↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/27

第12話

帝都中央区 特務機関本部執務室




西方砂漠から帰還したヴォルフは、分厚い絨毯の上に直立不動の姿勢をとっていた。その隣には、軍務手帳を開いた副官レオンが同じく隙のない姿勢で並んでいる。




「……以上が、西方総督府における査察および制圧の全容であります」


レオンの透き通るような声が、静まり返った執務室に響いた。




「元・西方総督の身柄はすでに帝都の地下牢へ移送済みです。執務室の直接的な裏帳簿は焼却されていましたが、現場の採掘日誌と帝都への上納記録の差分、そして帝都に隠し持っていた裏口座を財務局の監査官に徹底的に洗わせた結果、消えた鉱石の行方と莫大な不正蓄財の足取りは完全に捕捉されました」




レオンは手帳をパタンと閉じた。


「言い逃れは不可能。現在、財務局が全財産の没収と関係者の摘発を急ピッチで進めており、帝国への損害は利息をつけて回収される見込みです」




完璧な戦後処理の報告を受け、ロザリアは手元の書類から一切目を離すことなく、羽根ペンを滑らせて次々と決裁印を叩きつけていく。




「ご苦労でした、ヴォルフ、レオン。証拠隠滅の悪あがきを許さず、地方の腐敗を迅速に切除した手腕は評価に値します。元総督の裁判と処刑の手配はこちらで進めておきましょう」




鈴を転がすような、しかし一切の感情を排した冷徹な声に対し、ヴォルフは兜を被ったまま深く頭を下げた。




「はっ。閣下の御心のままに」


「……それで、閣下。関所および鉱山で武装解除した、元総督直属の私兵ならびに傭兵の残党どもについては、いかが計らいますか」




レオンの問いに対し、ロザリアはやれやれと小さく息を吐き、ペンを置いた。




「五体満足で動ける労働力を処刑するなど、資源の完全な無駄遣いです」


ロザリアは初めて顔を上げ、冷徹な合理主義者の瞳で二人を見据えた。


「彼らは全員『西方鉱山復興労務大隊』として強制編入します。横領で帝国に与えた損害分を、その身を粉にして鉱山労働で全額返済させなさい。監視と管理の徹底さえすれば、これほど安上がりな労働力はありません」




罪人をただ殺すのではなく、帝国の利益のために死ぬまで使い倒す。


その隙の一切ない完璧な内政手腕と冷徹さに、レオンは感服の面持ちで


「はっ、直ちに手配いたします」と首を垂れた。




「…さて。問題は、そこの騒がしい戦利品ですが」


ロザリアの視線が、ヴォルフの後ろで腕を組んで立っている小柄な影へと向けられた。


泥と砂を洗い落とし、真新しい軍の支給服を着せられた赤毛の少女、ガゼルである。




「総督の手先として動いていたとはいえ、実態は騙されていたに過ぎない孤児。しかも、天性の身体的ギフテッド……。労務大隊で石を掘らせるのも、地下牢で腐らせるのも、どちらも宝の持ち腐れですね」


ロザリアは立ち上がり、黒檀の机の前に出てガゼルを見下ろした。




「ガゼルと言いましたね。貴女を、私の直属の護衛として正規に雇用します。衣食住は特務機関が保証しましょう。そして、貴女が最も気にかけている砂漠の孤児院ですが――」


ロザリアは一枚の証書を取り出し、ガゼルの目の前に提示した。




「国庫から公的な『特務機関の特別育成支援金』として、毎月確実に現地へ送金することを約束します。もちろん、あの豚のようなピンハネは一切させません。私は合理性を好みます。無駄な嘘はつかない主義です」


その公明正大で揺るぎないロザリアの言葉に、ガゼルの大きな瞳が見開かれた。




甘言で釣るのではなく、目の前の十二歳の少女が放つ「本物の支配者」としての嘘偽りない眼差し。ガゼルは戦士としての直感で、それが真実であることを理解した。




「……本当だな? 飯を腹いっぱい食わせてくれるし、仲間も飢えさせないんだな!」


「ええ。誓って約束します」


「よし、決まりだ!」




ガゼルは満面の笑みを浮かべ、ドンッと自分の薄い胸を力強く叩いた。


「あたしがしっかり、あんたみたいなちっこいボスの盾になってやるよ! 悪党は全部あたしがぶっ飛ばしてやるから安心しな!」




これ以上ない、完璧な大団円であった。


悪は裁かれ、不正は正され、騙されていた子供は救われて正当な居場所と未来を得る。帝国の正義と秩序が美しく機能した、文句のつけようがない結末。




――だが。


その完璧な結末の裏側で、微動だにせず直立不動を保つヴォルフ・ガランドの内面は、血を吐くような凄絶な絶望に打ちひしがれていた。


(……いなかった)


兜の奥で、ヴォルフの虚ろな瞳が宙を彷徨う。


(どこを探しても、いなかった。俺の期待していた、割れた腹筋と獰猛な体幹を持つ『大人の女闘士』など、最初からこの世のどこにも存在していなかった……!)




彼が手に入れたかったものは何だったか。


彼が西方砂漠での命がけの死闘の末に手に入れたものは何だったか。


むさ苦しい男たちばかりが詰め込まれた『労務大隊』と、目の前で笑っている育ち盛りのちんちくりん一人である。




ヴォルフは兜の下で、真顔のままガゼルの平らな腹と細い手足を見つめ、魂の底から絶叫した。


(このちんちくりんの筋肉が、俺の理想とする鋼板のような腹筋に育つまで何年かかると思っている!? 順調に発育したとしても十年だぞ、十年! 冗談ではない、俺が求めているのは一から水をやって育てる『筋肉の盆栽』ではないのだ!!)




