表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/85

第85話「不要と言われた男の、帰る場所」

 収穫祭の朝が来た。

 テルミナの広場は、朝から色とりどりに染まっていた。屋台が軒を連ね、焼けた肉と、揚げた菓子と、温かい果実酒の匂いが入り混じって漂ってくる。広場の中央には、収穫した麦や林檎を山と積んだ祭壇。楽団が隅で音合わせをして、子供たちが赤や黄の飾り花を柱に巻きつけていた。

 秋の空は、どこまでも高く澄んでいる。あの町を覆っていた紫黒の渦が、もう嘘みたいだった。

 俺は、広場の隅でその様子を眺めていた。一年前、この町に来た。誰にも見えない死霊術師として、安宿のカウンターで一人、麦酒を飲んだ。それが今は、町の英雄として祭りの主賓に祭り上げられている。落差がおかしくて、少し笑った。

    ◇

 昼過ぎ、町の門が騒がしくなった。ゼノンが、来たのだ。

 馬を降りた姿は、すっかり日に焼けて、前より逞しくなっていた。腰には、あの白銀の鉄剣。冥府で覚醒した、本物の剣だ。

「よう。約束、果たしに来た」

 手を上げて、笑う。憑き物が落ちたような、いい顔だった。

「待ってたぞ」

 握手をかわす。それから、ゼノンは町の人たちに囲まれた。「あの勇者様だ」と。かつてレイドを追放した男が、今はこの町でも歓迎されている。複雑な気もしたが——ゼノンは、ちゃんとそれを受け止めていた。逃げずに。

「お前を追放した男です」と、自分から名乗って頭を下げ、それから一緒に酒を飲む。そういう男に、なっていた。

    ◇

 祭りの夜。広場にかがり火が灯ると、町中の人が集まって、飲んで、踊って、笑い出した。テーブルには料理が山と並び、楽団が陽気な曲を奏でている。

 俺たちのテーブルも、賑やかだった。リリスがワインの杯を傾け、シャルロットがゼノンと剣の話で盛り上がり、メルティが屋台のあれこれを実体化した手で頬張り、セラフィナが楽団の音楽に耳を傾けている。オルガが少し離れた席から、目を細めてこちらを見ていた。

 俺は、その真ん中にいた。

 ふと、ミレーヌがやってきて隣に座る。ワインで少し赤い顔をしていた。

「レイドさん。私、ここで本当によかったです。テルミナのギルドで働けて、オルガさんに鍛えられて。……自分の足で、立てるようになりました。全部、レイドさんのおかげです」

「いや」と俺は首を振った。「お前が、自分で立ったんだ」

 ミレーヌが、嬉しそうに笑った。

    ◇

 祭りが、最高潮に達した頃。

 楽団の音が、ふと止んだ。

 町長が、広場の中央に進み出る。皺だらけの手に、なみなみと注がれた杯を掲げて。ざわめいていた広場が、少しずつ静まっていった。かがり火の爆ぜる音だけが、夜に響く。

「皆の衆」

 老いた声が、それでもよく通った。

「今日は、我らの英雄に乾杯したい」

 何百人もの顔が、いっせいにこちらを向いた。屋台の親父も、踊っていた娘たちも、肩車された子供も。みんなが、俺を見ている。

「一年前。この町に、一人の死霊術師が来た。誰もが、その肩書きに眉をひそめた。死を扱う者だと、遠ざけようとした」

 町長の声が、ふと詰まった。

「だがその男は——蘇りモンスターから子供を守り、呪われた者を救い、教会の嘘を暴き、そして、世界そのものを救ってくれた。レイド・ノクターン。彼は、テルミナの誇りだ」

 町長が、杯を高く掲げた。

「我らの英雄に。そして、彼の仲間たちに——乾杯!」

 何百という杯が、夜空に向かって一斉に掲げられる。

「「「乾杯!」」」

 声が、広場を揺らした。地面から、足の裏に響いてくるほどの。

 俺は、立ち上がって頭を下げた。礼を言おうと口を開く。けれど、声が出てこない。喉の奥が、固く詰まっていた。

 代わりに、一年前の夜が、よみがえってくる。

 曙光の英雄の祝宴。あの夜、ゼノンが「お前は不要だ」と告げた。仲間たちが乾杯する声を背中で聞きながら、俺は一人、酒場の扉を押した。誰も、引き止めなかった。誰も、振り返らなかった。冷えた夜道を歩いて、安宿の一番狭い部屋で、固い床に寝転んで、窓の外の星を見た。

