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第72話「第一天王・飢餓」

 飢餓が口を開いた。

 咆哮ではなかった。吸引だった。

 巨大な骸骨の口から、目に見えない力が放射された。魂を引きずり込む波。五人の体から、蒼白い光が吸い出されかけた。魂の防護が軋む。

「下がれ!」

 全員が後退した。飢餓から二十メートル離れると、吸引力は弱まった。だが完全には消えない。この空間にいる限り、じわじわと魂が削られていく。

 リリスが試しに血の茨を飛ばした。紅い茨が飢餓に迫る。骸骨の体に触れる直前、茨に込められた魔力が吸い上げられ、干からびた枝のように萎れて落ちた。

「遠距離攻撃も吸われる。厄介じゃの」

 メルティが氷弾を放った。同じ結果。飢餓の体の手前で、魔力が空になって砕けた。

「近づくほど吸収率が上がります。このまま力押しでは全員の魂が削られるだけです」

 セラフィナが翼を畳んだ。暁の光でさえ、近づけば吸収される。

「どうする、レイド」

 魂視を飛餓に向けた。構造を読む。

 全方位に吸収力を放射しているように見えるが、違う。胸の位置に核がある。光の塊だ。吸収した魂を蓄積する器官。吸引力はこの核から放射されている。核を壊せば吸引は止まる。

 問題は核までの道だ。接近するほど吸収力が強くなる。普通の魔力では近づけない。

 シャルロットを見た。

「シャルロット。お前しかいない」

「私?」

「呪浄の鎧を展開しろ。お前の呪力は『負の魂力』だ。飢餓が吸おうとしても、毒になって吐き出す。お前だけが接近できる」

 シャルロットの目が光った。理解が速い。

「核を斬ればいい?」

「ああ。一撃で」

    ◇

 作戦は単純だった。四人で飢餓を拘束し、シャルロットが核を斬る。

 リリスが紅蓮の薔薇園を展開した。血の薔薇が四方から飢餓を囲む。吸収されても次から次へと咲く。魔力を無尽蔵に持つ真祖だからこそできる消耗戦。飢餓の意識が薔薇に向く。

 メルティが足元に空間魔法を仕掛けた。飢餓の骸骨の足が、空間の歪みに固定された。動けない。

 セラフィナが上空から暁の光を浴びせた。聖闘融合の光が飢餓の吸収能力を一時的に鈍らせる。光と闇が混ざった属性は、飢餓の吸引と相性が悪い。吸おうとしても分解できない。

 吸収領域が薄まった瞬間。

「行け、シャルロット!」

 シャルロットが地を蹴った。

 呪浄の鎧が全身を覆う。深紫の光が体表を包み、飢餓の吸引を弾いていく。近づくほど吸引力が増す。鎧の表面で魂のエネルギーと呪力がぶつかり合い、紫の火花が散る。

 五メートル。飢餓の吸引が急激に強くなった。鎧の端が剥がされかけた。呪力を追加で練り上げて補修する。足が重い。一歩ごとに、魂を引きずられる感覚がある。

 三メートル。鎧の消耗が激しい。このまま持つのか。持たなかったら、魂ごと吸われて終わりだ。

 背中にレイドの魂の強化が流れ込んできた。温かい。消耗した鎧が少しだけ回復する。あと少し。

 飢餓がシャルロットの呪力を吸おうとした。

 吐いた。

 文字通り、吐き出した。呪力を吸い込んだ飢餓の口が歪み、紫黒の液体を吐き散らした。呪力は飢餓にとって毒だ。吸えば吸うほど自分が腐る。

「効いてる……!」

 メルティの声。

 シャルロットが飢餓の胸の前に到達した。骸骨の肋骨の隙間から、核が光っている。拳大の光の塊。何百もの吸収された魂が圧縮されて詰まっている。

 剣を構えた。呪浄の光が刃に集中する。

 一言だけ叫んだ。

「斬る」

 一閃。

 呪浄の剣が核を貫いた。核が割れた。中から魂が噴き出す。何百もの光の粒が、骸骨の体を突き破って飛び散った。

 飢餓の巨体が崩壊した。骨が塵になり、紫黒の光が消えていく。十メートルの骸骨が、数秒で消滅した。

 俺が「魂の解放」を展開した。飛び散った魂を一つ一つ拾い上げ、冥府の循環に還す。光の粒が天に昇っていく。

 静寂が戻った。

 第一天王、撃破。

    ◇

 シャルロットが着地した。呪浄の鎧を解除して、こちらを振り返った。

 息が上がっている。額に汗。でも目が輝いている。

「どうだった」

「最高の一撃だった」

 そう言うと、シャルロットは一瞬口を開きかけた。何か照れ隠しを言いそうな顔。でもやめた。代わりに、ふっと笑った。

「……ありがと」

 短い一言。それだけ。以前なら言えなかった一言。

「シャルちゃんかっこよかったー!」

 メルティが飛びついてきた。実体化した体で、全力で。シャルロットが「重い! 実体化したら本当に重い!」と叫んでいる。

 残り時間、約八時間。

    ◇

 第二の空間への道が開いた。

 足を踏み出そうとした時、魂視が反応した。

 冥府の門の方角。五人とは別の魂が、近づいてきている。

 覚えのある色だった。灰色。くすんだ灰色。でもその中心に、消えかけた金色の光がある。前よりもさらに弱い。でも確かに光っている。

 足が止まった。

「どうした、レイド」

 リリスが声をかけた。

「……追いかけてきた奴がいる」

 冥渦の瘴気の中を、一人で歩いてくる影が見えた。ボロボロの外套。腰には剣がない。素手だ。聖剣は審問の日に砕けている。

 だが歩いている。紫黒の瘴気の中を、魂の防護もなく、武器もなく。ただ歩いている。

 ゼノン・ブレイドが、冥府に来ていた。


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