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第56話「テルミナの英雄」

 テルミナの中央広場に、朝から人が集まっていた。

 普段の朝市とは違う雰囲気だ。広場の正面に簡易的な壇が組まれ、テルミナの旗が掲げられている。花壇から摘んできた花で壇の周囲が飾られていた。子供たちが走り回っている。酒場の主人が樽を転がしながら「もっと右だ、右!」と叫んでいる。花屋の女主人がリボンを柱に巻いている。

 焼き菓子の甘い匂いが広場全体に漂っていた。パン屋が特別に朝から窯を二基動かしている。

「……何の騒ぎだ」

 宿屋の窓から広場を見下ろして、首を傾げた。

「知らなかったのか?」

 オルガが宿屋の階段を登ってきた。珍しく杖ではなく、正装の杖——儀式用の白い杖を持っている。

「テルミナ町議会が昨日、全会一致で決議した。お前さんを名誉市民に推薦するってね」

「名誉市民?」

「町が公式に認めた恩人の称号だ。テルミナ史上三人目。一人目は町の創設者、二人目は百年前に疫病を食い止めた薬師。——三人目が、お前さんだ」

 言葉が出なかった。

    ◇

 広場の壇上に立った。

 テルミナの住民がほぼ全員集まっていた。数百人の顔が、こちらを見上げている。ギルドの冒険者たち。商人たち。職人たち。酒場の常連たち。子供たち。

 壇の前に、小さな老人が立っていた。テルミナの町長だ。白い髭を蓄え、背は丸まっているが、目だけが若い。震える手で、一枚の証書を持っている。

「レイド・ノクターンさん」

 町長の声は小さかったが、静まり返った広場ではよく通った。

「あなたは三ヶ月前、何も持たずにこの町に来ました。死霊術師という、誰からも恐れられる肩書きだけを持って」

 三ヶ月前のことを思い出す。テルミナの門をくぐった日。誰にも見えなかった。ギルドのカウンターで「死霊術師?」と眉をひそめられた。安い宿の一番狭い部屋を借りた。

「それが今日——あなたはこの町の恩人です。蘇りモンスターから町を守り、子供たちを救い、教会の嘘を暴き、仲間たちと共にこの町を世界に誇れる場所にしてくださいました」

 町長が証書を差し出した。手が震えている。だが笑顔だった。

「どこに行っても——ここはあなたの故郷です。いつでも帰ってきてください」

 証書を受け取った。手が震えていることに気づいた——俺の手も。

「……ありがとうございます」

 声が詰まった。それ以上は言えなかった。

 広場から拍手が起きた。数百人の拍手が、テルミナの朝の空気を震わせた。子供たちが「おにいちゃーん!」と叫んでいる。花屋の女主人が泣いている。酒場の主人が樽の上に腰かけて、腕を組んだまま目を赤くしている。

 四人が壇の横に立っていた。

 メルティが泣いていた。両手で顔を覆って。「ししょうすごい……ししょうすごいよぅ……」

 リリスが優雅に拍手していた。銀髪が朝日に輝いている。紅い瞳に——誇りが浮かんでいた。

 シャルロットが「当然でしょ」と言いながら目を赤くしている。腕を組んでいるが、組んだ腕が震えている。

 セラフィナが穏やかに微笑んでいた。黒と白の翼が朝風を受けて僅かに揺れている。

    ◇

 拍手がまだ続いている中——空から、一羽の鳩が降りてきた。

 伝書鳩。ギルド本部の紋章入りの筒を脚につけている。フィーナが受け取り、筒を開け、中の書簡を読んだ。

 フィーナの目が——見開かれた。

「オ、オルガさん……! これ……!」

 オルガが書簡を受け取った。目を通した。それから——ゆっくりと顔を上げた。

 広場に向かって、書簡を掲げた。

「王国ギルド本部より正式通達」

 オルガの声が、広場に響いた。

「パーティ【月下の棺】を——本日付で、Sランクパーティに認定する」

 一瞬の沈黙。

 それから——広場が爆発した。

「Sランク!?」

「嘘だろ! Dランク登録からまだ三ヶ月だぞ!」

「史上最速じゃないか!」

「テルミナからSランクが出た! うちの町から!」

 歓声と拍手と口笛が入り混じって、広場全体が揺れた。子供たちが飛び跳ねている。冒険者たちが帽子を投げている。

 俺は壇上で立ったまま、広場を見渡した。

 三ヶ月前。追放された夜。酒場のカウンターで安い麦酒を飲んでいた。「死霊術師は不要だ」と言われて、一人で扉を出た。

 Dランク登録から——三ヶ月。

「……ランクは問題じゃない。やるべきことは変わらない」

 小声で呟いた。隣にいたオルガにだけ聞こえた。

 オルガが苦笑した。

「相変わらずだね。……でも、Sランクの肩書きは使えるよ。教会と戦うには権威も武器になる。大聖堂の地下に入るためにも——国の後ろ盾があった方がいい」

    ◇

 午後にはSランク認定の報が近隣の町にも伝わった。通信魔法でギルド間のネットワークに乗ったのだ。

 ヴェルナのギルドマスターから祝辞が届いた。「認定試験の時は失礼した。あんたは本物だ」

 カストルとリーデンからも。各地のギルドから正式な協力要請が続々と届き始めた。「蘇りモンスターの対応に来てほしい」「うちの町にも死霊術師は必要だ」

 「テルミナの死霊術師」は——全国区の名前になっていた。

 だが光があれば影もある。

 教会に従属する一部の町からは、逆の通達が出ている。「死霊術師を受け入れるな」「教会の指導に従え」。王都の審問で教会の権威は傷ついたが、崩壊はしていない。地方の信仰は根深い。

