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第81話「ただいま」

 冥府の門の前で、カロンが待っていた。体の輪郭がしっかり戻り、蒼い光が穏やかに揺れている。

「冥府は、わしが立て直す。ネクロポリスも、いずれ元の姿に戻る。——そうしたら、また遊びに来るといい。今度は、客としてな」

「ああ。必ず」

「カロンさん、お元気で!」とメルティが手を振ると、カロンは目を細めた。

「達者でな、嬢ちゃんたち」

 門をくぐると、蒼い光が背中を押すように、優しく包んだ。

    ◇

 地上は、晴れていた。

 大聖堂の跡地。裂け目から這い出た六人を、青空が迎えた。紫黒の渦はどこにもなく、雲が流れ、陽の光が頬に当たる。たったそれだけのことが、信じられないくらい温かかった。

「青いのう」

 リリスが空を見上げる。

「800年前と、同じ色じゃ」

 その時、歓声が押し寄せてきた。跡地の周りに、王都の人々が詰めかけている。兵士も、冒険者も、市民も。何百、何千という人が空を指さし、泣き、抱き合い、こちらに向かって叫んでいた。

「英雄だ!」

「死霊術師様が世界を救ったぞ!」

 ヴェルナーが人垣を割って歩いてきて、俺の肩を大きな手で叩いた。

「よくやった。それしか言えん」

 国王までもが、衛兵も連れずに駆け寄ってきて、群衆の前で深々と頭を下げる。歓声がさらに膨れ上がった。

 俺はその全部を受け止めながら、心だけはもう、南の街道の先にあった。

    ◇

 出発の朝、城門の前で、ゼノンが言った。

「俺は王都に残る。教会の後始末がある。証人が要るだろ。それに——」

 少し笑って、続ける。

「まだ、あの町に顔を出す資格がない。お前を追放した男が、お前の故郷で一緒に祝われるわけにはいかないだろ」

「気にしすぎだ」

「俺が気にするんだよ」

 ゼノンが手を差し出した。

「いつか、資格ができたら顔を出す。その時は、酒でも奢らせろ」

 握り返す。それだけで、十分だった。

「待ってる」

    ◇

 街道を、五人と一人で南へ下った。

 オルガは馬車の中で、ずっと窓の外を見ていた。瘴気に枯らされたはずの畑に、もう新しい芽が出ている。

「早いもんだねえ。世界ってのは、案外しぶとい」

「人間もな」

「違いない」

 オルガが笑うと、皺が深くなった。この数日で、ずいぶん老けた気がする。それでも、目だけは若いままだった。

 メルティは窓に張りついて、流れる景色に歓声を上げ続けている。実体の目で見る世界は、何もかもが新しいらしい。シャルロットが「落ち着きなさい」と言いながら、隣で同じ景色を見ていた。セラフィナは翼を畳んで静かに座り、時々、天界のある方角の空を見た。何かを考えている顔だった。

 リリスは、俺の隣で眠っていた。肩に、頭の重みがある。

 起こさなかった。

    ◇

 五日目の夕方。丘を越えると、テルミナが見えた。

 夕日に染まる小さな町。石造りの家々、パン屋の煙突、ギルドの看板。世界が終わりかけたのに、あの町は何も変わらず、あのままそこにあった。

 南門が近づくにつれて、目を疑った。

 門が、白かった。

 壁に、柵に、屋根に、子供たちの手に。町中の白い花が、全部ここに集められたみたいに咲いている。出発の日、花屋の女主人がくれた花。花言葉は「必ず帰る」。

 門の前に、町の人たちが立っていた。フィーナも、ミレーヌも、酒場の主人も、子供たちも。全員、いた。

 馬車を降りても、誰も声を上げなかった。

 花屋の女主人が、一歩前に出る。目はもう、真っ赤だった。

「……おかえりなさい。約束、守ってくれたのね」

 俺は、息を吸った。

 七年間、言う相手のいなかった言葉がある。曙光の英雄にいた頃、宿に戻っても誰も俺の帰りなんて気にしなかった。言いかけて、飲み込んで、そのうち言葉自体を忘れていた。

 今は、違う。

「ただいま」

 その瞬間、町が爆発した。

 歓声、拍手、泣き声。子供たちが飛びついてくる。フィーナが顔を覆い、ミレーヌが泣き笑いの顔で何度も頷き、酒場の主人が「今夜は全部おごりだ!」と叫んで、それでまたみんなが笑う。誰かが投げたのを始まりに、白い花びらが次々と夕日の中へ舞い上がった。

 隣でリリスが笑っている。シャルロットが目元を拭い、セラフィナの翼が夕日を受けて金色に光る。メルティは俺の袖を掴んで、ぴょんぴょん跳ねていた。

 帰ってきた。ここに。

    ◇

 夜の酒場は、入りきらない人で溢れた。店の外まで樽とテーブルが並び、町中が宴会場になる。料理の匂いと、笑い声と、誰かの下手な歌。

 俺は騒ぎの真ん中で、ようやく椅子に座れた。

 体が、重い。魂の消耗はまだ戻らず、歩くだけで息が切れる。それを悟られないように笑っていると、オルガが隣に腰を下ろした。

 杯を片手に、じっと俺を見る。いや、俺のもっと奥を見ている。

「……お前さん。魂の色が、変わったね」

 手が、止まった。

「変わった?」

「ああ。前は、綺麗な蒼一色だった。始まりの死霊術師と同じ色。それが今は——」

 オルガが、目を細めた。驚いているような、見惚れているような顔で。

「……六色だ」


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