↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣理無頼 ~転生した老宗家は、落ち武者の躰で人外の骨を断つ~  作者: 綿毛隕石


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/21

第13話 業風の太刀、石柱の理

足裏の一枚岩が、突進の衝撃で微かに震えた。


五尺の太刀が、左肩口から斜め下方へ向けて振り下ろされる。袈裟斬り。

風を裂く鋭い音ではない。空気を力任せに押し潰す、大木が倒れ込むような轟音が鼓膜を打った。


直撃を受ければ、肉体はおろか、受け止めた刀身ごと両断される。

宗玄は上体を起こさない。


「下段の霞」に垂らしていた切っ先をそのままに、左足の親指で濡れた岩盤を後方へ半寸蹴り、腰を垂直に沈めた。


ゴォン!


業鬼の切っ先が、宗玄の鼻先わずか二寸の虚空を薙ぎ払う。

巻き起こった突風が、青年の乱れた前髪を激しく巻き上げた。冷たい地下水混じりの風圧が皮膚を叩く。


だが、空振りで終わりはしない。

業鬼は巨躯に似合わぬ滑らかな手首の返しで、振り抜いた五尺の刀身を岩肌すれすれで跳ね上げ、下段からの斬り上げへと連動させた。力任せの獣には不可能な、剣理に基づいた円運動の太刀筋。


(……鹿島か、念流の流れか。打ち込みの重さを次の太刀の推進力に変えておる)


宗玄の老いた鑑識眼が、瞬時に相手の流儀を腑分けする。

逃げ場を失えば胴を両断される下からの刃筋。


宗玄は退かなかった。退けば五尺のリーチに呑まれる。

前へ。


右足を業鬼の左膝の内側へ踏み込ませる「入り身」。

同時に、手にした二尺二寸の打刀を垂直に立て、刀身の「鎬(しのぎ)」を業鬼の太刀の腹へ、撫でるように添わせた。


キィィィン!


耳を劈く甲高い金属摩擦音が空洞に反響し、火花が青白い燐光の中に散った。

刃と刃を直角に噛み合わせるのではない。四十五度の角度で相手の刃を受け、上へと滑らせて軌道を頭上へ逸らす。


吉蔵の鍛冶場で黒鉄(くろがね)を鍛え込まれた刀身が、尋常ならざる重圧を受け止めながらも、折れも曲がりもせず微かなしなりをもって衝撃を殺す。


(……耐えたな、黒鉄)


宗玄の掌に伝わる確かな剛性。

だが、業鬼の膂力(りょりょく)は人外のものだった。逸らされた太刀の余波だけで、宗玄の右肩の筋肉が悲鳴を上げ、足裏が岩肌を二寸ほど後方へ滑る。


「ガ、アァッ!」


面頬(めんぼう)の隙間から、鉄錆を吐き出すような唸り声。

業鬼は体勢を崩しかけながらも、漆黒の鉄甲に覆われた左肘を、宗玄の顔面へ向けて打ち据えてきた。当世具足の重量を乗せた肘当て。


宗玄は即座に右手を引き、柄頭(つかがしら)を肘の軌道の外側へ押し当てて衝撃を流した。しかし、掠めた鉄板の角が額の皮膚を切り裂き、生温かい血が左目の端へ一筋垂れ落ちる。


間合いが離れる。五間。

宗玄は左手で額の血を拭い、荒くなりかけた呼気を腹の底へ押し戻した。


肺が冷たい地気を吸い込み、気道が焼けるように痛む。若い弥十郎の肉体はまだ限界に近い。長時間の立ち合いは不可能。刃を交える手数は、あと三合が限度だった。


(間合いの長さ、膂力の差。……平地でまともに付き合う道理はない)


宗玄は背後に視線を走らせた。

巨石柱の根元。天井から垂れ下がった無数の鍾乳石が、岩盤と繋がって林立する天然の石柱群。

間隔は半間から一間。人が一人すり抜けるのがやっとの狭隘な地形。


宗玄は太刀を中段に据え直したまま、摺り足(すりあし)で後退を始めた。

岩盤を擦る地下足袋の音。


業鬼の赤黒い双眸が嘲笑うかのように細まり、獲物を追い詰める歩法で距離を詰めてくる。

五尺の長刀を右脇に引き絞る「八相(はっそう)」の構え。巨躯が一気に加速し、石柱の隙間へ足を踏み入れた宗玄を追って跳躍した。


「グルルゥッ!」


業鬼の太刀が、横一文字に薙ぎ払われる。

巨石柱ごと青年の胴を両断せんとする、渾身の薙ぎ。


だが――。


ギャリィィンッ!


激しい火花とともに、鈍い破砕音が空洞を揺るがした。

五尺の長刀の切っ先が、宗玄の眼前三寸にある太い鍾乳石の柱を半ばまで叩き折り、硬い炭酸カルシウムの岩肌に深々と食い込んだのだ。


刀身が石に噛み、業鬼の腕が一瞬、硬直する。

長大なる武器の宿命。狭い地形において、その長さは自らを縛る枷へと転じる。


(今だ)


宗玄の身体が、前へ滑り出た。

迷いはない。恐れもない。


八十四年の生涯、木刀の先に見据え続けた「理合の極み」が、青年の骨肉を完全に掌握していた。

噛み込んだ太刀を力任せに引き抜こうとする業鬼の右腕。その肩甲骨が吊り上がり、胴丸と草摺の間に、黒く脈打つ首筋の肉が剥き出しになる――。


静観流・奥伝。

自らの命の重さをそのまま刃先に乗せる、捨て身の一刀。


宗玄は呼気を完全に吐き出し、相手の懐の最深部へと、己の全質量を投げ入れた。

お読みいただきありがとうございました。

巨躯の長刀を石柱の罠へと誘い込み、勝負の「刹那」を捉えた宗玄。

少しでも面白いと感じていただけましたら、ブックマーク登録や下部の【☆☆☆☆☆】での応援をぜひお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。