 あの夜、俺の名を呼ぶ声は、どこにもなかった。

 乾杯の輪に、俺の席はなかった。

 それが——いま。

 何百という声が、俺の名を呼んでいる。何百という杯が、俺のために掲げられている。固い床ではなく、温かいかがり火の前に、俺の席がある。

 目の奥が、痛んだ。

 泣くものか、と思ったのに。下を向いた拍子に、一粒だけ、こぼれてしまった。誰にも見られないように、慌てて手の甲で拭う。

 拭いきれたかどうかは、わからなかった。

    ◇

 夜が更けて、宴がひと段落した頃。

 俺は、一人で広場を抜け出した。

 町外れの丘に登る。坂を上がるにつれて祭りの喧騒が遠ざかり、虫の音と風の音に変わっていった。丘の上から見下ろすと、テルミナの町がまるごと一望できた。広場のかがり火を中心に、家々の窓明かりが点々と灯っている。橙色の光が夜の底に溶けて、町全体が一つの大きな灯りのようだった。遠くから、楽団の音と笑い声の名残が、風に乗って届いてくる。秋の夜気は涼しく、林檎の甘い匂いが、かすかに混じっていた。

「逃げたのか、主役が」

 声に振り返ると、五人がいた。リリス、シャルロット、セラフィナ、メルティ、それから少し遅れてゼノンも。みんな、俺を追ってきたらしい。

「逃げてない。少し、風に当たりたくてな」

「嘘つけ。照れ隠しじゃろう」

 リリスがくすりと笑って隣に並んだ。銀の髪が、星明かりを受けて青白く光る。

「いい眺めじゃのう」

「ああ」

 シャルロットが反対側に立ち、メルティが俺の足元にちょこんと座る。セラフィナが少し後ろから町を見下ろし、ゼノンは手すりにもたれて夜空を見上げていた。

 誰も、何も言わなかった。ただ、同じ景色を、肩を並べて見ていた。眼下の灯りが、瞬くたびに、誰かの笑い声が聞こえる気がした。

    ◇

「なあ、レイド」

 ゼノンが、ぽつりと言った。

「お前を追放したこと、今でも、たまに夢に見る。最低なことをしたって。でも——」

 夜空を見上げたまま、続ける。

「あの時お前を追い出さなかったら、お前はこの町に来なかった。この四人にも、会わなかった。……皮肉だよな」

「そうだな」

 俺も、夜空を見上げた。追放されなければ、テルミナに来なかった。リリスにも、シャルロットにも、セラフィナにも、メルティにも、会わなかった。オルガにも、フィーナにも、この町の人たちにも。あの「不要だ」の一言が、全部の始まりだった。

「恨んでないよ」

 俺は言った。

「むしろ、感謝してる。——お前が追い出してくれたから、俺は、本当の居場所を見つけられた」

 ゼノンが、何も言わずに、ただ頷いた。その目が、少し潤んでいた。

    ◇

 メルティが、立ち上がって、俺の袖を掴んだ。

 いつもの癖。でも、もう半透明じゃない。温かい、実体の手だ。

「ししょう」

 見上げてくる、紫色の瞳。三百年、誰にも見えなかった少女の瞳が、まっすぐ俺を映している。

「メルティ、ずっとここにいていいですか? ずっと、ししょうの傍に」

「ああ。ずっといていい」

「えへへ」

 メルティが、顔をくしゃくしゃにして笑った。泣き笑いみたいな、でも、心からの笑顔だった。

 その隣で、シャルロットが、俺の手にそっと自分の手を重ねた。あの丘の日から、もう照れ隠しに「別に」とは言わない。耳をうっすら赤くしながらも、視線だけは、まっすぐ俺に向けている。

「私も、いるから。ずっと」

 反対の手を、リリスが握った。八百年待った真祖の手は、もう冷たくない。紅い瞳が、星明かりの下で、優しく細められている。

「ようやく、追いついたのう。ぬしに」

 背中に、ふわりと重みがかかる。セラフィナが、翼ごと俺に寄り添っていた。暁の翼が、夜風に揺れて、月光を受けて淡く光る。

「私の居場所は、ここです。あなたの隣が」

 耳元で、そっと囁く声。

 四人の温もりが、俺を包んでいた。それぞれ違う温度で。違う手触りで。けれど、どれも確かに、生きて、ここにある。

 星空の下。

 帰る場所の、光の中で。

    ◇

「帰ろう」

 俺は、言った。

「祭りの続きだ。みんな、待ってる」

「うむ」

「ええ」

「はい!」

「……うん」

 六人で、丘を下りはじめた。

 眼下に、テルミナの灯りが揺れている。あそこに、俺の帰る場所がある。俺を呼ぶ声がある。俺を必要とする人たちがいる。

 「不要」と言われた男は、もう、どこにもいなかった。

 ここにいるのは、ただ、帰る場所のある、一人の男だった。

 (完)


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