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第20話

大広間に舞い散る白煙の奥、ブリギッタ・ハーゲンは大剣の柄を握る両手に静かに力を込めた。


装飾を削ぎ落とした白銀の完全重装甲。幼少より名門武家の看板に甘んじることなく、血の滲む鍛錬によって身につけた筋力と技量のすべてが、この一振りに込められている。




対する男──特務機関第一部隊長、ヴォルフ・ガランド。


その姿を目にした瞬間、ブリギッタの皮膚がチリチリと粟立った。




黒の野戦軍服コートに、胸元を覆う最低限の鋼板プロテクターと革手袋。頭部に兜はなく、剥き出しの素顔が冷徹な双眸とともにこちらを射抜いている。


完全重装甲を纏う己に対し、相手はあまりにも軽装であった。




だが、その佇まいから放たれる質量感は異常だった。先ほど階段を埋め尽くしていた重装歩兵の盾列を、ただの生身の体幹と膂力だけで完膚なきまでに叩き割ってきた男の放つ、圧倒的な威圧感。




「近衛最強のエリート」と「叩き上げの死神」。


帝都の軍部でまことしやかに囁かれながらも、上層部の政治的思惑と忖度によって決して交わることのなかった両者の優劣。作られた風聞などではない真の決着を、ブリギッタはずっと望んでいた。




「受けてみよ、死神!」


ブリギッタは石床を蹴り裂いた。


数十キロに及ぶ白銀装甲の質量を微塵も感じさせない、電光石火の踏み込み。


大理石の床を粉砕しながら間合いを詰め、身の丈ほどもある大剣を右上段から斜め下へと一気に振り下ろした。空気を両断する轟音が広間に鳴り響く。


常人ならば両断される渾身の一撃。




だが、ヴォルフは退がらなかった。


腰の長剣を抜くや否や、刃の鎬を絶妙な角度で立て、大剣の剛撃を側面へと滑らせた。


ガギィィンッ!


激しい火花が散り、切っ先が床を深く抉る。




(受け流された……!?)




驚愕を押し殺し、ブリギッタは即座に刃を返した。


地を薙ぐ斬り上げ、首筋を狙う横薙ぎ、装甲の質量を乗せた近接打撃。凄まじい連撃を叩き込む。


しかし、ヴォルフは最小限の身のこなしでかわし、時に鞘と刀身を交差させ衝撃を無力化していく。


攻め立てているはずのブリギッタの背筋に、冷たい汗が伝った。




ヴォルフの視線だ。


男の鋭い眼光は、繰り出される剣筋や切っ先を見ていなかった。


踏み込みの瞬間に張り詰めるブリギッタの大腿四頭筋、大剣を振り抜く背面の僧帽筋、そして装甲の奥で連動する体幹の動き──その肉体の構造そのものを、品定めするように凝視していた。




(なんなのだ、この男は……! なぜ剣ではなく、私の体ばかりを見ている!?)


底知れぬ重圧と困惑が、胸を締め付ける。




一方、冷徹無比な死神の表情を保ち続けるヴォルフの脳内では、まったく別の嵐が吹き荒れていた。




(……素晴らしい。大剣の重量に一切振り回されていない。踏み込みを支える鋼の大腿四頭筋、美しく隆起した僧帽筋。装甲の重量を完全に推進力へと変換する極限の体幹連動──実に素晴らしい肉体だ)




(──だが…そんなことはどうでもよい!)




