第74話「第二天王・絶望」
暗闘に呑まれた。
足を踏み入れた瞬間だった。「離れるな」と叫んだ声は、自分の耳にも届かなかった。音が消えた。光が消えた。隣にいたはずの仲間の気配が消えた。
一人だ。
暗闘の中に、一人で立っている。
魂視を展開した。何も映らない。六人分の魂の光が、全て消えている。精神攻撃だ。魂視すら惑わすほどの。
◇
目の前に、リリスが倒れていた。
銀髪が床に広がっている。体が灰になりかけている。指先から崩れていく。
「ぬし……助けて……」
声が弱い。800年を生きた真祖が、俺の名を呼びながら消えていく。
隣にシャルロットがいた。体を黒い鎧が覆い直している。呪いが戻っている。悲鳴を上げている。
「痛い……レイド……戻ってきた……呪いが……」
セラフィナの翼が、天から降りてきた光の鎖に縛られていた。天界の審判。翼が付け根から引きちぎられようとしている。
メルティの体が透明になっていく。実体化が解けている。半透明になり、さらに薄くなり、輪郭が揺らいでいる。
「ししょう……メルティ、消えちゃう……」
四人が目の前で壊れていく。
「嘘だ」
叫んだ。
「嘘だ。これは幻だ。お前たちはこんなに弱くない」
わかっている。頭ではわかっている。これは第二天王の精神攻撃だ。最も恐れるものを見せている。
だが心が揺れる。
守れなかった。守ると言ったのに。全員を守ると約束したのに。
それが、俺の最大の恐怖だ。
◇
同じ暗闇の中で、五人がそれぞれの恐怖と向き合っていた。
リリスは暗闇にいた。封印の暗闇だ。冷たい石の壁。何も見えない。何も聞こえない。800年の繰り返し。「また一人……また800年……」
シャルロットは見捨てられていた。幻のレイドが言う。「お前の呪い、やっぱり治せない。悪いが、もう無理だ」。背中が遠ざかる。置いていかれる。
セラフィナは翼を失っていた。「翼のないお前に、何の価値がある」。幻のレイドの声。冷たい声。
メルティの目の前に、ゼルクがいた。でもゼルクの顔がレイドの顔に変わる。「メルティ、お前はもう用済みだ」。あの日の刃が、またメルティの背中に向けられる。
ゼノンは嘲笑の渦にいた。「Bランクの勇者なんて勇者じゃない」「お前なんかいなくてよかった」。声が四方八方から降ってくる。誰も味方がいない世界。
六人が、暗闇の中でバラバラに壊れかけていた。
◇
リリスの灰が崩れる。シャルロットの悲鳴が響く。セラフィナの翼が千切れる。メルティが消えていく。
幻だとわかっている。わかっているのに止められない。恐怖は理屈では消えない。
膝をつきかけた。
その時。
暗闇の奥から、声が聞こえた。
幻のリリスの声ではない。もっと遠くから。かすかに。
「——レイドッ!」
本物のリリスの声だ。幻のリリスは「助けて」と言った。本物のリリスは「助けて」なんて言わない。「レイドッ」と怒鳴る。
気づいた。
この幻は嘘だ。何もかもが嘘だ。
本物のリリスは、こんなに簡単に死なない。
本物のシャルロットは、呪いが戻っても悲鳴は上げない。歯を食いしばる。
本物のセラフィナは、翼がなくても戦える。翼で自分を測らない。
本物のメルティは、もう消えない。実体化した体は、俺が全魂力をかけて作った。
そしてゼノンは——笑われても折れない。今の彼は、笑われることを選んでここに来たのだから。
立ち上がった。
魂魄支配を全力展開した。暗闇の中で蒼白い光が爆発する。
「魂の共鳴」。仲間の魂に、直接語りかける。
「聞こえるか」
声を放った。暗闇を貫いて。幻を突き抜けて。
「お前たちは一人じゃない。俺がここにいる」
◇
リリスの暗闇に、蒼い光が差し込んだ。
「レイドの声じゃ……!」
目を開けた。暗闇が嘘だと気づいた。800年は終わった。もうあの暗闇には戻らない。
シャルロットの涙が止まった。
「嘘よ、こんなの。レイドは見捨てない。一度も見捨てなかった」
セラフィナが立ち上がった。
「幻覚です。私の恐怖を利用しているだけ。翼がなくても、私は私です」
メルティが首を振った。強く。
「ししょうは裏切らない。絶対。メルティ、知ってます。魂に触ったから」
ゼノンが拳を握った。
「笑われたって構わない。俺は自分で選んでここにいる」
六人の魂が共鳴した。暗闇の中に、六つの光が灯った。蒼白い光が繋がり、空間を貫いた。
暗闇が裂けた。
◇
光が戻った。
六人が同じ空間に立っていた。目の前に、黒い霧の塊が浮いている。第二天王「絶望」の本体。実体を持たない精神体。恐怖を操る力だけの存在。
「メルティ」
「わかってます」
メルティが両手を掲げた。幻影魔法の応用。絶望が放った精神攻撃の波動を捉え、向きを反転させる。
「絶望さんの恐怖を、そっくりお返しします」
波動が絶望自身に叩きつけられた。
黒い霧が震えた。悲鳴が上がった。
「我が……恐怖する……? 我が……絶望する……?」
自分自身の恐怖に蝕まれていく。自分が消えることへの恐怖。自分が意味のない存在だという恐怖。
俺が「魂の解放」を放った。絶望の核が光に包まれ、浄化された。
黒い霧が消えた。
第二天王、撃破。
◇
戦いが終わった後、リリスが俺の腕を掴んだ。
強く。離さない。無言で。
「……もう少しだけ。もう少しだけ、こうさせろ」
声が小さかった。女王の威厳はなかった。ただ、怖かった者の声。800年の暗闇を、また見せられた者の声。
「ああ。好きなだけ」
しばらく、そのままでいた。リリスの手が温かかった。
残り五時間。
「次は憎悪か」
第三の空間への道が開いている。
「ゼノン。一番気をつけろ」
ゼノンの顔が強張った。自分の中にまだ残っている嫉妬と後悔。憎悪の天王は、それを増幅する。
「……わかってる」
六人が歩き出した。
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