第58話「ミレーヌの選択」
出発の二日前。朝のギルドで依頼の整理をしていた時、フィーナが声をかけてきた。
「レイドさん。受付にお客さんです。ミレーヌさんという方が」
手が止まった。
ミレーヌ。王都の審問で証言した後、一人でどこかへ去った風の魔法使い。先日の手紙は王都の南にある町からだった。あの手紙の後——ここに来たのか。
「通してくれ」
ギルドの談話室。扉が開いて、ミレーヌが入ってきた。
前に見た時より——少しだけ、顔色が良くなっていた。王都の審問で泣きながら証言していた時の蒼白さが薄れている。栗色の髪は整えられていて、旅の汚れはあるが、身だしなみに気を遣った跡がある。目的を持ってここに来た人間の顔だった。
「レイドさん。お久しぶりです」
「ああ。手紙を読んだ。——よくここまで来たな」
「手紙を書いた後、考えました。書いただけでは何も変わらないって」
ミレーヌが椅子に座った。姿勢が良い。背筋を伸ばして、まっすぐ俺を見ている。審問の時の震える声とは、違う声で話し始めた。
◇
「レイドさん。私——ゼノンのパーティを正式に脱退しました」
「……そうか」
「ギルドに書類を出しました。パーティ【曙光の英雄】は事実上崩壊していましたが、正式な手続きは誰もしていませんでした。私が最初にしました」
淡々とした声だった。だがその淡々さの奥に、決意が見えた。過去を清算する覚悟。
「そして——お願いがあります」
ミレーヌが深く頭を下げた。
「テルミナに残って、あなたのために働かせてください」
「俺のパーティに入りたいのか?」
「いえ」
即答だった。
「パーティに入る資格は、私にはありません。追放を止められなかった人間が、今更そこに立つのは——虫が良すぎます」
声が震えかけた。だが持ちこたえた。
「でも、テルミナのギルドで情報収集や連絡係として働きたいんです。レイドさんが王都に行っても、テルミナとの橋渡しをする人間が必要でしょう。全国のギルドとの通信、依頼の調整、教会の動向の監視——元Sランクパーティの連絡係として、その仕事なら私にできます」
具体的な提案だった。感情に流されているのではなく、自分に何ができるかを考え抜いた上での申し出だ。
俺は少し考えた。
ミレーヌの言うことは正しい。王都に行っている間、テルミナとの連絡窓口は必要だ。フィーナは受付業務で手一杯だし、オルガは高齢で長時間の通信魔法は負担が大きい。元Sランクパーティの連絡係——ミレーヌの経験は確かに活きる。
「わかった。ただし、条件がある」
「何でもします」
「俺のために、じゃなく——お前自身のために働け」
ミレーヌの目が見開かれた。
「贖罪のつもりで来るなら断る。『レイドに申し訳ないから』でここにいるなら、それは自分の足で立ってないのと同じだ」
エリーゼに言ったことと同じだ。「自分の足で立て」。
ミレーヌの唇が震えた。数秒の沈黙。それから——目の色が変わった。
「……はい。自分のために。自分の意志で——ここにいます」
声が定まっていた。
「私は七年間、誰かの後ろに隠れて生きてきました。ゼノンの後ろ。パーティの後ろ。自分の意見を言わず、空気を読んで、波風立てないように。——もう、そうやって生きるのはやめます」
「なら歓迎する。テルミナのギルドにはオルガがいる。いい師匠になるだろ」
ミレーヌが深く頭を下げた。長い間、下げたまま動かなかった。
「ありがとうございます。……居場所をくれて」
「居場所を作るのはお前自身だ。俺はきっかけを出しただけだよ」
◇
オルガの部屋にミレーヌを連れて行った。
部屋はいつもの通り——茶葉の匂いと、古い書類の匂い。棚には50年分の冒険者の記録が並んでいる。オルガの人生がこの部屋に詰まっている。
オルガは初対面のミレーヌを上から下まで一瞥して、茶を出した。二杯。ミレーヌの分も、迷いなく。
「元Sランクパーティの風の踊り子か。うちのギルドには勿体ないくらいだ」
「もうSランクじゃありません。……でも、ここで最初からやり直したいんです」
「やり直しは何歳からでもできるよ。あたしなんか、60歳で引退してギルドマスターを始めた。人生の第二章をね」
オルガが笑った。ミレーヌも笑った。ぎこちない笑みだったが——本物の笑みだった。
