第22.5話 公爵令嬢ロザリアの尋問、或いは近衛騎士団長ブリギッタの困惑
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特務機関本部の地下深く、冷たく湿った空気が漂う広大な地下大鍛錬場。
天井から吊るされたカンテラの灯りが照らし出す石造りの空間に、ブリギッタ・ハーゲンの靴音が硬く響き渡っていた。
白銀の重装甲を脱ぎ捨て、動きやすい軍用の訓練服に身を包んだ近衛騎士団長は、眉根を深く寄せて目の前の光景を睨みつけていた。
そこにいたのは二人。
普段の豪奢なドレスや冷徹な執務服を脱ぎ、タイトな黒の訓練着に身を包んだ公爵令嬢ロザリア。銀色の髪を後ろで一つに束ね、すでに軽く準備運動を済ませて佇んでいる。
そしてその傍らでは、大剣を背負っていない身軽な赤毛の少女──ガゼルが、退屈そうに大きなあくびを噛み殺していた。
ブリギッタは腕を組み、冷ややかな視線をロザリアへと向けた。
「……さて、ロザリア殿。なぜ近衛騎士団長の私が、非公式に貴様らの武術指南などせねばならんのだ?」
極めてもっともな抗議であった。
クーデターが鎮圧され、軍務局の再編と帝都の警備網見直しで近衛も多忙を極めているこの時期に、なぜ敵対機関の長の個人的な訓練に付き合わねばならないのか。
だが、ロザリアは眉ひとつ動かさず、優雅に口角を持ち上げた。
「簡単なことです。あなたには、先日のクーデターにおける情状酌量─近衛騎士団長への留任を取り計らった件で、私に大きな貸しがあるはずですから」
「ぐっ……」
ブリギッタは言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような顔になった。
あの旧離宮での一件、命令に従っただけとはいえ反逆派の盾となった近衛の責任は重かった。
それを「皇帝自身の沈黙」を理由に不問へと持ち込み、団長の座を安泰にしたのは他ならぬロザリアの手腕である。
「貸しを盾にされるのは甚だ不本意だが……それにしても腑に落ちんな」
ブリギッタはため息混じりに首を振った。
「特務機関には、あの恐るべき死神──ヴォルフ・ガランドがいるではないか。あのような規格外の怪物を擁していながら、なぜ私のような外部の人間に教えを乞う? 奴に教わればよいだろう。あるいは、そこにいる身軽な部下にでもな」
旧離宮で己を完膚なきまでに制圧した黒衣の巨漢。あの卓越した体幹と技量があれば、教官としてこれ以上の適任はいないはずだ。
だが、ロザリアは即座に、きっぱりと首を横に振った。
「我が部隊長は、指導者としては極めて不向きなのです」
「不向き……? 奴の体幹と技術は、私が身をもって知る限り最高峰だったぞ」
「理論が人間離れしすぎているのです」
ロザリアは冷徹に、極めて客観的な事実として告げた。
「彼の身体操作理論は、解剖学的な筋繊維の連動や、ミリ単位の骨格構造、仙骨を中心とした重心移動論に偏りすぎています。『大腿筋群の張力を仙骨へ逃がし、骨盤を微小に傾斜させて衝撃を無効化する』などと説かれても、常人には一切再現できません。本人の身体能力と筋肉量が規格外すぎるがゆえに、基礎の習得には全く適していないのです」
「……なるほど。己が無意識にできてしまうがゆえの、天才の指導不能か」
ブリギッタが納得しかけたその時、ロザリアの視線が、横で爪先を弄んでいたガゼルへとスッと向けられた。
「そして、そこにいるガゼルですが──彼女は天性の身体的ギフテッド。完全なる感覚派です」
ガゼルはあっけらかんと笑いながら、両手をひらひらと動かしてみせた。
「そうそう。敵が突っ込んできたらさ、こう、シュバッと避けて、隙ができたところをドカンと叩くだけっすよ。なんでみんなそれができねえのか、あたしにゃさっぱり分かんねえんだよな」
「…………」
「お分かりいただけましたか?」
ロザリアが深々とため息をつく。
「彼女は天賦の才によって感覚で完璧に動けますが、他人にそれを教えるための言語化能力が完全に欠落しているのです」
「教え下手以前の問題だな……」
「ええ。故に、幼少期より名門武家で正統派の軍事教練を積み上げ、確固たる理論と段階的な基礎を極めたあなたこそが、最も適切な指導者なのです」
理路整然とした完璧な論理武装。
逃げ道を完全に塞がれたブリギッタは、観念したように息を吐き、木剣を一本手に取った。
「……よかろう。武人として頼まれた以上、手加減はせん。近衛の基礎修練は苛烈を極めるぞ」
「望むところです」
◆
かくして、特務機関地下大鍛錬場での特別教練が開始された。
ブリギッタが課したのは、小手先の技ではなく、すべての武術の土台となる「体幹の強化」と「重心移動の徹底」、そして正確無比な「素振りの反復」であった。
そして訓練が始まってすぐ、受講者二人の間に絶望的なまでの対比が生まれた。
「次は片腕と片足のみで全身を水平に保て! 腹横筋を意識し、体幹の軸を一切ブラすな!」
ブリギッタの号令が飛ぶ。
近衛の屈強な騎士たちですら悲鳴を上げる過酷な体幹保持のメニュー。
だが、ガゼルはそれを涼しい顔でこなしていた。
片腕と片足だけで床を捉え、完全に静止したまま、空いた左手で退屈そうに前髪を弄んでいる。
呼吸の乱れすらなく、重力を感じさせない天性のバランス感覚は、体的ギフテッドの真骨頂であった。
ガゼルは床でプルプルと震え始めているロザリアを見下ろし、面白そうにニヤニヤと笑った。
「お嬢ちゃん、元々頭脳派なんだからさ。そんな無理して体をいじめ抜かなくてもいいんじゃねえの? 倒れてもしらねえぞ」
「……黙りなさい、ガゼル」
ロザリアは歯を食いしばり、床の一点を見据えたまま低く唸った。
額からは大粒の汗が滴り落ち、細い腕と引き締まった腰回りの筋肉が、限界寸前の負荷に激しく痙攣している。
だが、ロザリアは決して膝をつかなかった。
続くフットワークの反復でも、木剣の素振りでも、その様相は変わらなかった。
ガゼルが「こうやってステップ踏むだけでしょ?」と軽やかに跳び跳ねてやすやすとメニューを消化していく傍らで、ロザリアは不慣れな運動に筋肉を軋ませ、息を乱しながらも、凄まじい気迫でブリギッタの動きを模倣し続けた。
足がもつれそうになっても、唇を強く噛み締めて踏みとどまる。
木剣を振るうその紫紺の瞳には、一切の妥協を許さぬ獰猛なまでの光が宿っていた。
(な……なんなのだ、この女は……!?)
