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第22話

帝都を揺るがしたクーデターの鎮圧から、数日が経過した。


特務機関本部の最上階、執務室の大きな窓からは、何事もなかったかのように平穏を取り戻した帝都の街並みが一望できた。


室内の長い執務机の上には、軍務局の再編と反逆派貴族の処分に伴う膨大な報告書が山のように積み上げられており、レオンとガゼルが額に汗を浮かべながら仕分け作業に追われていた。


「──以上が、陛下より下された勅命の概略です」

書類の束を一瞥しながら、レオンが眼鏡の位置を正して報告を締めくくった。

「首謀者である軍務局の重鎮および査察官らは、国家反逆罪として領地没収の上で終身禁錮刑。また、クーデターに同調して私兵を供出し、帝都の封鎖や要所の制圧に加担していた一部の門閥貴族たちも、軒並み爵位剥奪と私兵団の強制解散、領地没収の厳罰が下されました。軍務局そのものも反逆派の徹底的な排除を経て、大規模に再編される運びとなりました。……それと、もう一点」


レオンは一枚の羊皮紙を抜き出し、執務机の中央へ置いた。

「我が特務機関に全権委任されていた『港湾局の管理権』、および『西部における利権』の管轄が、すべて元の官僚組織へと回収されることとなりました。事実上の権限剥奪とも受け取れる措置ですが……」


懸念を口にするレオンに対し、執務机の奥に腰掛けたロザリアは、万年筆を走らせる手を止めることなく静かに息を吐いた。


「心配はいらないわ、レオン」

書類から顔を上げたロザリアの表情には、不満や焦りの色は微塵もなかった。

「港湾局の不正監査や西部の利権管理は、確かに莫大な財政的権限をもたらしていたけれど、同時に我が特務機関の優秀な人員を膨大な行政事務に縛り付ける足枷にもなっていたわ。あの利権を手放したことで、私たちは面倒な管理業務から完全に解放されたのよ。特務機関の機動戦力とリソースを本来の諜報・防諜活動へ一本化せよという、陛下なりの実に気の利いた褒美ね」

「なるほど……減封に見せかけた、実質的な組織の負担軽減ですか。さすがは陛下、計算尽くというわけですね」


レオンが納得したように深く頷いた。

「まったく、政治屋の考えることは面倒くせえな」

書類の束をドサリと床に置いたガゼルが、伸びをしながら呆れたように口を挟んだ。


「それよりお嬢ちゃん、あの怪盗の姉ちゃん──ヒルダはどうなったんだ? 処刑台の騒ぎのどさくさに紛れて、綺麗さっぱり消えちまったけどよ」

「ヒルダの手配は、陛下へ上奏して完全に解除したわ。皇冠の奪取と私の解放という決定的な功績を鑑みて、過去の罪状はすべて帳消しよ」


ロザリアは万年筆をインク壺に浸しながら、小さく肩をすくめた。


「身軽で腕の立つ女怪盗……あの神業のような解錠技術と状況判断力は実に見事だったわ。我が特務機関に正式に引き入れられなかったのは痛手だけれど、まあ、あの手合いを檻に囲い込むのは最初から無理というものね」

「違いねえや。あいつ、風みたいにいなくなっちまったからな」


ガゼルがからからと笑った。


◆


ひと通り報告が一段落したところで、部屋の隅に直立していたヴォルフが静かに口を開く。


「……閣下。旧離宮を守護していた近衛騎士団の処遇については、いかが相成りましたか」

「近衛騎士団ね」


ロザリアは手元の書類をめくりながら答えた。

「軍務局の命令に従って旧離宮を警備していた騎士たちには、一切の処罰は下されないことになったわ。彼らはただ命令に従っていたに過ぎず、なにより幽閉されていた陛下ご自身が、意図して沈黙を保っておられたのだから当然の情状酌量ね」

「……では、ハーゲン団長の今後の身処はどうなるので?」


至極事務的な口調で尋ねるヴォルフ。

だが、その鉄面皮の奥底では、旧離宮で交えたあの白銀の武人の姿が鮮明に思い出されていた。

白銀の重装甲を羽毛のように操る体幹の連動、研ぎ澄まされた大腿四頭筋、そして鍛え抜かれた僧帽筋の美しさ──。


(あれほどの肉体を誇る武人、日々の鍛錬を怠らぬ誠実な証拠。もしや我が伴侶として、共に高め合える器なのではあるまいか……)


分別ある部隊長として、決して表には出さぬ内心の独白。

だが、ロザリアは冷ややかな視線をスッとヴォルフへと向けた。

その紫紺の瞳は、すべてを見透かしたように細められていた。


「ブリギッタ・ハーゲン団長は、近衛騎士団長にそのまま留任よ」

「……留任ですか」

「ええ。──ちなみに、彼女は地方有力貴族の嫡男と、すでに結婚が決まっているわ。二人は幼馴染でもあるそうで、有力者同士では珍しい恋愛結婚だそうよ。羨ましいわね、ヴォルフ?」

