6.ノア亭の主人は、ため息をつく
スクルートとキホテールが、逗留している宿屋は“ノア亭”という。
宿の主人の名は、イブリッド・ノア。
何をやっても中途半端なのが、男の悩みだった。
今日もイブリッドは、ため息をつく。
(…お客様がこない…)
外では、激しい雨音と雷鳴が激しくなっていた。
こんな日はボンヤリと昔のことを思い出してしまう。
イブリッドは、男爵家の五男だ。
相続する財産などなかった。
哀れんだ亡き祖母が、この家を遺してくれた。
金がないので、自分の手で改築して宿屋にした。
この家は、唯一の自分の財産だ。
しかし客は、三ヶ月先払いで宿泊費を安くして逗留しているスクルートとキホテールしかいない。
一階は食堂にしてあるが、誰も入ってこない。
看板も置いてあるのに。
通りを歩く人達は、いつも置いてある看板を一瞥するだけで通り過ぎてしまう。
(何が悪いんだろう……)
実は、看板の字が汚過ぎて、何を書いてあるのか読めないのである。
キホテールの野生のカンで、彼等は気がついたのだ。
庭の樹からとれた、さくらんぼで作ったジャム。
それも自慢の名物だ。
キホテールは大喜びで大量購入してくれて、魔塔へ持っていっていた。しかもおススメのお菓子屋まで聞いてきた。魔塔の皆さんと食べているのだろう。
スクルートもほんの少しだが買ってくれている。
彼等は大切な客だ。裏表もなく気のいい連中だ。
……ただちょっと……、いやかなり……極端な連中だが。
貴族が民を管理維持する学問も習った。
……成績はあまり良くなかった。
魔法に憧れて魔法学校にも入った。
……努力すれば、魔塔に就職できると思っていた。
そんな時に、学校に超エリートが現れた。
まだ幼い少女3人の特待生。
息をするように大魔法を繰り出す。
こんな存在がいるのかと思い知らされた。
(努力じゃ届かない世界があるんだ。あれはもう呼吸だ……才能のある奴はいいよな……)
心の中で、何かが折れた。
……雨の音が激しくなり、雷鳴が響き渡る。
こんな日は、『飛ぶ天災』が、空を駆けているはずだ。外出する奴は馬鹿である。客ももう来ないだろう。
もう一度ため息をついて、看板をしまおうと扉に手をかけた時だ。
勢いよく扉が開き、スクルートがズンズンと入ってきた。彼はびしょ濡れだった。
スクルートは元騎士団で礼儀正しい。だが厳しくてちょっと怖かった。
「……スクルートさん。おかえりなさい。タオルを持ってきますね」
「イブリッド殿。助かる。冒険者ギルドが休みだったのだ。告知をするべきだ。怠慢すぎる!」
(……やれやれ。こんな雨の日は外出するなって、王都の皆は知っているのになあ。まだ知らないのだろう)
イブリッドは、親切に教えてやることにした。
「王都では、雨の日は魔女様が雷鳴を鳴らしてまわるので、休む所が多いんですよ」
「非効率的すぎる。それは魔女に厳重注意をするべきだろう!」
イブリッドは根気よく教えた。
「春にたくさん雷が鳴ると、豊穣の年になるんです。ですから、大切なお仕事なのですよ」
「無駄ではないのか……。そうか、それならば仕方ない」
スクルートは腕を組み、深く頷いた。
そして眼光鋭くイブリッドを睨みつける。
「……ひっ! 何か?」
「相談がある。宿の仕事を手伝わせてもらえないだろうか。冒険者ギルドで、今日は稼げないのだ。それで、食費か宿泊費を安くしてもらいたいのだ!」
スクルートは頼んでいる。なのに、なぜか威圧されている気するのだ。彼も損な男のようだ。
安くするのは、正直言って苦しい。
しかし、真面目に努力しているのに報われない苦しさも分かるのだ。
「…………はあ、いいですよ。それじゃあ、掃除とか台所仕事を手伝ってもらえますか。それで、夕食代は安くしておきます」
「助かる!! 感謝するぞ!」
スクルートは勢いよく立ち上がると、掃除道具置き場に真っ直ぐ歩いていった。
イブリッドは、彼に跳ねられるかと焦った。
勢いよく、掃除を始めるスクルート。
「イブリッド殿! 宿の傷んでいる箇所の修理もしよう! それでだな、もう少し食費を安く……」
「はあ。分かりました。修理もお願いします。それで夕飯はただにしますよ」
「助かる!! 感謝します!」
(……大声が頭に響くなあ)
スクルートは礼儀正しく敬礼をしてくれた。
スクルートは、隅の隅までピシリと掃除を始めた。
イブリッドが汚したりしたら、怒られそうな勢いだった。
(……悪い人じゃないんだけどなあ。そういえば、今日はキホテールさんを見ていないな。部屋にいるのだろうか)
イブリッドは、キホテールが気になって部屋の様子を見にいった。
ミシミシと軋む階段を上がり、部屋の前まで行くと、ブツブツと呟く声が聞こえてくる。
「……疲れた……疲れた………」
(いつもは元気なキホテールさんが!)
