


バキィッ!


四尺八寸の重量と、名工の鍛えた硬い鞘。

自らの滑空速度で嘴を叩きつけられた嘴喰は、頸椎を激しく軋ませ、空中で錐揉み状態となって失速した。


その一瞬の隙。

宗玄は右手の打刀を順手へ戻し、右から飛び込んできたもう一体の懐へ、正面から滑り込んだ。

相手の鉤爪が青年の小袖をかすめ、布を切り裂く。

だが、宗玄の正中線はすでに相手の懐の内側、人外の胸骨の直下に位置していた。


下段からの突き。

黒鉄を仕込んだ二尺二寸の切っ先が、烏天狗の鎖骨の隙間――肺腑の芯へと、体重のすべてを乗せて吸い込まれる。


ドスリ。


背中まで突き抜けた白刃。

宗玄は足を止めず、相手の突進力を利用して右肩で怪異の胸板を突き飛ばし、刀を一気に引き抜いた。

黒い血飛沫が闇を染め、二体目が声もなく崩れ落ちる。


残るは、鞘で嘴を砕かれ、岩棚の上で羽ばたいて姿勢を立て直そうともがく最後の一体。

宗玄は左手に提げた大太刀の鯉口を、右手の親指で弾いた。


ジャリ、と重い鉄の擦れる音。

四尺八寸の白刃が、月なき闇の底で、妖しい波紋を浮かび上がらせて引き抜かれる。


両手で柄を握り、頭上へ高く掲げる「天神の構え」。

大太刀の圧倒的な質量が、青年の全身の骨格を引き絞る。


「ガ、ア……ッ」


嘴喰が片翼で泥を掻き、跳躍して逃れようとした瞬間――。

宗玄は前足の膝を抜いた。


腕で振らない。

四尺八寸の鉄塊が持つ重力に従い、刃先をただ真下へと落下させる。


ドガンッ!


岩棚の硬い岩盤が火花を散らし、粉塵が夜風に吹き飛んだ。

両断された怪異の巨躯が、左右へと静かに倒れ伏し、岩肌を黒い血で濡らしていく。


静寂が戻った。

風が再び吹き始め、杉の葉擦れの音だけが、何事もなかったかのように夜の山を包み込む。


宗玄は大太刀の刀身を拭い、静かに鞘へと収めた。

カチリ、と硬質な音が響く。


新十郎は岩陰から立ち上がることができず、泥に膝をついたまま、青年の背中を呆然と見上げていた。

空を飛ぶ人外の群れを、ただの足運びと間合いの操作だけで、庭の雑草を刈るかのように解体してみせた老練の技。


「……成瀬殿」


宗玄が振り返る。

青年の切れ長な双眸は、闇の中でも澄み切っていた。


「怪異は三体。すべて落ちた。……砦へ戻り、兵部殿に報せよ」


山あいの冷気が、老宗家の静かな息遣いとともに白く夜空へと昇っていった。

お読みいただきありがとうございました。

滑空する異形の急降下を「遠山の目付」と二振りの刀で見事に断ち切った宗玄。

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