指導しながら、ブリギッタの背筋にチリチリとした戦慄が走った。
帝国屈指の大貴族たる公爵令嬢ロザリア。至高の頭脳と権謀術数で帝都の裏を統べる彼女が、なぜ泥臭い兵卒のように己の肉体を極限まで追い込んでいるのか。
ただの護身術の範疇を明らかに超えている。
その鬼気迫る執念は、戦場で死線を越えてきた歴戦の武人すら気圧されるほどであった。
◆
数時間後。予定されていた過酷な訓練メニューがすべて終了した。
「あー疲れた! あたし先に上がって飯食ってきくるなー!」
汗ひとつかいていないガゼルが手を振りながら早々に鍛錬場を去っていき、広い空間にはブリギッタとロザリアの二人だけが残された。
ロザリアは荒い呼吸を整えながら、手渡されたタオルで首筋の汗を拭った。
その全身は疲労で限界を迎えているはずだったが、その表情にはどこか充実した光が宿っている。
「……本日の教練はここまでだ」
ブリギッタは木剣をラックへ戻しながら、素直な称賛を口にした。
「貴様の気迫は見事だった。基礎の反復を続ければ、ブレのない強固な体幹と、無駄のない美しい筋肉が身につくだろう」
「ありがとうございます、ハーゲン団長」
ロザリアは深く一礼した。
そして、乱れた銀髪を手櫛で整えると──先ほどまでの荒々しい気迫を綺麗に消し去り、普段の冷徹で隙のない知性派の仮面を被り直した。
紫紺の瞳を細め、真顔でブリギッタを見据える。
「──ところで、ハーゲン団長」
「ん? なんだ、まだ身体操作について疑問点でも──」
「貴女の婚約者──幼馴染との馴れ初めは、どのようなものですか?」
「……は?」
唐突すぎる問いかけに、ブリギッタの思考が完全に停止した。
しかし、ロザリアは一切の動揺も見せず、まるで重大な容疑者を尋問するかのような冷ややかで事務的な口調で、矢継ぎ早に言葉を畳み掛けた。
「どのような契機で、彼を異性として意識し始めたのですか?」
「は、はあ……!?」
「その際、貴女の筋肉や体幹、僧帽筋の付き方について、男性側から具体的な言及はありましたか?」
「な……ッ!?」
「婚約に至るまでの決定打となったやり取り、および男性側からのアプローチの具体例を述べなさい」
「な、ななな……ッ!?」
鍛錬場の冷たい空気の中で、ブリギッタの顔が一瞬にして耳の先まで真っ赤に沸騰した。
「な、何を急に言い出すのだ貴様は……ッ!?
なぜ私が貴様に、そのような個人的極まりない話をせねばならんのだ!」
「これも教練の一環──いえ、情報収集です。帝国の治安維持を司る特務機関として、地方有力貴族と近衛幹部の婚姻関係の実態を把握しておくことは、極めて重要な任務ですから」
「治安維持に私の色恋沙汰が関係あるわけがないだろうッ! 詭弁を弄するな!」
常勝無敗を誇った近衛騎士団長が、顔を真っ赤にしてタジタジと後退りする。
だが、ロザリアは冷徹な眼光を一切緩めることなく、一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。
その瞳は、獲物を決して逃さない尋問官そのものであった。
(限界まで己の肉体を鍛え上げ、筋肉の付き方を気にし、他人の恋愛事情を尋問のように根掘り葉掘り聞き出す……)
逃げ場のない視線に晒されながら、ブリギッタは心の中で激しく戦慄し、困惑のあまり悲鳴を上げていた。
(この公爵令嬢は、一体何を目的としているのだ……!?)
答えに窮して立ち竦む近衛団長と、手帳を取り出して冷徹にペンを構える公爵令嬢ロザリアの沈黙が、地下鍛錬場にシュールに響き渡っていた。
─第2章 風雲・特務機関包囲網編 完─
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これにて第2章完結です!
今作は一旦ここまでを一区切りとして完結させたいと思います!
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
物語に関するコメント、レビューを参考にしたいので是非お書きください!
もっと面白い作品を作れればと思っておりますので星で評価も是非是非よろしくお願いします!
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