イブリッドは焦って、ドアを優しくノックした。
「キホテールさん、どうかされましたか? 朝食も食べてませんよね。温かいお茶でもいかがでしょうか」
しばらくして、ジメジメした声が帰ってきた。
「イブリッドさんか……。ありがとう、でも今日はベッドから出ない日なんです。これが俺の回復フェーズなんです……」
「そうですか。ではまた、御用ができたら出て来てください」
「はい…………。………疲れた……疲れた……」
(本当に疲れてる時は、感覚も判断力も低下してしまう。食べても消化力が落ちる。夕飯は柔らかいものにして、今はそっとしておくしかないですね……)
イブリッドが階下に降りると、夕飯のメニューをあれこれ考えた。
(温かく柔らかいもの……煮込みスープかリゾットがいいかな)
その時だ。
2階からドンドンと大きな扉を叩く音と、スクルートの大声が響き渡った。
「キホテール! 私はイブリッド殿から掃除の任務を承った! 今から君の部屋を掃除してやる! ここを開けろ!」
「……掃除はいらない。この部屋は、俺の魔法陣なんだ。放っておいてくれ……」
「貴様! 以前チラッと見たが、どう見ても混沌だったぞ! 気になるだろう!」
「ここは俺の部屋だ……」
イブリッドは持っていた玉葱を放り出して、2階へ駆け出した。
放っておいたら、また大喧嘩になってしまうのが目に見えている。
イブリッドは心の中で叫んだ。
(お前達は極端すぎるんだよ!!)
「スクルートさん! キホテールさんが良いと言うまで、部屋はそっとしてあげましょう! それより、夕飯の支度を手伝ってください!」
「……む。イブリッド殿が言うなら、そうしよう」
スクルートはクルリとこちらへ向き直り、階下へと勢いよく降りていく。
小さな声で、キホテールの声がした。
「イブリッドさん……ありがとう……」
イブリッドは、深いため息をついた。
(やれやれ。状況に応じて切り替えられないのかな)
台所でスクルートと煮込みスープを作り始める。
スクルートは定規を取り出して、几帳面に測って玉葱を切る。
そんな彼に、イブリッドは苦笑いをした。
「……もう少し普通にできませんか」
スクルートは大真面目に答えた。
「普通に調理しておる!」
「…………そうですか」
スープの具材に火が通り、いい匂いがしてきた。
「どうだ、イブリッド殿。レシピ通りに一寸の狂いもなく作れたと思う!」
「そうですね。上手にできたと思いますよ」
イブリッドの言葉を聞いて、スクルートは真一文字の唇がピクピク動いた。嬉しいのだろう。
レシピ通りだが、味見をせず調整していないスープは少し味気なかった。
そんな彼を見て、イブリッドは祖母の最後の言葉が蘇ってきた。
『ここはね、帰ってきてもいい場所にしなさい』
だから、ここは守りぬく。何があっても。
……大切な思い出の場所なのだから。
イブリッドは深く息を吸うと、ゆっくりと息を吐き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




