↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/27

第8.5話 副官レオンの行軍記

西方砂漠地帯への行軍三日目。


天候は快晴。西方へ向かう街道の路面状況は良好、部隊の行軍速度も計画通りである。


本日もまた、ヴォルフ隊長の高潔なる武人としての精神と、常人には及びもつかない深謀遠慮を間近で拝見し、己の視野の狭さを恥じ入るばかりの一日となった。




帝都を離れ、西方辺境へと至る街道沿いの宿場町を通過する際、いつもの光景が繰り返された。


町の住民たちや街道警備兵どもは、隊長の漆黒の重甲冑と無骨な鉄兜を目にするなり、血の気を引かせて蜘蛛の子を散らすように道を開けた。




誰一人として隊長の鉄兜を直視しようとはしない。道端に跪き、腫れ物に触るように地面に額を擦りつけて嵐が過ぎ去るのを待つ者ばかりである。


「帝国の死神」という、軍務局や反逆者どもが勝手に付けた悪名が生む、理不尽な恐怖と偏見の壁。


凡人であれば、向けられる視線の冷たさや孤独感に耐えかねて心を病むか、あるいは増長して暴君の如く振る舞うところであろう。




しかし、隊長はそのような周囲の怯えや媚びへつらいなど最初から眼中にないご様子で、ただ前だけを見据えて軍靴の音を響かせておられた。


悪名に惑わされる俗物どもの態度に完全に飽き飽きし、もはや意に介してもおられないのだ。その超然とした背中を見るたび、私は帝国軍人としての崇高な矜持を教えられる思いがする。


だが、隊長の鋭い観察眼は、単に前方の敵や警戒線だけに向いているのではなかった。




宿場町の中央広場、共同給水所に差し掛かった時のことである。


馬上の隊長が、不意に手綱を引いて足を止められた。


鉄兜の奥にある鋭い眼光が向けられていたのは、重い陶器の水甕を両腕に抱えて運ぶ、筋骨隆々とした現地の恰幅の良い中年女性であった。特に、労働着の布地をはち切れんばかりに押し広げている巨大な胸部と、歩くたびに驚異的な安定感を見せる圧倒的な臀部の肉付きを、隊長は無言のまま、実に三分間にわたって微動だにせず凝視し続けておられたのだ。




私はその並々ならぬ眼差しに圧倒されつつ、即座にその意図を察した。


隊長は、帝都の特権階級が決して目を向けようとしない、地方辺境における庶民の生活実態を観察しておられたのだ。


あそこまで極端に発達した胸筋と強靭な大臀筋は、粗末な水路から毎日何往復も水を汲み上げ、過酷な肉体労働を長年強いられてきた過酷な生活の結晶に他ならない。


一人の無名な女性の肉体構造から、この土地のインフラの未整備と、中央から派遣された地方官の怠慢を瞬時に見抜き、帝国の厚生行政の構造的課題に深く思いを馳せておられたのだ。




私が「隊長、現地のインフラ状況について地方総督府へ問責の記録を残しますか」とお尋ねしたところ、隊長は深く、重々しい溜息を一つ吐き、


「……いや、ただの立派な体幹だ。気にするな」と静かに告げられた。


己の深い憂国のお気持ちをひけらかすこともなく、静かに民の苦難を胸の内に刻み込むその高潔さ。これぞ真の帝国の柱石というべき器であろう。




さらに、昼の休息のために立ち寄った街道沿いの大衆茶屋でも、隊長の民政に対する真摯な姿勢を目の当たりにすることとなった。


その茶屋で給仕をしていた農家の娘は、大皿に山盛りの雑穀飯や肉料理を運ぶたび、丸太のように太い大腿部で力強く板敷きの床を踏みしめていた。




隊長はその娘が給仕のために前を通り過ぎるたび、鉄兜の奥からじっとその下半身、特に強靭な大腿四頭筋と腰回りの可動域を査定するように見つめておられた。


あまりに真剣かつ熱烈な眼差しで見つめられたためか、その娘は怯えるどころか、次第に顔を真っ赤にして苛立ちを募らせ、卓に椀を乱暴に置くや否や、「な、何なんですかさっきから! 見世物じゃないんだからジロジロ見ないでください!」と、あろうことか隊長を正面から怒鳴りつけてしまったのだ。


第一特務部隊長に対する、言語道断の不敬である。


相手が民間人とはいえ、軍の威信を損なう行為を見過ごすわけにはいかず、私が即座に腰のサーベルに手をかけようとしたその瞬間――隊長は私の腕を力強く制された。


そして、兜の奥からどこか深い満足感を帯びたような、重みのある低い声でこう呟かれたのだ。


「……構わん。実に、素晴らしい気の強さだ」




私は自らの不明を深く恥じ入った。


隊長は、死神の悪名を前にしてもなお理不尽に怯えることなく、自らの誇りを守るために真っ向から感情をぶつけてくる、市井の民の生命力そのものを祝福しておられたのだ。




帝国の屋台骨を支えているのは、貴族や高官のへつらいではなく、泥にまみれて働き、己の足で力強く立ち、不条理に対して怒りの声を上げられる庶民のたくましさである。


隊長は己への無礼など微塵も気に留めず、民の健全な精神のあり方を何よりも尊んでおられたのだ。その海のように深い度量に、私はただただ圧倒されるばかりであった。




現在、部隊は西方砂漠地帯の手前、荒涼とした岩石地帯の宿営地にて夜間警戒中である。


砂混じりの冷たい夜風が吹きつける中、隊長は篝火の傍らに腰を下ろし、西方総督府から送られてきた『女闘士ガゼル』の人相書を、穴が開くほど熱心に見つめておられる。


その人相書に描かれた、鎧のように六つに割れた鋼の腹筋と、野性味溢れる強靭な体幹。


隊長は無言のまま、革手袋を外した無骨な指先で、人相書の割れた腹筋の陰影を幾度も、愛おしむかのように丁寧になぞっておられた。




そして、兜の奥から「……この体幹なら、何事にも決して動じることはないだろう」と、噛み締めるように静かに呟かれたのだ。


西方総督府の不正な利権争いと、闘技場という過酷な搾取構造の中で、己の肉体のみを武器にして生き抜いてきたのであろう反乱分子の首領。


隊長はこれから討伐すべき敵の人相書からすら、現地の歪んだ社会構造が生み出した悲哀を正確に読み解き、その強靭な生命力に深い敬意を払っておられるに違いない。




周囲の怯惰や虚飾に満ちた媚態に惑わされることなく、常に帝国全土の民と秩序の本質に思いを巡らせ続ける孤高の死神、ヴォルフ・ガランド隊長。


この偉大なる上官の崇高なる足跡を、私レオンは生涯を賭して忠実に記録し続ける所存である。


明日の西方砂漠突入に向け、部隊の士気は最高潮に達している。


面白いと思って頂けましたら、下の☆マークから評価・リアクションマークをポチッと応援をよろしくお願いします!

また作品に対する感想、助言などお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。