第10話
赤茶色の岩肌に巨大な洞穴の如く口を開けた、鉱石採掘鉱山の本坑口。
吹き荒れる砂嵐の吹き溜まりを抜けて地下へと足を踏み入れると、外の熱風と喧騒が一瞬にして遮断され、ひんやりとした湿り気のある冷気が肌を刺した。
坑道内には等間隔に真鍮のカンテラが吊るされ、岩肌の割れ目から露出した希少魔導鉱石が、青白い燐光を静かに放っている。
見上げるほど高い天井を支える頑丈な坑木は、狂いなく整然と組み上げられており、足元には採掘した鉱石を運搬するためのトロッコのレールが、複線でどこまでも奥へと延びていた。
ヴォルフ・ガランドは鉄兜の奥から、無傷で稼働し続けている採掘現場の威容を冷徹に見据えた。
帝都の軍務局に提出されていた西方総督府からの定期報告書には、『反逆勢力による過激な設備破壊工作、ならびに度重なる大規模落盤事故により、鉱山坑道は壊滅的打撃を受け操業停止中』と記されていたはずだった。
だが、目の前に広がる光景のどこを探しても、崩落した岩塊や破壊された支保工の跡など微塵も存在しない。
換気用のダクトからは正常な気流が流れ、奥の採掘切羽からは規則正しい削岩の反響音すら微かに届いていた。
「……どうだ、見ろよ!」
ヴォルフのすぐ後ろを歩かされていたガゼルが、泥だらけの鼻を鳴らして胸を張った。
両手は縛られていなかったが、圧倒的な実力差を見せつけられた後とあって、逃亡を図る気配はない。
「設備がピカピカなのは当たり前だろ! 鉱山を荒らしに来た悪い奴らは、あたしが全部一人残らず叩き出して追い払ったんだからな! 総督様からも『よく守ってくれた』って褒められたんだ!」
少女の誇らしげな声が、静まり返った坑道に響く。
ヴォルフは振り返ることもなく、ただ無言で歩みを採掘詰所へと向けた。
詰所の扉が開き、中を捜索していた副官レオンが数冊の分厚い日誌と搬出台帳を抱えて戻ってきた。
その端正な顔立ちには、すでに軍務手帳へ詳細な数値を書き留めた跡があった。
「隊長。採掘詰所内の運行日誌、ならびに直近半年の現場採掘記録の回収を完了いたしました」
「報告しろ」
「はっ。本鉱山の採掘ラインは極めて健全、かつ高稼働状態で維持されております。現場で産出・搬出された魔導鉱石の推計量は、帝都中央が算定していた年間最大産出量を三割以上超過。前哨平原の戦闘直前まで、極めて順調に出鉱が継続されていた証拠であります」
レオンの淡々とした報告を聞き、ヴォルフは兜の顎紐に手を当てた。
「……だが、帝都の財務局に届いている西方からの公式上納記録は、例年の半分以下に激減している。落盤による減産、そして――輸送途上における『度重なる凶悪盗賊団の襲撃による強奪』を理由にな」
ヴォルフの低く沈んだ声が、薄暗い坑道に重く落ちる。
「現場の帳簿では三割増の鉱石が採掘され、正規の荷車に積み込まれて運び出されている。だが帝都へ届いたのは半分以下。……街道で都合よく強奪されたことになっている莫大な鉱石は、一体どこへ消えたと思う?」
「消えた……? そんなの、本当に盗賊どもに奪われたに決まってんだろ! だから総督様は、あたしに悪党を倒してくれって頼んだんじゃないか!」
ガゼルが怪訝そうに眉をつり上げ、食ってかかる。
レオンは感情を交えず、抱えていた帳簿を指先で叩いた。
「もし本当に野放しの盗賊団がこれほど巨額の軍用戦略物資を定期的に強奪しているならば、西方全域に戒厳令が敷かれ、帝国軍の大規模な掃討作戦が展開されていなければ筋が通りません。しかし総督府は軍の介入を拒み、『自前の警備部隊で対処中』と握りつぶし続けてきた。……現場から正規に搬出された莫大な鉱石は、一体どこへ消えたのか」
「現場には、当たり前だが真っ当な採掘記録しかない」
ヴォルフが静かに引き取った。
「だが――消えた鉱石の行方、そして何者かの懐に入った莫大な金の流れを示す証拠は、総督府本丸の金庫にあるはずだ」
ヴォルフの言葉に、ガゼルは息を呑んだ。
だが、彼女は首を激しく横に振り、必死に現実を拒絶しようとする。
「嘘だ……! あたしは鉱山を荒らす悪党を退治したんだ! 悪い奴らを追い出せば、街の孤児院に十分な飯を食わせてやるって、総督様は約束してくれたんだぞ!」
「国を騙し、輸送隊の偽装工作まで仕組んで物資を着服するような男が、一介の剣奴との約束を守ると思うか?」
ヴォルフが静かに遮った。
その鉄兜がゆっくりと巡り、立ち尽くす少女を正面から捉える。