絶望はさらに彼自身の高潔なる精神へと牙を剥く。


(第一! これから俺が指導して手塩にかけた娘に、将来己の欲望で手を出すなど、そのような卑劣な計画など、軍人の誇りにかけて断じて許されん! 俺の嫁育成(笑)ルートなど考慮に値しない!!)


完璧に論破された己の欲望。武人としての絶対的な潔癖さゆえに、自ら退路を断つ悲哀。




誰も悪くない。己が勝手に人相書に期待し、勝手に絶望しているだけだ。


(……結論。俺の婚活は、今回も完全なる敗北に終わったというわけだ……!)




「隊長。またしても帝国の未来を憂うような、深い思索の息遣い……さすがであります」


隣で勘違いを極めたレオンが感極まったように囁くが、ヴォルフの耳にはもはや何も届いていなかった。




「さて……話はまとまりましたね」


ロザリアが満足げに頷き、ヴォルフへ視線を向けた。




「ヴォルフ。そういうわけです。ガゼルは今日から特務機関の一員となります。礼儀作法から近衛としての戦闘術まで、当面は貴方が直々に教育係を務めなさい」


「……はっ。拝命、いたしました」




死神の異名に似合わぬ、どこか絞り出すようなヴォルフの返答。


こうして謁見を終え、退室の許可を得た三人は機関長執務室を後にした。




重厚な扉が閉まり、静まり返った石造りの廊下に出た瞬間、ガゼルが無邪気な足取りでヴォルフの漆黒の甲冑に飛びついてきた。




「よろしくな、デカブツ! まずは契約成立の祝いだ! あたし、死ぬほど腹が減ってるんだ! 肉だ、肉を食わせろ! すっげぇデカい塊の肉!!」


「……あらかじめ言っておくが、肉の代金はお前の初任給からきっちり天引きするからな」


「げぇっ!? ケチ!」




腰の甲冑にまとわりつき、バンバンと鋼鉄を叩いて騒ぎ立てるガゼルを見下ろしながら、ヴォルフはふと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。


彼は懐から、すっかり皺だらけになったあの指名手配書を取り出し、広げて見せた。




「……そういえば、貴様。なぜあの手配書では、あのような見事な体幹と割れた腹筋を持つ『大人の女闘士』として描かれていたのだ?」


ガゼルは足を止め、人相書に描かれた猛々しい女傑の絵をまじまじと覗き込んだ。そして、心底馬鹿にしたように鼻を鳴らした。




「あー、それな! 闘技場の客寄せポスターまんまだよ!」


「……客寄せポスターだと?」


「そうだよ! あの糞豚がよ、『仮面の無敗闘士』とか言って客を呼ぶために、絵師に金払って死ぬほど盛って描かせてた宣伝画だ! 本物がガキだってバレたら舐められて客が入らねぇからって、大人の女に見せかけてたんだとさ。あの野郎、手配書にまであの絵をそのまま使い回しやがったんだな!」




ガゼルがケラケラと笑いながら吐き捨てるのを聞き、横で手帳を開いていたレオンが呟いた。




「……なるほど。筋が通りますね」


「何がだ、レオン」


「手配書に『子供』の似顔絵を載せて帝都へ提出すれば、我々特務機関は必ず不審に思います。『なぜ子供が鉱山を占拠しているのか』『背後に何者かがいるのではないか』と疑い、現場で手加減をして生け捕りにし、尋問にかける可能性が高い」




レオンは人相書を冷淡な視線で指先で弾いた。




「最初から『極めて危険な大人の女テロリスト』として偽装しておけば、我々は遭遇した瞬間に迷わず初手から全力で斬殺する。ガゼル本人に『帝国の死神』の危険性を言い含め、奇襲を仕向ければなおさらです。……総督は、ガゼルを我々の手で確実に即時処分させ、自身の不正の証拠と身元を永遠に闇に葬るために、わざわざその絵を帝都へ送ったのでしょう」


「…………」




ヴォルフはその場に完全に静止した。


暗殺のための偽装工作。


そして、客寄せのためのただの誇大広告。


(……俺は、あの豚が暗殺と証拠隠滅のために捏造した客寄せポスターに釣られて、遙々砂漠まで嫁探しに行っていたというのか……?)




命がけの死闘。砂嵐の中での策源地制圧。帝国の秩序を守るための極秘査察。


そのすべての裏にあった己の淡い期待への残酷な真実。




「……隊長? なぜそのように天を仰ぎ、拳を震わせておられるのですか? やはり、罪なき子供を罠に嵌めた総督の外道ぶりに、義憤を燃やしておられるので……」


「……レオン」


「はっ!」


「肉の店に行くぞ。……一番高い酒を、樽で持ってこさせろ」


「えっ、隊長が執務時間外とはいえ深酒など珍しい……! はっ、直ちに手配いたします!」


「やったー! 肉だ肉だー!」




隣でピョンピョンと跳ね回る野生児と、忠実すぎる副官の足音を背中で聞きながら。


帝国の死神ヴォルフ・ガランドは、己の婚期への果てしない絶望と、あまりに救いのないオチのくだらなさに打ちのめされ――静かな廊下に響き渡るほど深く、長い溜息を吐き出したのであった。


面白いと思って頂けましたら、下の☆マークから評価・リアクションマークをポチッと応援をよろしくお願いします!

また作品に対する感想、助言などお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。