第65話「7日間の猶予」
王城の作戦会議室。長い石のテーブルを囲んで、十数名が座っている。
国王アルベルト三世。ギルド総長ヴェルナー。王国軍の将軍二名。王都防衛隊の隊長。そして——俺と四人のヒロイン。
窓の外は紫黒の空だ。渦が王都全体を覆っている。脈動は遅くなっているが、止まってはいない。搾取装置を壊したことで加速は緩んだが、自律循環は続いている。
「状況を説明します」
俺が立ち上がった。石のテーブルの上に、魂視で見た冥渦の構造をメルティの幻影魔法で投影した。紫黒の渦の立体模型が宙に浮かぶ。
「冥渦は自律循環に入りました。搾取装置を破壊しても止まりません。七日以内に、冥府の最深部——『忘却の底』と呼ばれる場所の封印が崩壊します」
「封印の向こうに何がいる」
ヴェルナーが腕を組んだまま聞いた。
「冥王。数千年前、始まりの死霊術師が命を賭けて封印した存在。全ての魂を喰らう者です」
会議室が沈黙した。将軍たちの顔から血の気が引いている。
「冥王に対抗できるのは死霊術師だけです。冥渦は魂の現象だ。魂を操れない者には対処のしようがない」
国王が沈痛な表情で俺を見た。
「……全てを、お前に任せることになるのか」
「俺一人じゃない。仲間がいます」
四人を見た。リリス。シャルロット。セラフィナ。メルティ。全員が頷いた。
◇
会議の後、カロンとの通信で詳細を詰めた。
王城の一室で、魂の周波数を合わせる。カロンの声が脳裏に響く。通信品質は冥渦のおかげで逆に良くなっている。冥府と地上の距離が縮まっているのだ。
「封印の補強には、始まりの死霊術師と同等の力が必要だ。お前の現在の力では足りない」
「七日で力を上げる。方法はあるか」
「ある。お前の仲間——四人の力を完全に解放すれば、その共鳴でお前の魂力も飛躍的に上がる」
「完全に解放?」
「リリスの真祖の力。セラフィナの残りの封印。メルティの実体の完全回復。シャルロットの呪力の極限制御。——四人全員が覚醒すれば、五人の共鳴が臨界を超える。始まりの死霊術師に匹敵する力に届くはずだ」
「やる。七日間で全員を覚醒させ、冥府に降りる」
◇
七日間の計画を立てた。
一日目と二日目——王都の冥渦を安定化させる。俺の広域魂鎮で渦の拡大を遅らせ、時間を稼ぐ。
三日目から五日目——全ヒロインの覚醒訓練。最終決戦に向けた力の解放。
六日目——冥府への降下。
七日目——封印の補強。もしくは——冥王との決戦。
国王が王国の全戦力を俺の指揮下に置いた。「死霊術師」が王国軍の総司令官を務める——千年の歴史で初めてのことだ。冒険者ギルドも全面協力。各地のAランク以上のパーティが続々と王都に集結している。地上の防衛は彼らが担当する。俺たちは覚醒と冥府降下に集中できる。
その日の午後——テルミナから、一人の老婆が到着した。
馬車を降りたオルガが、王都の紫黒の空を見上げた。杖を突いて、ゆっくりと城門をくぐった。
「言ったろう。世界を救ってこいって」
俺の顔を見て、皺だらけの顔をくしゃりと笑わせた。
「——見届けに来たんだよ」
◇
夜。王城の屋上。
紫黒の空の下、星は見えない。渦が全てを覆っている。だが——五人の間には温かい空気が流れていた。
石の手すりに並んで座っている。足をぶらぶらさせているのはメルティだ。リリスが隣で優雅に夜風を受けている。シャルロットが膝を抱えている。セラフィナが翼を僅かに広げて、夜の空気を感じている。湿った石と、遠くの煙突から漂う薪の匂い。夜の王都の匂いだ。
「ししょう」
メルティが俺の袖を掴んだ。いつもの癖だ。だが今夜は——声が少し小さい。
「メルティ、怖くないですよ。だってししょうと一緒だもの」
「……本当に怖くないのか?」
「……ちょっとだけ怖いです。でも、ししょうの袖を掴んでれば大丈夫。300年間一人でいた時の方が、ずっと怖かったですから」
シャルロットが顔を上げた。膝を抱えたまま。