「教会が本気で動き始める」

 夕方。ギルドの奥でオルガと話していた。

「王都の審問はこちらが勝った。だが大聖堂の地下の搾取装置はまだ稼働している。装置を止めなければ、冥渦は止まらない。半年のタイムリミットは——残り四ヶ月を切っている」

「王都に、もう一度行く必要がある」

「ああ。今度は審問じゃない。直接——大聖堂の地下に入る」

 オルガが茶を一口飲んだ。

「気をつけなよ。バルドルは逮捕されたが、大司教ヴァルキスはまだ自由の身だ。あの男が何を考えているか——」

「わかってる。でも止まっていられない」

    ◇

 夜。テルミナの酒場で打ち上げ。

 町の人々が入れ替わり立ち替わりやってきて、祝いの言葉をかけてくれた。テーブルの上に料理が山積みになっている。煮込み肉のシチュー、焼きたてのパン、チーズの盛り合わせ、季節の果物。酒場の主人が「全部うちのおごりだ!」と叫んでいる。

 肉の焼ける匂いと、ワインの甘い香りと、焼きたてのパンの温かい匂いが混ざっている。テルミナの夜の匂いだ。三ヶ月間、毎晩嗅いできた匂い。この匂いがする場所が——俺の居場所だ。

「Sランクの真祖の吸血鬼じゃ! 敬えい!」

 リリスがワインの杯を掲げた。頬がほんのり赤い。800年の真祖でも酔うのか。

「リリスさん、飲みすぎですよー」

 メルティがジュースの杯で乾杯した。

「メルティはお酒飲めないの?」

「未成年なので!」

「315歳で未成年?」

「外見が15歳なので未成年です! ししょうが言いました!」

「俺はそんなこと言ってない」

「言いました! 『未成年は飲むな』って!」

「外見準拠の話はしてない」

 シャルロットが杯を持っていた。ワインではない。果実酒。度数の低いやつだ。

「シャルロット、飲むのか?」

「……18になったし。一口くらい」

 杯に口をつけた。一口。——顔が真っ赤になった。

「こ、これが酒……っ! 辛い……っ! なんでみんなこんなの飲めるの……!」

「それ、一番軽いやつだぞ」

「嘘でしょ……!」

 リリスが笑った。「初めての酒は甘い果実酒から始めるのが定番じゃの」

「これが甘い? どこが?」

 シャルロットの赤い顔が面白くて、少し笑った。シャルロットがこちらを見て「笑うな!」と杯を突き出した。中身がこぼれそうになってメルティが「あぶない!」と叫んだ。

 セラフィナが静かに水を飲んでいた。

「セラフィナは飲まないのか」

「天界の酒は光でできています。味はありません。地上の酒は……まだ慣れません」

「光でできた酒? それは酒なのか……?」

「酔う効果だけはあります」

「味のない酒で酔えるのか」

「はい。不思議ですよね」

 セラフィナが微かに笑った。このやり取りが面白いのだろう。天界の常識と地上の常識のずれを、楽しんでいるように見えた。

 笑い声が酒場に溢れていた。温かい夜だった。

    ◇

 打ち上げの帰り道。

 五人で宿屋に向かって歩いている。夜風が頬を撫でる。酒の余韻が体に残っている。シャルロットが少しふらふらしていた。セラフィナが黙って肩を支えている。メルティが俺の袖を掴んだまま、うとうとしている。歩きながら眠りかけている。器用だ。

 立ち止まった。空を見上げた。

 星空が広がっていた。テルミナの夜空。王都よりも暗くて、その分、星が明るい。

 三ヶ月前の夜を思い出した。追放された夜。安い麦酒を飲んで、一人で安宿に帰った。あの夜も星空を見上げた。同じ星だ。同じ空だ。

 だが——隣に人がいる。

 右にリリス。銀髪が月光に輝いている。左にシャルロット。ほろ酔いで頬が赤い。後ろにセラフィナ。翼が星明かりを受けている。前にメルティ。袖を掴んだまま寝息を立てている。

 四人がいる。

 あの夜は一人だった。今は五人だ。それだけで——世界は、全然違って見える。

「……さて」

 前を向いた。

「王都に——もう一度行くぞ。大聖堂の地下に入る。搾取装置を止めて、冥渦を止める。——最後の戦いだ」

「望むところじゃ」

 リリスが腕を組んだ。

「……ん。行く」

 シャルロットが酔った目で頷いた。

「はい」

 セラフィナが静かに答えた。

「zzz……ししょう……がんばれ……zzz……」

 メルティが寝言で応えた。

 五人の足音が、テルミナの夜の石畳に響いていた。


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