「通信魔法は使えるかい」
「はい。パーティでは連絡全般を担当していました。各地のギルドとの通信、情報の精査、報告書の作成——」
「上出来だ。フィーナが事務で溺れかけてるから、ちょうどよかった。あの子、真面目なぶん仕事を抱え込むんだよ」
「明日から来な。まずはフィーナの仕事を手伝いながら、ギルドの流れを覚えてもらう」
「はい!」
ミレーヌの声に、初めて力がこもった。
オルガが俺にだけ聞こえる声で呟いた。「いい目をしてるよ、あの子。覚悟のある人間の目だ。——お前さんの周りには、そういう人間が集まるね」
◇
夕方。宿屋の食堂で、四人にミレーヌのことを伝えた。
「元パーティのメンバーがテルミナのギルドで働くことになった。パーティには入らない。連絡係としてだ」
反応はそれぞれだった。
リリスが腕を組んだ。
「ミレーヌとやらか。……まあ、悪い子ではなかろう。審問で証言した勇気は認める。レイドの元仲間を悪く言うつもりはないぞ」
シャルロットが少し複雑な顔をした。
「追放の時に止めてくれなかったのは……正直、許せない。レイドのために声を上げなかった人間だから」
言葉を切った。
「でも——審問で証言したのは認める。あの場に立つのは、勇気がいったはず」
セラフィナが穏やかに言った。
「彼女は自分の過ちと向き合おうとしています。それは勇気のいることです。天界では、過ちを認める者は軽蔑されました。だから誰も過ちを認めなかった。でもここでは——向き合った者に、もう一度の機会が与えられる。それが人間の世界の美しさです」
シャルロットがセラフィナを見た。何か思うところがあったのだろう。自分もまた、呪いという「過ち」——自分の過ちではないが——と向き合ってきた人間だ。
メルティが手を挙げた。
「ミレーヌさん、お料理できますか? リリスさんはダメなので!」
「メルティ……」
リリスが遠い目をした。
「ししょうとシャルちゃんだけじゃ朝ごはん作るの大変なんですよ! もう一人料理できる人がいれば——」
「料理要員として迎え入れるな」
少し笑った。食堂にも笑いが広がった。
——追放側の人間が全て敵なわけではない。過ちを犯しても、向き合う勇気があれば、やり直せる。この物語はそういう物語だ。単純な勧善懲悪では、終わらせない。
◇
夜。宿屋の前で、ミレーヌが待っていた。
ギルドの宿舎に部屋をもらったらしい。オルガの手配だ。手に小さな荷物を持っている。旅の間に持ち歩いていた全財産だろう。
「レイドさん。一つだけ伝えておくことがあります」
声が低くなった。周囲に人がいないことを確認している。
「王都の教会本部で、何か大きな動きがあるようです」
「動き?」
「審問の後、聖騎士団の残党から聞きました。連絡を取っている元同僚がいるんです」
ミレーヌの目が鋭くなった。元Sランクパーティの情報係としての顔だ。七年間、パーティの情報収集を担当していた経験が滲んでいる。
「大司教ヴァルキスが——『最終手段』を準備しているそうです」
最終手段。
「具体的な内容は不明です。ただ、聖騎士団の中でも一部にしか知らされていない機密事項らしく——関係者が『あれが発動されたら、テルミナどころか王都すら無事では済まない』と言っていたそうです」
背筋に冷たいものが走った。テルミナどころか王都すら——。大聖堂の地下の搾取装置と関係があるのか。それとも別の何かか。
「気をつけてください、レイドさん」
ミレーヌの声が震えた。だが——今度の震えは、怯えではなかった。
「もう——あなたを失うわけにはいかないので」
その言葉は、七年前には出てこなかった言葉だ。
「ああ。気をつける。——お前もな」
ミレーヌが微笑んだ。泣きそうな顔だったが——笑っていた。
「おやすみなさい、レイドさん」
「おやすみ」
ミレーヌの背中が、テルミナの夜道に消えていった。小さな荷物を大事そうに抱えて。新しい場所で、新しい人生を始める人間の背中だった。
空を見上げた。星が出ている。
ヴァルキスの最終手段。冥渦の進行。大聖堂の搾取装置。——全てが王都に集まっている。
明後日の出発が、重みを増した。
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