第64話「大司教ヴァルキスとの決着」
「死霊術を禁じたのは千年前の教皇だ」
ヴァルキスの声が、地下聖堂に響いた。穏やかな声だった。講壇で教えを説く聖職者の声。
「その教義を守ることが教会の存在意義。死霊術師が世界を救う? ——そんなことは、許されない」
「そのために冥渦を引き起こしたのか」
「冥渦を教会の力で鎮める。それで教会の正当性は証明される。世界は再び教会に跪く。——これは犠牲ではない。神の名の下に行う浄化だ」
「800年前もそう言って、わらわを封印したのう」
リリスの声が低かった。紅い瞳に、800年分の怒りが凝縮されている。
「教会は何も変わっておらぬ。千年経っても、同じ嘘を繰り返しておる」
「変わる必要がない。教会は永遠だ」
ヴァルキスが片手を上げた。
紫黒のエネルギーが弾丸のように放たれた。壁が砕けた。破片が四方に散る。SS級に匹敵する魔力。搾取した数千の魂のエネルギーが、この老人の体に凝縮されている。
「来い、死霊術師。教会の力を見せてやろう」
◇
四人が同時に動いた。
リリスの血の結界がヴァルキスの第二撃を受け止めた。紅い光と紫黒の光が激突し、空間が震える。
シャルロットが右から切り込んだ。呪力の剣がヴァルキスに迫る——。
刃が止まった。
ヴァルキスの体の周囲に、蒼白い光の膜が展開されていた。その中に——顔が見えた。何十もの顔。苦悶の表情。死者の魂だ。
魂の盾。搾取した死者の魂を体の周囲に展開し、全ての攻撃を魂に受けさせる。攻撃を通せば——無辜の魂を傷つけることになる。
シャルロットの剣が止まった。
「……盾にしているのか。死者の魂を」
「手を出せまい。これが教会の力だ。死者の魂は教会の所有物だ」
メルティの声が震えた。怒りで。
「所有物……? 魂が……所有物……?」
「最低の冒涜です」
セラフィナの紫の瞳に、初めて——純粋な怒りが宿っていた。
「死者への敬意のかけらもない」
「私にかけた呪いの大元もこいつ」
シャルロットが歯を食いしばった。呪力の黒い光が体全体から溢れている。
「——絶対に、許さない」
だが攻撃できない。攻撃すれば、盾にされた魂が壊れる。ヴァルキスはそれを知っている。だから笑っている。穏やかな、聖職者の笑みで。
◇
「俺がやる」
前に出た。
「魂の解放の精密制御。ヴァルキスの体に取り込まれた魂を——一つずつ、傷つけないように解放する」
「一つずつ? 数千も?」
リリスの声に驚きが混じっていた。
「数千だろうが——やる。俺にしかできない」
魂魄支配を全力で展開した。「魂の解放」を極限まで精密に制御する。ヴァルキスの魂の鎧に触れた。
一つ目の魂に手を伸ばした。鎖を見つける。結び目を解く。丁寧に。急げば魂が裂ける。
——解けた。一つの魂が光になって飛び出した。蒼白い光が天井に昇っていく。老婆の魂だった。安堵の顔が、一瞬だけ見えた。
二つ目。三つ目。四つ目——。
一つ解放するたびに、集中力が削られる。魂力が減る。指先が痺れ始めた。十個目で鼻から血が出た。
「レイドッ! 無理をするな!」
リリスの声だ。
「無理しないと、この人たちの魂が壊される。……一人残らず、解放する」
ヴァルキスが動いた。精密な作業を妨害するために、エネルギー弾を連射してくる。
「させるか!」
シャルロットが前に出た。呪力の鎖がヴァルキスの四肢に巻きつく。動きを制限する。ヴァルキスが力ずくで鎖を引きちぎる。だがその一瞬で——俺は三つの魂を解放した。
メルティが魔法障壁を俺の周囲に展開した。エネルギー弾が障壁に当たって弾ける。同時に牽制の氷弾をヴァルキスに浴びせる。直接の攻撃は魂の盾に阻まれるが、注意を引くことはできる。
セラフィナが翼を広げた。聖属性の光が俺に注がれた。魂の解放を補助する光だ。天界の技術。光の道筋が見える。次に解放すべき魂の位置が——照らし出される。
「ありがとうセラフィナ。見える」
「はい。残り——まだ多いです」