「怖くないと言えば嘘になる。冥府に降りるなんて……正直、想像もつかない」
言葉を切った。
「でも——アンタについていくって決めたから。呪いが解けても離れないって言ったでしょ。それは冥府でも同じ」
セラフィナが空を見上げた。紫黒の渦を見つめている。
「天から堕ちて、地の底まで行く。……随分遠くまで来ました」
微笑んだ。
「あなたとなら、どこまでも」
リリスが隣で腕を組んだ。
「800年待った甲斐があった。ぬしの隣で、世界を救えるとは。これほどの誉れはないのじゃ」
紅い瞳が俺を見た。月は見えないが、リリスの瞳に——光があった。
「800年前、ルシアが最後に言ったのじゃ。『いつか、あなたを救ってくれる人が現れる。その人の隣にいなさい』と。……ぬしが、その人だった」
ルシアの名前が出た。800年前にリリスの魂を守り、命を落とした死霊術師。俺にその技術を継承した存在。
「ルシアの遺志を、俺が引き継ぐ。——冥王も、止めてみせる」
「……ありがとう。みんな」
五人で並んで座っていた。紫黒の空の下。星のない夜。世界が壊れかけている。
だが——この五人の間だけは、温かかった。
誰も動かなかった。しばらくの間。言葉もなく、ただ並んで座って、同じ空を見上げていた。
この温もりを、守り抜く。何があっても。
◇
翌朝。オルガがレイドを個別に呼び出した。
王城の小部屋。二人きり。オルガが茶を淹れた。テルミナから持ってきた茶葉だ。その匂いだけで——テルミナの朝が蘇る。
「レイド。……話しておかなければならないことがある」
オルガの声が、いつもと違った。軽口も皮肉もない。ただ——真剣な、静かな声。
「テルミナに来た時のことを覚えているかい。あたしがお前さんに言った言葉」
「……『随分と綺麗な魂の色してるねぇ』」
「そう。覚えていたか」
あの時は気にならなかった。オルガが魔力感知に長けた元冒険者だからだと思っていた。だが——魂の色が見えるのは、死霊術師の特性だ。なぜオルガに見えたのか。
「レイド。実はね……」
オルガが茶碗を置いた。皺だらけの手が僅かに震えている。
「私は——『始まりの死霊術師』の末裔なんだよ」
時間が止まった。
「……え?」
「古代の血筋。死霊術は使えないが、魂を感じる力だけは受け継いでいる。だからお前さんの魂の色がわかった」
オルガが俺の目を見た。皺の奥の——若い頃のままの、強い目。
「テルミナに来た時、すぐにわかったよ。この子は『本物』だってね。何千人もの冒険者を見てきたが、あの色の魂は初めてだった。始まりの死霊術師と——同じ色だった」
声が出なかった。
「そして——始まりの死霊術師が残した『最終手段』の在りかを、あたしは知っている」
オルガの目が鋭くなった。冗談の色は一切ない。
「王都の地下深く——大聖堂よりもさらに深い場所に、始まりの死霊術師が残した遺産がある。あの人が冥王を封印した時に使った、最後の切り札だ」
「最後の切り札……」
「お前さんにしか使えないものだよ。始まりの死霊術師と同じ魂の色を持つ者——それがお前さんだ」
オルガの目が潤んでいた。
「50年前、あたしのパーティの仲間が王都に行った時……あの子も死霊術師だった。だが——魂の色が違った。始まりの死霊術師には届かなかった。だから——帰ってこなかった」
オルガが俯いた。杖を握る手が白くなっている。
「お前さんは違う。お前さんなら——帰ってこられる。いや、帰ってきてもらわないと困るんだよ。あたしはまだ——お前さんにテルミナの看板メニューの全種類を食べさせてないんだから」
無理に笑った。涙を堪えている顔だった。
オルガが立ち上がった。杖をつき、ドアに向かった。
「見に行こう。——時間は、あまりない」
テルミナの茶葉の匂いが、小部屋に残っていた。
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