ヴォルフは自らの雑念を一喝し、叩き斬った。


一瞬にして思考のノイズを完全に消し去り、殺気の純度を極限まで研ぎ澄ます。




「っ……!?」


空気が凍りついた。


目の前の男から放たれる圧迫感が、桁違いの密度へと跳ね上がったのをブリギッタの本能が察知した。


躊躇すれば呑まれる。




ブリギッタは全身の力を振り絞り、渾身の力で必殺の袈裟斬りを振り下ろした。


その刹那、ヴォルフが動いた。


退がるのではない。振り下ろされる大剣の死線──その刃の内側、ブリギッタの懐の深奥へと、寸分の狂いもなく潜行した。




大剣の間合いが完全に潰れる。


ヴォルフの手が、白銀の籠手を滑らせてブリギッタの肘関節を内側から巻き取った。


装甲の継ぎ目、力の支点となる腱を革手袋の指先で正確に制圧される。




「な……!?」


抵抗しようとした瞬間、テコの原理によって腕が極限まで跳ね上げられ、同時にヴォルフの足がブリギッタの軸足を刈り取っていた。


打撃による破壊ではない。


骨格の構造と重心移動を利用した、電光石火の立ち関節技。


白銀の重装甲を纏ったブリギッタの巨躯が、まるで木の葉のように反転し、石床へと叩きつけられた。


ドシンッ!




「くっ……が……!?」


床に縫い止められた右腕は完全に極められ、指先ひとつ動かせない。


無理に動けば肩の関節が外れる絶妙な角度で固定され、全身の筋連動が完全に断ち切られていた。




抵抗の術をすべて奪われたブリギッタの手から、大剣が音を立てて滑り落ちる。


骨を一本も折られることなく、刃で切り裂かれることもなく、技量と体幹の制御だけで完全に無力化されていた。




(これが……特務機関の、死神……)


己が積み上げてきた自負のすべてを赤子の手をひねるように覆された事実に、ブリギッタは戦慄し、床に突っ伏したまま息を呑むことしかできなかった。


ヴォルフは静かに立ち関節の拘束を解くと、長剣を鞘に収め、直立して端正に一礼した。


「見事な体幹と僧帽筋だ。日頃の鍛錬の深さが伺える……」




「……な、何を……」


わけのわからない称賛を残し、ヴォルフは一度も振り返ることなく、大広間の最奥──皇帝の寝所へ続く重厚な扉へと歩みを進めた。




「待たせたな」


背後で控えていたヒルダとガゼルを引き連れ、ヴォルフは寝所の両開きの大扉を力任せに押し開けた。




◆




北棟の最深部、皇帝の寝所。


豪華な調度品が埃を被る薄暗い部屋の中央、古びた肘掛け椅子に浅く腰掛けていた当代の皇帝は──


目を丸くして立ち尽くしていた。




廊下から響いていた怒号、揺るがす轟音、そして近衛最強の団長が手も足も出ずに転がされた結末。


その一部始終を扉の隙間から見ていた皇帝の顔が、驚愕から徐々に歪み、やがて歓喜に染まっていった。




「──ぶっ、あはははははははッ!」


部屋中に響き渡る、けたたましい大爆笑。


皇帝は腹を抱え、椅子から転げ落ちそうになりながら膝を叩いた。




「あはははは! 傑作だ! 痛快すぎるぞ! まさか本当にあの重装歩兵の盾列をへし折り、あの堅物のブリギッタを手玉に取って乗り込んでくるとはな! おい死神、余の人生で今日が一番面白いぞ!」


クーデターによって幽閉され、己の処遇を冷ややかに見送るだけだった最高権力者の鬱屈は、跡形もなく吹き飛んでいた。腹の底から笑い転げる皇帝の姿に、背後のヒルダとガゼルが呆気にとられたように顔を見合わせる。




だが、ヴォルフは寸分の乱れもなく皇帝の御前へと進み出た。


バサリと軍服の裾を払ってその場に片膝をつき、右手を胸に当てて深々と頭を垂れる。




「お迎えに上がりました、陛下。これより中央の反逆者を処断し、ロザリア閣下を救出するため──我ら特務機関は陛下の親裁を仰ぎたく存じます」


皇帝は笑い涙を指先で拭うと、飲みかけのグラスを床へ放り投げ、勢いよく立ち上がった。




その双眸には、退屈な傀儡の光など微塵も残されていなかった。


獰猛で、不敵なまでの覇気が宿っている。


「良いぞ。だが──」


皇帝は愉快そうに口角を吊り上げ、黒衣の死神を見下ろして言い放った。





「──余にいい考えがある」


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