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第17話

帝都の地下深くに張り巡らされた巨大水路網。苔むした石壁を伝って水滴が落ちる音と、濁った水流の音だけが暗がりに響いていた。




頭上の鉄格子越し、遥か上空の地上からは、軍務局重装憲兵隊の足音と捜索の怒号が微かに漏れ聞こえてくる。だが、湿気と腐臭の漂う暗渠の奥までは届いていなかった。


水路の分岐点にある崩れた石組みの陰で、特務機関第一部隊は息を潜めていた。


負傷した伝令兵の応急手当を終えたレオンが手帳を広げ、ヴォルフ・ガランドへ耳打ちする。




「帝都全域の主要幹線および中央官街の封鎖を確認いたしました。憲兵隊と門閥貴族の私兵団が非常線を敷き、当機関の全施設が接収対象となっています。地上に出れば、正規部隊の包囲網に捕捉されます」


「帝国全土に反逆者として布告されたか」


「はっ。ロザリア閣下が軍務局地下牢へ収監され、本部の本隊が武装解除された今、我らは唯一の未拘束部隊です」




ヴォルフは動じることなく視線を転じ、石壁に背を預けて座り込む女怪盗を見据えた。


両手首を革バンドで拘束されたままでありながら、その足先は軽く浮き、いつでも跳躍できる重心を保っている。




「何者だ」


ヴォルフは問うた。


「その体幹と足運び、警備の死角を突く無駄のない身のこなし……ただの盗賊の技術ではない。どこで軍事訓練を受けた」


女怪盗はふっと口元を緩め、鼻を鳴らした。




「……へえ、よく見てるね。あんたの言う通りだよ、死神さん」


彼女は拘束された両手をわずかに持ち上げ、肩をすくめた。


「名前はヒルダ。元は軍務局工作班──表に出せない裏仕事を請け負っていた、隠密さ」


「軍務局の元工作員だと」




レオンが手帳を握り直す。


「三年前、部隊ごと切り捨てられそうになってね。そのまま帝都の闇に潜って、奴らの弱みを握り返す機会を狙ってたのさ。今回の潜入も、軍務局の連中が裏で何を企んでるのか──証拠帳簿を奪うためだったんだよ」




ヒルダは吐き捨てるように言った。


「そしたら案の定、あのクーデターだ。皇帝を幽閉して権力を握り潰し、邪魔者のお前ら特務機関を檻に叩き込んだってわけさ。まさか軍中枢だけじゃなく、門閥貴族どもまで一枚噛んでいるとは思わなかったがね」




ヴォルフは短く息を吐くと、腰の短剣を抜き、迷わずヒルダの手首を縛る革バンドを断ち切った。


「部隊長、それは……!」


レオンが息を呑む。




「何する気だい?」


拘束を解かれたヒルダが、手首をさすりながら身構えた。


「共通の敵を叩く。貴様の潜入技術と軍内部の知見、我が隊に貸し出せ、ヒルダ」




ヒルダは眉を上げた。


「おいおい、冗談だろ。お前らは今や国家反逆の首謀者として追われる身だ。泥舟に乗る義理なんざないね」


「貴様にとっても他人事ではないはずだ」


ヴォルフは淡々と返した。




「軍務局が完全に権力を掌握すれば、貴様の立場は今よりもさらに悪くなる。全軍の捜索網が敷かれれば、いずれ隠れ家を炙り出されて口を封じられるだけだ。貴様が工作班を追われた理由も、どうせ軍上層部の汚職を押し付けられた結果だろう」


ヒルダの視線が止まる。




「我が隊に協力し、クーデターを鎮圧した暁には、主君たるロザリア閣下に貴様の罪の特赦を願い出る。閣下の裁定であれば、過去の罪状を帳消しにし、正規の斥候として引き立てることも可能だ」




ヒルダはヴォルフの兜の奥を見据え、やがて薄く笑った。


「……公爵令嬢からの特赦かい。悪くない取引だね。いいよ、手を組んでやる」




◆




「状況を整理する」


ヴォルフが促すと、ヒルダは湿った石床に指で略図を描いた。




「皇帝が幽閉されているのは、帝都北西の丘陵地にある旧離宮だ。元は先代の保養所だった場所だが、外壁は堅牢な花崗岩で組まれ、現在は軍務局直属の近衛部隊が防衛している」


「旧離宮か……」




レオンが記憶を手繰り、鉛筆を走らせる。




「敷地周囲の哨戒網は二重、正門と通用門には重装甲歩兵が配備されているはずです。さらに、離宮内部の警護を一手に担うのは軍務局最強の近衛騎士団……正面突破は極めて困難です」


「抜け道はある」




ヒルダが図の一角を指した。


「旧離宮には、非常脱出用の地下廃水路が繋がっている。十数年前に封鎖されたはずだが、あたしの調べじゃ、格子の鍵さえ外せば本館の真下まで侵入可能だ」


「解錠は可能か」


「あたしを誰だと思ってるんだい? あの程度の仕掛け、十秒もあれば開けてみせるさ」




「おいデカブツ」


壁に寄りかかっていたガゼルが口を挟んだ。


「なんでそんな遠い離宮へ行くんだ? ロザリアが捕まったのは軍務局の地下牢なんだろ。真っ先にそこへ殴り込んで、助け出すのが筋じゃねえのか」




ヴォルフは即座に首を振った。


「否だ。軍務局地下牢への強襲は、敵の最も警戒する地点への突入を意味する。仮にロザリア閣下の身柄を奪還できても、依然として国家反逆の罪状が着せられたままだ。超法規的権限を失った特務機関は、全軍の包囲網によって帝都内で殲滅される」




ヴォルフは立ち上がり、全員を見据えた。


「敵の正当性は、皇帝陛下を幽閉し、その親裁を事実上無力化している点にのみ立脚している。皇帝陛下を直接奪還し、その親裁を現場で復権させることこそが、すべての罪状を無効化する唯一の手段だ」




軍規と手続きを盾に攻め立ててきた敵に対し、最高権威そのものを叩きつける。それこそが、特務機関が採るべき最短の道であった。




「皇帝陛下さえ取り戻せば、貴族院の命令書などただの紙屑だ。それこそが、主君たるロザリア閣下を真に救い出す」




ヒルダが皮肉げに笑った。


「皇帝の親裁ね……。死神さんとあのお嬢様がいなけりゃ、そんなもん皇帝に法律の形式上認められているだけの飾りみたいなもんだったんだがな」




「軍事法規および統帥権の構造上、完全に理に適っております」


レオンが手帳を閉じ、頷いた。


ガゼルも獰猛に笑う。


「へっ、要するに皇帝の爺さんを引っ張り出して、敵の面子を丸ごとぶっ潰せばいいんだな。分かりやすくて上等だ」




「作戦の骨子を定める」


ヴォルフは指示を出した。


「ヒルダは地下廃水路の案内および侵入経路の解錠。ガゼルは立体機動による哨戒網の排除と頭上からの撹乱。レオンは後方の退路確保と情報統制。そして私が最奥の防壁を粉砕し、皇帝陛下の身柄を確保する」




「はっ、承知いたしました」


レオンが直立し、敬礼を捧げた。




「面白いね。死神さんと皇帝の奪還劇かい……乗ったよ」


ヒルダが立ち上がる。




ヴォルフは大剣を握り直した。


「出動する。皇帝陛下を奪還し、主君を救出するぞ」


帝都の暗渠を縫い、四つの影が旧離宮へ向けて音もなく疾走を開始した。


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