リリスが不死再生の力を注いでくれた。体のダメージが即座に回復する。鼻血が止まった。痺れが引いた。だが魂力の消耗は止められない。
五十個。百個。二百——。
世界が揺れている。俺の視界が揺れているのか、地面が揺れているのか。どちらでもいい。手を止めるな。
ヴァルキスが叫んだ。
「小賢しい……! 教会を、神を愚弄するか!」
全力の一撃。紫黒のエネルギーが柱のように放たれた。リリスの結界が軋む。シャルロットが呪力の防壁で重ね掛けする。メルティの障壁が三重に展開される。
三人がかりで——防いだ。
「レイド、続けて!」
シャルロットの声だ。背中から。
「あんたは手を止めるな! 私たちが守る!」
——守られている。俺は今、守られている。
手を伸ばし続けた。三百。四百。五百——。
◇
最後の魂に手をかけた時——体が動かなくなりかけた。
魂力が底をつきかけている。視界が暗い。指先の感覚がない。だが——最後の一つだけ。
鎖に触れた。解いた。
最後の魂が——光になった。
ヴァルキスの体から、数千の魂が一斉に飛び出した。蒼白い光の奔流が天井を突き抜けていく。地下聖堂全体が白い光に包まれた。男。女。老人。子供。何百年分もの死者たちが、一斉に空へ還っていく。
「ありがとう」「やっと自由に」「あなたに感謝を」
囁きが聞こえた。何千もの声が。涙ではなく——安堵の声が。
メルティが泣いていた。半透明の頬を涙が伝っている。
「よかった……みんな、自由になれた……」
魂を失ったヴァルキスの体が——変貌した。
若さが消えた。肌が皺だらけになり、髪が真っ白に枯れ、背が縮んだ。四十代に見えた精悍な男が——七十年分の時間に押しつぶされて、ただの老人になった。膝をつき、震える手を見つめている。
「馬鹿な……わしの力が……教会の威光が……!」
「教会の威光は、死者の魂を搾取した偽りの力だった」
俺はヴァルキスを見下ろした。立っているのがやっとだ。だが——声は出る。
「千年間、死者を食い物にしてきた。——それが真実だ」
ヴァルキスが崩れ落ちた。教会の最高権力者が——千年の欺瞞の象徴が——ただの老人として、冷たい石の床に伏した。
◇
装置の中核——巨大な水晶球に手を触れた。
魂力はほとんど残っていない。だが——やらなければ。
「魂の解放」を全力で発動した。
水晶球の中に残された全ての魂を解放する。数千の魂が光となって噴き出した。聖堂全体が——白い光に包まれた。温かい光だ。苦悶ではなく解放の光。
魂たちが囁きながら天井を突き抜けていく。
水晶球に罅が入った。鎖が断裂した。パイプが破裂し、教会全体の「聖なる」エネルギー源が消滅した。
水晶球が——粉々に砕けた。破片が光になって散っていく。千年分の装置が、消えた。
教会の闇の根源が——終わった。
◇
終わった——そう思った。
だが。
魂視が——叫んだ。
崩れかけた天井の向こうに、王都の空が見えた。紫黒の渦が——止まっていない。
むしろ——加速していた。
「……なぜだ。装置は壊した。なのに冥渦が——」
カロンの声が、脳裏に響いた。悲痛な声だった。
「レイドよ……手遅れだった」
「手遅れ?」
「搾取装置が長年にわたって放出したエネルギーが臨界点を超えた。冥渦は——自律循環を開始した。もう装置がなくても冥渦は止まらない」
血の気が引いた。
「このまま行けば——七日以内に、冥府の最深部の封印が完全に崩壊する」
「封印の先にいるのは……」
カロンの声が震えた。数千年を冥府で過ごした管理者が——恐怖で声を震わせている。
「数千年前、始まりの死霊術師が命を賭けて封印した存在。——冥王。全ての魂を喰らう者だ」
空の紫黒の渦が、さらに大きく広がっていく。脈動が速くなっている。心臓の鼓動のように。
七日。
世界に残された時間は——七日だった。
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