11.憧れの、その先で 〜花の魔女様〜
人は楽しい日の翌日ほど、身体が正直になる。
スクルートは一番鶏が鳴くまで踊り明かし、全身の筋肉が裏切ったように動かなかった。
(これでは仕事にならないな……おや、これは何だ?)
軋む体で昨夜の稼ぎを確認をすれば、小さな紙が入っていた。
そこには、「花の美術展無料招待券」とあった。
商業者ギルドが、報酬と一緒に入れたらしい。
(『無料』か。折角だから行ってみるか)
彼は、美術館へ向かった。
もらった無料券を無駄にする気にはなれなかった。そしてなにより……少し静かな場所に身を置きたかったのだ。
館内は、驚くほど整然としていた。
磨き上げられた床、均一に落ちる光、静かに立つ監視員。
無駄がなく、乱れがない。
(これこそが、調和のとれた美しさだ……)
スクルートは、思わず息を吐いた。
……その時だった。
ふわり、と視界一面に花びらが舞った。
光が揺れ、空間がきらめく。
スクルートは驚いた。気配を感じて振り返ると、見覚えのある“いつもの連中”がいた。
(歩く火薬庫、飛ぶ天災、踊る厄災……最悪の三人だ)
場違いなほど華やかな魔法に、周囲の客はむしろ感嘆の声を上げていた。
貴族らしき者たちもいて、満足げだった。
監視員達が魔女達を誘導する様子から、美術館のイベントの為に彼女達は来たらしい。
(混沌と規律が調和している……だと!?)
スクルートは理解が追いつかなかった。思わず額を押さえる。胸の奥のざわめきを鎮めるために、美術館の庭へ飛び出した。
庭では薄紅色の花が咲き誇り、赤い敷物が敷かれた長椅子が整然と置かれている。
スクルートは、椅子の一つに座り息を整えた。
庭の一角、なぜか彼の周りだけぽっかりと席が空いていた。
(……近づきたくない空気、か)
スクルートはひとり、静かに腰を下ろしていた。
その空席に、小さな影がするりと入り込む。
「ここ、いい?」
ためらいがない声だ。
スクルートはわずかに目を向けた。
(―気の強い娘だ。……いや、違うな。これは、怖いものを知らない目じゃない。知っていて、引かない目だ)
「……好きにしろ」
少女はにっと笑って、そのまま腰を下ろした。
「お母さん! ここ空いてるよ!」
「デイジー、そこは……」
少し遅れて現れた女性は、困ったように笑っていた。
柔らかな茶色の髪が、光を受けて揺れる。
長いまつ毛の奥の目は、どこかすべてを受け入れてしまいそうな優しさを宿している。
スクルートは目を見張った。
酒場の歌姫アイリーンだった。
「……どうぞ」
スクルートが軽く言うと、彼女は一瞬だけためらい、それから頭を下げた。
「……ありがとうございます」
少女と並んで座るその様子に、スクルートは小さく息を吐いた。
(ああ、なるほど―親子か)
顔立ちだけでなく、仕草がよく似ていた。
青空に大きな白い雲。少しひんやりとした風。
花々が静かに咲いている。
やがてアイリーン達はお弁当を広げた。
穏やかな時間だった。
……その時、庭の向こうで、ひときわ大きな歓声が上がった。
視線を向けると、花びらが空高く舞い上がっている。光がきらめき、まるで空そのものが咲いたようだ。
「わあ……!」
デイジーが身を乗り出した。
「あれ……花の魔女様だよね?」
目を輝かせたまま、彼女は振り返る。
「すごい……かっこいい! 私もあんな風になりたい! ……でもママは簿記の学校で資格を取れっていうの」
アイリーンは困ったように笑った。
「現実も大事だからね。花の魔女様は特別な方なのよ。そんなに簡単になれないと思うわ」
スクルートは曖昧に笑った。
……そのすぐ近くで、当の“花の魔女様”たちが騒いでいたのだ。
「終わったオワッター!」
「おなか……へった」
「庭で花菓子くれるはず、行こう」
冷静な監視員達に導かれ、騒ぐ魔女達に周囲の目が注がれた。
(教えるべきか……いや、娘の夢を壊したらアイリーン殿に嫌われるかもしれん。それは嫌だ。しかし……)
「よお! スクルートもいたのか」
最悪のタイミングで、キホテールが声をかけてきたのだ。
アイリーンが首を少し傾げて聞く。
「スクルートさん、お知り合いなんですか?」
スクルートは、心臓が止まりそうになった。
デイジーの目は落ちそうな程、見開かれている。
魔女達は、監視員達が差し出した花菓子を、次々と手づかみで口に運んだ。お茶をがぶ飲みして、ゲップをしている。無邪気に魔法で花を出していた。
デイジーの表情が曇った。
「あれが特別? ……あんなの、誰でもなれる」
静かな声だった。
スクルートは、その通りだと思った。だが、喉の奥に何かが引っかかる。
「別に特別じゃないなら、感動して損した」
「……違う。違うんだ、デイジー」
スクルートは、思わず口を開いていた。
「何が違うのよ。ママの言う通りだった。資格を取るわよ」
デイジーは半分泣きそうだ。
(今までの私なら、それでいいと言えた。なのに……)
スクルートは、一瞬、目を閉じた。
「デイジー」
ゆっくりと、彼は言葉を選んだ。
「憧れはな、才能の始まりなんだ」
アイリーンは目を見開く。
「大人って、すぐ綺麗事いう!」
デイジーがはっきりと言い返す。
スクルートは、苦笑した。
「本当にあいつらは特別なんだ。憧れに、どこまでも真っ直ぐな連中なんだ。それが……その、カオスレベルだから、あんな魔法が使える。……品性は問題がある……かなり」
(何を言っているんだ、私は)
自分で言っておきながら、スクルートは後悔した。
「ふうん」
デイジーは少しだけ考えて言った。
「じゃあ、私やっぱり魔法学びたい。ちょっとだけでもいいから。いいでしょ? ママ」
アイリーンは娘を見つめ、やがて、やわらかくうなずいた。
「……そうね。最初から全部諦めるんじゃなくて、少しだけ試してみましょう」
「ありがとう! ママ!」
その瞬間、キホテールが魔法を出してみせた。
三体の精霊達が淡い光を纏い、中庭をゆったりと旋回する。
光が弾け、花が舞いちる。
「すごい!」
デイジーは、瞳を輝かせて素直に笑った。
「やっぱり魔法使いになりたいかも!」
それを聞いたキホテールは、真顔になった。
デイジーの方を向くと、彼は焦って言った。
「えっ!? こいつらが増えるの? いや待て、お嬢さん。もう少し社会勉強してからでもいいと思うよ」
魔女達は大笑いした。
スクルートは苦笑する。
アイリーンは微笑み、デイジーは少し戸惑っている。
彼女は魔女達から視線を逸らし、煌めく魔法を見つめた。
そして、小さく呟いた。
「……でも、ちょっと悔しい」
(……私、逃げてたのかも)
風が吹いた。
薄紅色の花がまたひらひらと舞いおちる。
東洋では“サクラ”と呼ばれる花だ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




