第13話 業風の太刀、石柱の理
足裏の一枚岩が、突進の衝撃で微かに震えた。
五尺の太刀が、左肩口から斜め下方へ向けて振り下ろされる。袈裟斬り。
風を裂く鋭い音ではない。空気を力任せに押し潰す、大木が倒れ込むような轟音が鼓膜を打った。
直撃を受ければ、肉体はおろか、受け止めた刀身ごと両断される。
宗玄は上体を起こさない。
「下段の霞」に垂らしていた切っ先をそのままに、左足の親指で濡れた岩盤を後方へ半寸蹴り、腰を垂直に沈めた。
ゴォン!
業鬼の切っ先が、宗玄の鼻先わずか二寸の虚空を薙ぎ払う。
巻き起こった突風が、青年の乱れた前髪を激しく巻き上げた。冷たい地下水混じりの風圧が皮膚を叩く。
だが、空振りで終わりはしない。
業鬼は巨躯に似合わぬ滑らかな手首の返しで、振り抜いた五尺の刀身を岩肌すれすれで跳ね上げ、下段からの斬り上げへと連動させた。力任せの獣には不可能な、剣理に基づいた円運動の太刀筋。
(……鹿島か、念流の流れか。打ち込みの重さを次の太刀の推進力に変えておる)
宗玄の老いた鑑識眼が、瞬時に相手の流儀を腑分けする。
逃げ場を失えば胴を両断される下からの刃筋。
宗玄は退かなかった。退けば五尺のリーチに呑まれる。
前へ。
右足を業鬼の左膝の内側へ踏み込ませる「入り身」。
同時に、手にした二尺二寸の打刀を垂直に立て、刀身の「鎬」を業鬼の太刀の腹へ、撫でるように添わせた。
キィィィン!
耳を劈く甲高い金属摩擦音が空洞に反響し、火花が青白い燐光の中に散った。
刃と刃を直角に噛み合わせるのではない。四十五度の角度で相手の刃を受け、上へと滑らせて軌道を頭上へ逸らす。
吉蔵の鍛冶場で黒鉄を鍛え込まれた刀身が、尋常ならざる重圧を受け止めながらも、折れも曲がりもせず微かなしなりをもって衝撃を殺す。
(……耐えたな、黒鉄)
宗玄の掌に伝わる確かな剛性。
だが、業鬼の膂力は人外のものだった。逸らされた太刀の余波だけで、宗玄の右肩の筋肉が悲鳴を上げ、足裏が岩肌を二寸ほど後方へ滑る。
「ガ、アァッ!」
面頬の隙間から、鉄錆を吐き出すような唸り声。
業鬼は体勢を崩しかけながらも、漆黒の鉄甲に覆われた左肘を、宗玄の顔面へ向けて打ち据えてきた。当世具足の重量を乗せた肘当て。
宗玄は即座に右手を引き、柄頭を肘の軌道の外側へ押し当てて衝撃を流した。しかし、掠めた鉄板の角が額の皮膚を切り裂き、生温かい血が左目の端へ一筋垂れ落ちる。
間合いが離れる。五間。
宗玄は左手で額の血を拭い、荒くなりかけた呼気を腹の底へ押し戻した。
肺が冷たい地気を吸い込み、気道が焼けるように痛む。若い弥十郎の肉体はまだ限界に近い。長時間の立ち合いは不可能。刃を交える手数は、あと三合が限度だった。
(間合いの長さ、膂力の差。……平地でまともに付き合う道理はない)
宗玄は背後に視線を走らせた。
巨石柱の根元。天井から垂れ下がった無数の鍾乳石が、岩盤と繋がって林立する天然の石柱群。
間隔は半間から一間。人が一人すり抜けるのがやっとの狭隘な地形。
宗玄は太刀を中段に据え直したまま、摺り足で後退を始めた。
岩盤を擦る地下足袋の音。
業鬼の赤黒い双眸が嘲笑うかのように細まり、獲物を追い詰める歩法で距離を詰めてくる。
五尺の長刀を右脇に引き絞る「八相」の構え。巨躯が一気に加速し、石柱の隙間へ足を踏み入れた宗玄を追って跳躍した。
「グルルゥッ!」
業鬼の太刀が、横一文字に薙ぎ払われる。
巨石柱ごと青年の胴を両断せんとする、渾身の薙ぎ。
だが――。
ギャリィィンッ!
激しい火花とともに、鈍い破砕音が空洞を揺るがした。
五尺の長刀の切っ先が、宗玄の眼前三寸にある太い鍾乳石の柱を半ばまで叩き折り、硬い炭酸カルシウムの岩肌に深々と食い込んだのだ。
刀身が石に噛み、業鬼の腕が一瞬、硬直する。
長大なる武器の宿命。狭い地形において、その長さは自らを縛る枷へと転じる。
(今だ)
宗玄の身体が、前へ滑り出た。
迷いはない。恐れもない。
八十四年の生涯、木刀の先に見据え続けた「理合の極み」が、青年の骨肉を完全に掌握していた。
噛み込んだ太刀を力任せに引き抜こうとする業鬼の右腕。その肩甲骨が吊り上がり、胴丸と草摺の間に、黒く脈打つ首筋の肉が剥き出しになる――。
静観流・奥伝。
自らの命の重さをそのまま刃先に乗せる、捨て身の一刀。
宗玄は呼気を完全に吐き出し、相手の懐の最深部へと、己の全質量を投げ入れた。
お読みいただきありがとうございました。
巨躯の長刀を石柱の罠へと誘い込み、勝負の「刹那」を捉えた宗玄。
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