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第73話「ゼノンの帰還」

 ゼノンは死にかけていた。

 瘴気に蝕まれた体が傾いている。肩で息をしている。外套はぼろぼろ。髪が乱れている。瘴気の毒で肌が青白く変色している。

 魂の防護もなく、冥府の瘴気の中を歩いてきた。普通の人間なら三分で意識を失う濃度だ。それを、気力だけで突っ切ってきた。

 俺は反射的に魂の防護をゼノンに施した。考える前に手が動いた。蒼白い光がゼノンの体を包み、瘴気を弾く。ゼノンの呼吸が楽になった。

「レイド……間に合った……」

 膝が折れた。石の地面に両膝をつく。手はない。武器もない。聖剣はとっくに砕けている。

 空の手で、地面に手をついている。

「なぜここに」

「…………」

 ゼノンが顔を上げた。目が赤い。泣いていたのか、瘴気にやられたのか、わからない。

「俺は最低だった」

 声がかすれていた。

「お前を追放して。教会に利用されて。お前が世界を救おうとしてるのに、俺は邪魔ばかりしていた」

 言葉が途切れた。続きを探している。

「審問の後、一人で考えていた。ずっと。俺は何のために勇者になったのか。何のために剣を振るっていたのか」

 答えを言った。

「人を守るためだ。なのに俺は、守るべき仲間を自分から捨てた」

 目から涙が落ちた。

「お前が怖かったんだ。俺より価値のある人間が、裏方にいることが。認めたくなかった。俺が勇者でいられなくなるから」

 70話目にして初めて、ゼノンが本当のことを言った。

「今更許してくれなんて言わない。でも戦わせてくれ。俺の剣は弱い。Bランクの力しかない。聖剣はもうない。でも——本物の力で、本物の戦いがしたい」

 空の手を差し出した。握る剣もない手を。

    ◇

 黙っていた。

 七年間のことが頭をよぎった。後ろでブツブツ言ってただけの男。不要だと言われた夜。酒場のカウンター。安い麦酒。一人で扉を出た背中。

 恨んだ時期があった。短かったが、確かにあった。

 今は恨んでいない。もうとっくに。

 手を差し出した。

「来い。手は一本でも多い方がいい」

 ゼノンの顔が歪んだ。泣いている。恥も外聞もなく。

「ただし」

 ゼノンの手を掴んだ。引き起こした。

「これは元の関係に戻るってことじゃない。お前はお前の道を行け。今回だけ、道が同じ方向を向いてるだけだ」

「……ああ。それで十分だ」

 ゼノンの手が、俺の手を握り返した。七年前の追放の日以来、初めて対等に繋いだ手だった。

    ◇

「あ、追放した人だ」

 メルティがストレートに言った。

「ししょうにちゃんと謝った?」

「……はい。謝りました」

 ゼノンがメルティに頭を下げた。元Sランクの勇者が、半透明だった少女に頭を下げている。もう半透明ではないが。

「許してもらえたかは……わからない」

「許す許さないの話じゃない」

 俺が遮った。

「前を向け。時間がない」

 リリスが腕を組んだまま、ゼノンを一瞥した。

「根性はあるようじゃの。瘴気の中を素手で来るとは」

「……ありがとう、ございます」

「礼はレイドに言え。わらわはまだお前を信用しておらぬ」

 シャルロットが剣の柄に手をかけたまま言った。

「足手まといにならないでよね」

「……はい」

 セラフィナが静かに言った。

「人は変われます。それを信じるのがレイドです」

    ◇

 ゼノンに魂の強化をかけた。

 七年間やり続けてきたことだ。だが今回は、全てが違う。

 以前は黙ってやっていた。ゼノンに気づかれないように、微弱な出力で。気づかれたら「余計なことをするな」と言われるから。

 今は違う。

「魂の強化をかける。体が軽くなるはずだ」

「……頼む」

 全力でかけた。Bランクの力がAランク相当に跳ね上がる。ゼノンの目が見開かれた。

「これが……」

 拳を開いて閉じた。体の動きを確かめている。

「全然違う。体が軽い。力が湧いてくる。こんな感覚……」

「七年間、ずっとこれをかけてた。お前が気づかないように弱くして」

 ゼノンの手が止まった。

「弱くしても、聖剣の出力がSランクに届いてたのは、この強化のおかげだ」

 ゼノンが俺を見た。しばらく何も言わなかった。それから、低い声で言った。

「……俺は、とんでもない奴を追い出したんだな」

「今さら言うな。行くぞ」

 ゼノンの魂を見た。灰色が薄くなっている。中心の金色が、少しだけ明るくなっていた。覚悟を決めた者の色だ。まだ「美しい」とは言えない。でも腐ってはいない。

 六人で歩き出した。

 五人のパーティに一人が加わった形だ。陣形は変わらない。ゼノンはシャルロットの横に並んだ。前衛二枚。剣士が二人。呼吸は合わない。合うはずがない。初めて並んで戦うのだから。

 でも、それでいい。

 完璧である必要はない。前に進めればいい。

「行くぞ。全員で帰る」

 第二天王「絶望」の空間に向かって、六人が走り出した。

 残り七時間。


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