第4話
帝都の南門前、石造りの城壁の外側に広がる街道には、十数台の大型輜重車が列をなしていた。
吹き抜ける初夏の風が、乾いた砂煙を巻き上げる。
数日前まで泥にまみれ、飢えと絶望の中で錆びた農具を握っていた反乱兵たちは、今や帝国の開拓団としての真新しい作業着と革鎧に身を包んでいた。荷台には農具だけでなく、南方の未開拓地で自立するための糧食、種子、簡易天幕が整然と積み込まれている。
「おい、死神!」
隊列の先頭を行く幌馬車の荷台から、引き締まった声が飛んだ。
振り向くと、短髪を風になびかせたイリヤが、荷台の木枠に片足をかけてこちらを見下ろしていた。
十分な食事と手当てを受けたことで、その肌には生気が戻り、本来の頑強な体幹が革鎧越しにもはっきりと窺えた。泥に汚れ、死を覚悟していた荒野での面影はどこにもない。
「貴様らのあの幼い上司のやり口は気に入らんが……飢え死に寸前だった部下たちに腹一杯の飯を食わせ、やり直す土地まで用意してくれたことには礼を言ってやる」
イリヤは腰の短剣の柄を親指で弾き、白い歯を見せて不敵に笑った。
「南の大平原を切り拓いて、一端の騎兵隊を作って見せるさ。いつかまた貴様のその兜ごと頭を蹴り飛ばしてやるからな!それまで首を洗って待っていろ」
馬車を引く重種馬が低くいななき、御者が手綱を振る。
車輪がきしむ鈍い音を立てて、車列がゆっくりと南へ向かって動き出した。
彼女は首領としての誇りを失うことなく、その部下たちと共に帝国の新たな開拓戦力として、遥か南方の地へと運ばれていく。
城壁の上、石の手すりに手をついてその背を見送るヴォルフの表情は、分厚い鋼の兜に覆われて窺い知ることはできない。
だが、その視線は遠ざかっていく馬車の荷台、風を受けて力強く踏ん張る彼女の下半身――見事に発達した大臀筋の輪郭を、砂煙に消える寸前まで静かに追い続けていた。
(……あの強靭な足腰でソファーの上に踏ん反り返られ、理不尽に踏み敷かれながら小言を言われる休日の昼下がり。……永久に失われたな)
手元に残されたのは、移送手続きを完了したことを示す分厚い受領書の束と、数枚の決裁印が押された羊皮紙だけだった。
「見事な結末ですね、隊長!」
隣で同じく見送りをしていた副官のレオンが、寸分の曇りもない晴れやかな笑顔で敬礼した。
「地方の腐敗を暴き、反逆分子を処刑することなく南方開拓の戦力へと転換する……。ロザリア閣下の合理的采配と隊長の現場判断、まさに帝国軍の鑑と呼ぶべき連係であります!」
「……ああ、そうだな。貴様が戦闘記録に敵首領の筋力構造を極めて詳細に書き残してくれたおかげで、人事の適材適所が完璧に機能したよ」
「はっ! 正確な情報の集積こそが軍務の本分でありますゆえ!」
誇らしげに胸を張る副官の横顔を無言で見つめ、ヴォルフは懐から小さな紙包みを取り出した。包みを開き、苦味の強い胃薬の粉末を舌の上に落とし、水も使わずに乾いた喉へ流し込む。
胃の奥でじわじわと広がる苦渋を噛み締めながら、ヴォルフは踵を返した。
失意に暮れる時間など、特務部隊の現場責任者には与えられていない。
中央区の特務機関本部へ戻り、自室の重い扉を開けると、黒塗りの机の中央にはすでに新しい封筒が一通、無造作に置かれていた。
赤い封蝋には、ロザリアの印章がくっきりと刻まれている。
ヴォルフは兜を脱ぐこともせず、机に歩み寄って封筒を引き裂いた。
中から滑り出たのは、帝都東方に位置する巨大港湾都市の管区地図と、簡潔な指令書、そして一枚の人相書だった。
『東方港湾都市における密輸シンジケートの武力解体。首領は元帝国海軍の航海長、卓越した体術と怪力を誇る女海賊マリナ。港湾局の不正と結託している疑いあり。――速やかに現地へ急行し、証拠を保全の上、制圧せよ』
添付された人相書には、荒波と船上生活で鍛え上げられた、逞しい女の姿が描かれていた。
露出した褐色の両肩から背中にかけて、逆三角形に広がる極太の広背筋。鋭い眼光でこちらを睨みつけるその立ち姿には、荒くれ者の船乗りたちを力でねじ伏せてきた者特有の威圧感が宿っていた。
「……ふむ」
ヴォルフは無骨な指先で、人相書の広背筋の陰影をなぞった。
「あの分厚い背筋から繰り出される容赦のないラリアットで、朝一番に壁際へ叩きつけられ、胸ぐらを掴まれて怒鳴られる生活……。悪くない」
背後で書類を整理していたレオンが、弾むような声で顔を上げた。
「隊長! 第一特務部隊に出撃準備の命令を下しますか!」
「ああ」
ヴォルフは人相書を懐に収めると、鋼の兜を深く被り直した。
「行くぞ、レオン。東方の港湾へ向かう。現地の治安を維持し、帝国の法秩序を取り戻す」
胃の痛みを抱えた死神は、大きな欲望を胸に、再び歩き出した。
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