「……お前は戦士だな。この坑道の構造を見て、戦術的に何も思わないか」
「……え?」
ガゼルは虚を突かれたように、周囲の岩壁を見上げた。
天井は低く、至る所に太い坑木が縦横に張り巡らされている。無数の採掘枝道が迷路のように分岐し、曲がり角ごとに深い死角が形成されていた。
「お前ほどの初速と天性の体幹、そして小柄な体躯を活かした立体機動があれば、この狭く入り組んだ坑道を利用してゲリラ戦を仕掛けた方が、俺たち重装甲歩兵を何倍も苦しめられたはずだ。坑木を蹴って頭上から急所を狙い、死角から奇襲を繰り返せば、俺とて無傷では済まなかった」
ヴォルフの言葉に、ガゼルは息を呑んだ。
戦士としての天賦の才を持つ彼女だからこそ、その指摘の正しさが本能で理解できてしまったのだ。
この閉鎖空間こそが、身軽な暗殺者にとって最高の狩場であり、重装歩兵にとって最悪の棺桶であるという事実を。
「そ、それは……!」
ガゼルは動揺を隠すように声を荒らげた。
「坑道の中で戦ったら、せっかくの採掘設備が壊れちまうだろ! 総督様だって『鉱山を傷つけるな、手前の平原で悪党を食い止めろ』って……!」
「なるほど。設備損壊による鉱山経営への影響を懸念した、という言い訳は立つな」
ヴォルフはガゼルの反論を冷静に拾い上げ、そして即座に切り捨てた。
「だが――もし総督がお前を使って、俺たち特務機関第一部隊を本気で、確実に始末する気だったならば、多少の設備損壊など度外視してこの有利な坑道を使わせたはずだ」
「……っ!?」
「相手は帝国の死神と呼ばれる特務機関第一部隊だぞ。現場の設備を惜しんで戦力を分散させ、自分が皆殺しにされては元も子もない。なぜ勝率を極限まで捨てて、遮蔽物が一切存在しない吹き晒しの平原でお前を待ち伏せさせた?」
ヴォルフの問いに、レオンが氷のように冷徹な補足を加える。
「あの砂礫平原は、標的を逃げ場のない場所に固定し、重装甲部隊の突進力と質量で確実に轢き潰すための地形です。軽装の闘士が最も戦えない死地へ、最初から配置されていたのです」
「……あ」
ガゼルの喉から、掠れた息が漏れた。
「総督の最優先事項は、お前を勝たせることではない」
ヴォルフは一歩、少女へと歩み寄った。
「順調に出鉱が続いているこの現場に、特務機関を一歩たりとも近づけさせず、手前の死地でお前を死神の手にかち合わせること。暗闇の奇襲で過剰防衛を誘発させ、お前を確実に斬殺させて口を封じること。……最初から、お前は捨て駒としてあの平原に立たされていたのだ」
全ての辻褄が、無慈悲なまでの整合性を持って噛み合っていく。
戦士としての勘が、ヴォルフの言葉に一切の矛盾がないことを告げていた。
自分が信じていた「正義の防衛戦」は、ただ己を合法的に処分させるための舞台装置に過ぎなかったのだ。
「う、そだろ……。あたしは……あいつらのために……」
ガゼルの全身が小刻みに震え出した。
膝が折れそうになるのを必死に堪え、血が滲むほど強く両拳を握りしめる。
その大きな瞳から溢れ出たのは、もはや子供の怯えや悲哀の涙ではなかった。
信じ切っていた大人に弄ばれ、仲間を危険に晒し、自らを使い捨ての道具として扱った巨悪に対する、激しい憤怒の涙だった。
「許さねえ……絶対に許さねえぞ……!」
ガゼルは袖で乱暴に顔を拭い、顔を上げた。
泥と涙に塗れたその表情には、再び猛烈な闘志が宿っていた。
「総督の……あの豚野郎の前に連れて行け! 直接面と向かって確かめてやる! あたしを騙して、仲間を騙して……タダで済むと思うなよッ!」
その気迫を受け、ヴォルフは兜の奥で低く頷いた。
「いいだろう。確かめに行くぞ。総督府の金庫をこじ開け、動かぬ証拠を押さえた上で――落とし前は総督の目の前でつけろ」
ヴォルフは背後の副官へ鋭く指示を飛ばした。
「レオン、本坑道を完全に封鎖しろ。現場の採掘台帳を保全し、第二班を守備に残す。特務機関第一部隊はこれより、西方総督府へ進軍する」
「はっ! 直ちに全軍へ伝達いたします!」
青白い魔導鉱石の光に照らされた地下坑道を背に、漆黒の部隊が再び動き出す。
騙された子供の落とし前をつけさせ、帝国の法と秩序を私利私欲で踏みにじった元凶を断罪するため、死神の軍靴が冷たい砂地を力強く踏みしめていった。
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