「…………」


静寂が走った。

ヴォルフは微動だにせず直立していたが、その胸中は激しい動揺に見舞われていた。


(な……なぜだ。なぜ私の思考が読まれているのだ……? 私はただ、近衛の最高戦力の去就を職務として確認しただけのはず……)

鉄面皮の奥で完璧に撃沈した部隊長を見て、横にいたガゼルが「ぶっ」と吹き出した。


「……不敬だぞ、ガゼル」

ヴォルフは低く一喝したが、その声の覇気は明らかに普段の半分ほどに落ち込んでいた。


◆


わずかに動揺を隠せないヴォルフは、強引に平静を取り戻すように話題を切り替えた。


「……閣下。一つ、お尋ねしたい儀がございます」

「何かしら」

「我が長剣の柄頭に、至宝たる『宝冠の主石』を仕込まれていた件についてです。……なぜ、私にお預けになられたのですか」


処刑台でのあの瞬間まで、ヴォルフ自身すら己の長剣に国家最高権威の象徴が眠っていることなど知らされていなかった。

ロザリアは万年筆を置き、椅子に深く背を預けてヴォルフをまっすぐに見据えた。


「帝都で最も安全な金庫がどこかと考えた結果よ」

ロザリアの声は、どこまでも澄んでいた。

「公爵家の宝物庫も、特務機関本部の秘密金庫も、権力者たちの前ではただの箱に過ぎないわ。けれど、貴方の長剣の中は違う。帝国の死神と恐れられる貴方が生きている限り、主石を奪える者などこの世に存在しない。そして──」


ロザリアは薄く微笑み、言葉を継いだ。

「もし私が捕らえられても、貴方は私の身を案じるからこそ、感情で処刑台へ突っ込むような真似は絶対にしない。私を救うための最短にして唯一の道が何であるかを正確に理解し、何よりも陛下の確保を第一に動いてくれると──そう確信し、全幅の信頼を置いていたからよ」


一切の揺らぎのない、絶対的な信頼。

己の忠誠心と判断力、そして何より己の命を完全に預けられていたという事実に、ヴォルフの胸の奥底に熱いものが静かに満ちていった。

ヴォルフは居住まいを正し、右手を胸に当てて深々と頭を垂れた。


「……閣下の信頼に応えられたのであれば、部下としてこれ以上の光栄はありません」

「ええ。よくやってくれたわ、ヴォルフ」


ロザリアの穏やかな労いの言葉が、静かな室内に染み渡る。


◆


「──では閣下」

深く一礼した姿勢のまま、ヴォルフは至極真面目な顔で言葉を続けた。

「クーデターの鎮圧も一段落いたしましたので、本日より休暇をいただき、新たな見合いなど手配したく存じます」


トンッ。

ロザリアは一切の躊躇なく、手元にあった高さ三十センチほどもある残務書類の束を、机の端へと力強く積み上げた。


「却下よ」

「……閣下」


「軍務局の再編に伴う残務処理、反逆貴族の私兵武装解除と帝都各所の警備網見直し、さらには新体制となった軍部との合同演習の策定……部隊長、貴方が休んでいる暇など一分たりとも無いわ」

氷のように冷徹で、寸分の慈悲もない機関長の業務命令。

ヴォルフはわずかに視線を落とし、諦めたように短く応じた。


「……はっ、承知いたしました」

机の上の分厚い書類の山を両手で抱え上げるヴォルフに、レオンが追い討ちをかけるように別の書類を差し出してきた。


「部隊長、こちらの兵站見直し案の検分も頼みます!」

「まったく、後始末ってのは戦うより骨が折れますねえ」


ガゼルも軽口を叩きながら、手元の羊皮紙を整理し始める。

執務机の奥では、ロザリアが手元の書類へと視線を落とし、淀みない速度でペンを走らせながら、次々と的確な指示を部屋の中へと飛ばし始めていた。


処刑台の露と消えかけたあの絶体絶命の危機を乗り越え、再びこの執務室の主として、毅然と君臨する機関長の姿。

慌ただしく響くペンの音、部下たちの声、そして立ち込めるインクの匂い。


抱え上げた書類の重みを感じながら、ヴォルフの胸の奥に、言葉にはならぬ静かな安堵と確かな充足感が広がっていた。


(──閣下が、無事に戻られた。それだけで十分だ)

特務機関の引き締まった日常を取り戻した実感を深く噛み締めながら、ヴォルフ・ガランドは力強い足取りで己の作業机へと向かった。


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