第84話「それぞれの道」
季節が、一つ巡った。
テルミナに、秋が来ていた。丘の木々が赤く染まり、収穫祭の準備で町は浮き立っている。あの紫黒の空が嘘みたいに、毎日が穏やかに過ぎていった。
俺の魂力も、ようやく元に戻った。六色の魂は、相変わらず混ざったままだ。オルガに言わせると「日に日に、なじんできてる」らしい。痛みも違和感もない。ただ、温かい。
パーティ【月下の棺】は、Sランクのまま、テルミナを拠点に活動を続けていた。冥渦の後始末——各地に残った蘇りモンスターの掃討や、瘴気で傷んだ土地の浄化。死霊術師の力が、今は世界中から求められている。
追放された頃が、遠い昔のようだった。
◇
ある日、ギルドに一通の手紙が届いた。差出人は、ゼノン。王都の消印だ。ミレーヌが受付で広げて、声に出して読んでくれた。
「教会の裁判が、ようやく片付いたって。大司教ヴァルキスは生涯幽閉。グレゴリーも有罪。証言台に立ち続けて、やっと終わったそうです」
ミレーヌの声が、少し弾んでいる。元同僚の報告が、嬉しいのだろう。
「それから——『約束を果たしに行く』と」
手紙を置いて、ミレーヌが顔を上げた。
「近いうちに、テルミナに来るそうですよ。レイドさんに、奢らせろって」
俺は、笑った。あの男らしい。
◇
手紙には、もう一つ。
ダリウスとエリーゼの、その後が書かれていた。
ダリウスは、王都の下町で剣の修理屋を始めたという。右腕は動かないままだが、左手で工具を握り、若い冒険者の武器を直している。「天才炎術師」とはもう名乗らない。ただの、腕のいい職人として。
エリーゼは、地方の小さな村にいた。聖女の力は戻らないが、薬草の知識を活かして、村の診療所を手伝っているらしい。治癒魔法は使えなくても、人の手当てはできる。手紙の最後には、こうあった。
「あいつ、村の子供たちに慕われてるそうだ。『エリーゼ先生』って呼ばれてるとさ」
俺は、窓の外を見た。自分の足で立て、と言った。あの言葉が、届いたのかもしれない。許したわけじゃない。でも、それぞれが、それぞれの場所で歩き出している。それで、いいと思った。
◇
夜、宿の食堂に、いつもの五人が集まった。リリスがワインを傾け、シャルロットが料理を運び、メルティが実体化した手で皿を並べ、セラフィナがそれを見て笑っている。何百回も繰り返してきた、当たり前の光景だった。
でも、最近は少し違う。シャルロットが料理を俺の前に置くとき、わざと指が触れる。気づかないふりをして、耳を赤くしている。あの丘の日から、二人の距離が、ほんの少しだけ近くなっていた。
その様子を見ていたメルティが、唇を尖らせた。
「ねえ」
「ししょう。メルティとも、丘に行きましょう?」
「えっ」
「シャルちゃんだけ、ずるいです! メルティも、ししょうとお話ししたい!」
「お、おい」
リリスが、くつくつ笑う。
「ほれ見ろ。言うたじゃろう。一人に答えて終わりではないと」
セラフィナまで、顔をほんのり赤くして、そっと手を挙げた。
「……私も、いつか。お願いします」
シャルロットが、料理の皿を置く手を止めて、ため息をついた。
「……まあ、覚悟はしてたけどね。この人を好きになるってことは、こういうことだって」
それから、ふっと笑う。
「みんなで、ちゃんと向き合ってもらうから。一人ずつ、ね」
四人の視線が、いっせいに俺に集まる。逃げ場は、どこにもなかった。
◇
食事のあと、俺は一人、宿の屋上に出た。
秋の夜風が、心地いい。星が、よく見えた。冥渦に覆われていた頃が、嘘のようだ。
追放されたあの夜も、星を見上げた。曙光の英雄に「不要」と言われて、一人で安宿に帰り、冷たい床で星を見た。あの時は、一人だった。今は、違う。
階下から、笑い声が聞こえてくる。メルティのはしゃぐ声。シャルロットがたしなめる声。リリスの艶やかな笑い。セラフィナの控えめな相槌。俺の、帰る場所の音だ。
「レイド」
声に振り返ると、リリスが屋上に上がってきていた。ワイングラスを二つ持って、一つを俺に差し出す。
「少し、付き合え」
並んで手すりにもたれると、星明かりがリリスの銀髪を青白く照らした。
◇
「八百年、待ったとシャルロットが言うておったか」
リリスが、夜空を見上げたまま言った。
「あの娘も、なかなか鋭いのう」
「……待たせたな」
「気にするな。わらわは気が長い。八百年も、八百一年も、大して変わらぬ」
ワインを一口含んで、リリスがグラスを揺らす。星明かりが、その中で揺れた。
「じゃが、な。もう、待つのは終わりにしてほしいのじゃ」
リリスが、こちらを向いた。
いつもの不敵な笑みは、なかった。八百年の孤独を抜けてきた、一人の女の顔だった。
「ぬしが世界を救った夜、わらわは決めた。この男を、二度と一人にはせぬとな」
手が、俺の手に重なる。真祖の手は冷たいはずなのに、俺の手の中で、たしかな体温が伝わってきた。
「だから、レイド。次は——わらわの番じゃ。よいな?」
星が、流れた。その答えを言う前に、階下から、勢いよくドアの開く音がした。
「ししょー! リリスさんだけ抜け駆けはずるいですー!」
メルティが、階段を駆け上がってくる音。
リリスが、はあ、とため息をついて、それから、楽しそうに笑った。
「……賑やかな求愛じゃのう、まったく」
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