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剣理無頼 ~転生した老宗家は、落ち武者の躰で人外の骨を断つ~  作者: 綿毛隕石


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第15話 秋気洗刃、背奈の蹄跡

笹薮をかき分けると、耳に届く水音が俄かに高くなった。

岩肌を滑り落ちる沢水。


宗玄は背から大太刀を解き、腰の二振りを岩の上に置いた。膝をつき、両手で掬い上げた水は、氷のように掌を刺す。


顔を洗う。こびりついた乾いた泥と、業鬼の黒い体液の滓(かす)が濁りとなって流れ去る。額の傷口に触れると鋭い痛みが走ったが、出血はすでに止まり、縁が硬く引き締まり始めていた。若い肉体の回復力は、老いた前世の感覚からすれば驚くほど速い。


破れた小袖を脱ぎ、冷水で手早く濯ぐ。

胴回りの鬱血した皮膚を秋の風に晒すと、芯に籠もっていた濁った熱がすっと抜けていくのが分かった。


(まずは腹を塞ぐか)


空腹の胃腑が、雑巾を絞るようにきしむ。

宗玄は沢沿いの砂地から手頃な柳の枝を一本手折ると、脇差(わきざし)の刃先で先端を斜めに削ぎ落とした。簡易の突き銛。


深みを見定め、水底の小石の間に潜む川魚の影を探す。

水面を揺らさぬよう、音を立てずに足を運ぶ。前世で教えた古流の歩法「無拍子」。水中の光の屈折を見越し、魚の影のわずか下を狙って一瞬で穂先を突き下ろした。


二寸ほどの鮠(ハヤ)が二匹、暴れながら水飛沫を散らす。

さらに沢辺の湿地から、秋の野蒜(のびる)の白い鱗茎を数本、土ごと掘り起こした。


風の通らぬ岩陰に枯れ葉を集め、火打ち金を打ち合わせる。

カチ、カチと鋭い火花が火口(ほくち)に落ち、細い煙が立ち上る。息を吹き込み、小枝をくべると、小さな赤い炎が安定した熱を放ち始めた。


魚の内臓を脇差の切っ先で掻き出し、枯れ枝に刺して遠火で炙る。野蒜の泥を洗い、生のまま齧ると、鼻に抜ける辛味と微かな甘みが渇いた口内を潤した。


香ばしい煙の匂い。

焼き上がった魚を骨ごと噛み砕き、湯気とともに腹の底へ落とす。

塩気のない淡白な白身だが、川魚のほのかな脂と、生齧りした野蒜の強い辛味が、乾いた舌と胃腑を激しく刺激する。

決して豪勢な飯ではない。泥臭い野山そのものを喰らい尽くすような滋味が、疲弊した筋繊維の末端へ、確かな生命の力となって染み渡っていった。


火を土で埋め、完全に消火を確認したのち、宗玄は岩の上に腰を下ろした。

陽光を浴びる二振りの刀。


腰の打刀は、吉蔵の手で黒鉄(くろがね)を鍛え込まれたことで、刃文(はもん)の奥に重厚な青みが沈んでいる。手入れ用の油を布に数滴垂らし、棟から刃先へと薄く引く。


そして――背負ってきた豪刀。


茎(なかご)の目釘を抜き、柄を外して鉄肌を改める。

目釘孔は二つ。銘は「備前国長船住人――」と刻まれており、後続の刀工名は擦り切れて読めない。だが、地鉄の詰み具合と、波のようにうねる丁子乱れの刃文を見れば、名ある鍛冶の鍛錬であることは明白だった。


刃長は四尺八寸。重量は通常の打刀の三倍近い。

抜刀して片手で振れば、青年の腕の筋など二振りで断裂する。


「……背中で抜く刀ではないな」


宗玄は柄を握り直すと、立ち上がり、広々とした河原の砂利の上に素足で立った。

足裏を沈め、骨盤を立てる。


大太刀を両手で持ち、上段に構えようとはしない。切っ先を前方へ斜めに向け、刀身の自重をそのまま両腕に預ける「平正眼(ひらせいがん)」。


スッ、と一歩踏み出す。

腕の筋力で振り回さない。

自重の落下。前足の膝を抜き、腰の回転とともに大太刀の質量を前方へ投げ出す。


ズンッ。


空気を切り裂くのではなく、空気が押し潰されるような重苦しい低音が響いた。

振られた大太刀の遠心力に引っ張られそうになる身体を、宗玄は後足の踵を泥に食い込ませ、背筋の引きで完全に受け止める。


二振り、三振り。

素振りを重ねるごとに、四尺八寸の鉄塊が描く弧線が、弥十郎の肉体と一つに溶け合っていく。


(人間相手の乱戦で振り回す得物ではない。……だが、あの錆甲冑や巨躯の化生の骨を叩き割るには、この遠心力と質量こそが最大の利器となる)


近間の打刀、大敵を砕く大太刀。

二つの牙が、老宗家の剣理の内に完全に収まった。


刀身の脂を拭い、鞘へ納める。カチリと鳴る鯉口(こいぐち)の音が、秋の澄んだ空気に吸い込まれて消えた。


昼過ぎ、宗玄は北嶺の山裾を抜け、南東へと延びる平地へと下り立った。

黒石の宿場町は、すでに背後の山の向こう。代官や鳥羽の支配が及ぶ領域からは、完全に外れていた。


目の前に現れたのは、踏み固められた土の街道。

黒石周辺の泥濘とは異なり、水捌けの良い砂利が敷かれ、道幅も三間と広い。街道の脇には、旅人が一息つくための石の道標が立ち、「東・佐原領(さわらりょう)」と刻まれていた。


「……ほう」


宗玄は道標の根元に屈み込み、土の窪みを指先でなぞった。

新しい蹄の跡。


それも、高坂の敗残兵のような足の乱れた馬ではない。蹄鉄が均等に土を噛み、歩幅も寸分の狂いなく揃っている。騎馬が四騎、その両脇を長柄の槍を持った徒歩の兵が六人。

整然とした、軍旅の斥候の足跡。


さらに視線を上げると、遠くの山の頂――砦とおぼしき小高い丘の上から、細く白い煙がまっすぐに青空へと立ち上っていた。


烽火(のろし)だ。

戦乱の兆候を告げる乱雑な黒煙ではない。定時に街道の安全を確認し合う、軍律の行き届いた領主の合図。


(隣領の佐原家か……。高坂の崩壊を受け、怪異の南下を防ぐべく境目を固めておるな)


黒石の腐敗した寄り合い所帯とは違う。

明確な主筋と規律を持ち、組織立って防衛線を構築している勢力の気配。


宗玄は背負った大太刀の緒を締め直し、腰の打刀に手を添えた。

落ち武者の身なりでうろつけば、間者として即座に首を刎ねられかねない。だが同時に、確固たる秩序を持つ地であればこそ、確かな武芸と剣理を持つ者には、相応の立場と生きる道が開かれている。


秋晴れの街道の先。

冷たい風が、遠くの陣太鼓の微かな響きを運んできていた。

お読みいただきありがとうございました。

新たな地「佐原領」へと足を踏み入れた宗玄。整然とした軍旅の気配が、次の物語の幕開けを予感させます。

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